長期戦略イコール長期削減目標ではない(その2)


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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※【長期戦略イコール長期削減目標ではない(その1)】

日本における80%目標の位置づけ

 日本自身の長期目標が初めて言及されるのは2008年に出された福田ビジョンであり、2050年までに世界全体の温室効果ガスを少なくとも半減するとの目標を共有することを目指し、先進国が途上国以上の貢献をすべきとの観点から日本は2050年までに現状から60-80%の削減を目指すとした。
 その後、2009年に入り、ラクイラサミットで「世界半減、先進国80%減」というパッケージが出てきたことを踏まえ、2009年11月の気候変動交渉における日米共同メッセージでは「両国は、2050 年までに自らの排出量を80%削減することを目指すとともに、同年までに世界全体の排出量を半減するとの目標を支持する」ことが表明された。我が国自身の目標として「2050年80%削減」が言及されたのはこれが初めてである。
 この目標は2012年4月に閣議決定された第4次環境基本計画においても「産業革命以前と比べ世界平均気温の上昇を2℃以内にとどめるために温室効果ガス排出量を大幅に削減する必要があることを認識し、2050 年までに世界全体の温室効果ガスの排出量を少なくとも半減するとの目標をすべての国と共有するよう努める。また、長期的な目標として2050 年までに80%の温室効果ガスの排出削減を目指す」という形で踏襲された。
 しかし2012年4月時点では、2011年3月の福島第一原子力発電所事故後、日本の原発が全停止し、我が国のエネルギーを取り巻く環境が全く変わっていた。このため、2020年25%目標については、「我が国は、すべての主要国が参加する公平かつ実効性のある国際枠組みの構築と意欲的な目標の合意を前提として、2020 年までに1990 年比で25%の温室効果ガスを排出削減するとの中期目標を掲げている。他方、現在、東日本大震災、原子力発電所事故といったかつてない事態に直面しており、エネルギー政策を白紙で見直すべき状況にあることから、2013 年以降の地球温暖化対策・施策の検討をエネルギー政策の検討と表裏一体で進め、中期的な目標達成のための対策・施策や長期的な目標達成を見据えた対策・施策を含む地球温暖化対策の計画を策定し、その計画に基づき、2013 年以降の地球温暖化対策・施策を進めていく」として見直しの方向性が示唆されている。25%目標はもともと根拠の乏しいものであり、福島第一原発事故により、いよいよ実現可能性がゼロになった以上、見直しは当然のことだ。その際、併せて、その向こうにある2050年80%目標も見直しておくべきであった。原発の全停止の穴を埋めるため、化石燃料火力に依存せざるを得ず、温室効果ガス排出量は減少どころか増大している中で、当然に2050年に到る道筋も大きく変わってくる。大規模非炭素電源である原子力がどうなるかも全く見通せない状況だ。こうした劇的な状況変化を考慮せず、実現可能性もチェックせずに2050年80%目標をそのまま維持したことは、はなはだ不適切であったと言わざるを得ない。
 

80%目標のコストは??

 「長期目標の野心のレベルは高ければ高いほど良い」という反論もあろう。しかし日本のような生真面目な国にとって2050年目標は単に30年以上先の遠い目標ではない。2050年と現在とを直線で結び、2050年80%減のためには2040年X%減、2030年Y%減といったバックキャスティングが必ず行われることになる。事実、2030年に13年比26%減という日本の中期目標を設定した際も、それが日本の置かれたエネルギー状況を考えれば十分過ぎるほどハードルの高いものであったにもかかわらず、2050年目標へのトラックに乗っておらず、野心のレベルが不十分との批判があった(拙稿「日本の中期目標は野心のレベルが足りないのか」参照)。したがって野心レベルは高いが実現可能性の低い長期目標を設定すると、それが中期目標をめぐる非現実的な議論にも飛び火することになる。
 そもそも80%目標とはどういうものなのか。本稿冒頭の「気候変動長期戦略懇談会」では「2050年80%のイメージ」が提示されている(図2)。最終エネルギー消費は90年比4割減、産業部門では大規模CO2発生源にCCSを設置、発電電力量の9割以上が低炭素電源(再生可能エネルギー、CCS付火力、安全性の確認された原子力)等の絵姿が示されている。しかし、このシナリオ分析の最大の問題点は、それを達成するための経済コストや2050年時点のGDPの絵姿が全く示されていないことだ。
 IPCC第5次評価報告書には450ppmシナリオを実現するための部門別排出シナリオ(2030年、2050年、2100年)が示されている(図3)。発電部門ではBECCS(バイオマスCCS)の大幅導入により、2050年時点で世界全体の排出量がネットでマイナスとなり、2100年時点では現在の総排出量がプラスからマイナスに転じたような大規模マイナス排出になるとの絵が描かれている。これは「政治的、経済的に実現可能かどうか」ではなく「450ppmを達成するためにはこうするしかない」という発想に基づくトップダウンの「絵に描いた餅」である。上記の80%イメージも同じ性格のものと言わざるを得ない。

図2 2050年80%削減の具体的な絵姿 (出所:「気候変動長期戦略懇談会」(2016年1月)

図2 2050年80%削減の具体的な絵姿
(出所:「気候変動長期戦略懇談会」(2016年1月)

図3 450ppmシナリオの部門別シナリオ 出所 IPCC第5次評価報告書

図3 450ppmシナリオの部門別シナリオ
出所 IPCC第5次評価報告書

 2050年80%減のマグニチュードを考えてみよう。2030年の26%目標を達成するためには、現在から温室効果ガス排出量を年率1.6%で削減しなければならない。そこから2050年に90年比8割減を達成するためには2030年~2050年に年率7%近い排出削減が必要となる。2030年目標は省エネ、原子力、再エネいずれの面でも非常にハードルの高いものであるが、一挙にその4倍以上のスピードで排出削減をせねばならないのである。
 80%シナリオでは、エネルギー消費量を現在のレベルから約1.5億キロリットル削減することが想定されている。2030年目標においてエネルギー消費は現在のレベルから3500万キロリットル削減することを目指している。これは第一次、第二次石油危機時並みのエネルギー効率改善を平時に達成するという極めてハードルの高いものであるが、2030年~2050年のエネルギー消費削減量は1.2億キロリットル近くにのぼり、一挙に3倍以上に膨れ上がる。
 発電電力量の9割以上が低炭素電源とされているが、このうち、原子力については原発再稼動や運転期間延長が順調に進んだとしても、新増設が無い限り、2050年時点で稼動可能なものは23基となる。80%シナリオでは2050年の発電電力量は2030年目標レベルの10,650億kwhとほぼ同じレベルが想定されているが、そうなれば原発のシェアは最大でも15%前後となる。そうなれば残りの75%以上は再生可能エネルギーあるいはCCS付の火力で賄わねばならない。仮に75%を全て再生可能エネルギーで賄うとしてみよう。
 再生可能エネルギーのシェアを2030年時点で22-24%にするためにはFITの買取費用が現状の0.5兆円から2030年には3.7~4.0兆円に膨らみ、系統安定費用も0.1兆かかると想定されていた。それが75%に拡大すれば、FITコスト、系統安定費用は単純計算で3倍に膨らみ、それによる化石燃料輸入コスト節減効果を差し引いても国民負担増は大きく拡大する。2030年目標策定の際に行われた感度分析(表4)では、エネルギーミックスの構成を1%変化させるとコストがどう増減するかを試算したものである。原子力のシェアが20-22%から15%に低下し、再生可能エネルギーで代替されれば、それだけでコストが約1兆~1.5兆拡大する。更に2030年時点のエネルギーミックスで56%(LNG27%、石炭26%、石油3%)を占めていた火力を10%に圧縮し、全て再生可能エネルギーで代替したとしよう。エネルギーミックスで想定された火力のシェアを変えないとすると、LNGのシェアは27%から4.8%に、石炭は26%から4.6%、石油は3%から0.5%に縮小する。LNGを22.2%縮小して再生可能エネルギーに振り替えるコストは約2.7兆円、石炭を21.2%縮小して再生可能エネルギーに振り替えるコストは約3.9兆円だ(注:石油火力から再生可能エネルギーへの代替コストは示されていないため、捨象)。したがって原子力のシェア低下、化石燃料のシェア低下を全て再生可能エネルギーで置き換えるコストは総計で約7.6~8.1兆円にのぼる。

表4:エネルギーミックスの構成を変えた場合の感度分析 出所:総合エネルギー調査会

表4:エネルギーミックスの構成を変えた場合の感度分析
出所:総合エネルギー調査会

 これに加え、更に最終エネルギー消費を4割削減するコスト、これまで排出量が拡大してきた民生・業務部門の排出をほぼゼロにするためのコスト、産業用大規模排出源にCCSを設置するためのコスト等も考えねばならない。これらは全体として日本経済に大きな負担をもたらすこととなろう。電力中央研究所の杉山大志氏は「1%イコール1兆円」において削減目標を1%深堀りするごとに1兆円のコストがかかるとの論考を発表している。
 より敷衍して言えば、温暖化防止をめぐる議論をする際に、「地球が直面する課題は温暖化だけではない」ということを忘れてはならない。昨年9月に国連で採択された持続可能な開発目標には温暖化防止以外にも貧困撲滅をはじめ、16にものぼる分野が提示されており、それぞれの課題が膨大な資金を必要とする。他方、世界全体の資金リソースには限りがあり、世界はどの分野にどれだけお金をかけるかを考えねばならない。少子高齢化、財政再建等、内容が異なるとはいえ、多様な課題を抱えるのは日本についても同じことだ。「とにかく野心的な排出削減目標を」という議論には、そうした課題間の資源配分という発想が根本的に欠けているように感じられてならない。

温暖化対策をすると経済成長する?

 「温暖化対策を経済への制約ととらえることは間違いだ。野心的な温暖化対策を構ずれば新たな技術、産業、雇用が生まれ、経済成長にも貢献する」という、いわゆる「グリーン成長」の議論がある。懇談会報告書には図4のグラフが掲示されている。これはOECD諸国で日本よりも一人当たりGDPが多い国(「OECD高所得国」)において温室効果ガスがピークアウトした年からの温室効果ガスの削減とGDP成長率の関係をプロットしたものである。懇談会報告書はこのグラフを根拠に「温室効果ガス削減率が大きくなると経済成長率が高くなる」と論じているのであるが、「珍説」と言わざるを得ない。
 例えば英国の排出量のピークは1980年である。その後30年超の期間にわたる英国の経済成長は高付加価値のサービス業への産業構造転換、積極的な外資の誘致等によるものであり、温室効果ガスの削減はサッチャー時代の石炭からガスへの燃料転換によるところが大きい。ドイツの場合も排出ピークは1981年である。ドイツの高成長の要因はドイツ経済の実力以下に評価されたユーロに助けられた輸出の好調であり、排出削減の主たる要因は東西ドイツ統合による老朽発電所、工場の閉鎖である。このようにGDP成長率、温室効果ガス削減率にはそれぞれ各国ごとの要因があり、「温室効果ガスを削減すればGDP成長が上がる」との因果関係を導くことは間違っている。

図4 温室効果ガス排出のピーク時からの温室効果ガス削減率と実質GDP成長率の関係 出所:気候変動長期戦略懇談会

図4 温室効果ガス排出のピーク時からの温室効果ガス削減率と実質GDP成長率の関係
出所:気候変動長期戦略懇談会

 また報告書では図5に示すように2000年~2012年のOECD高所得国におけるGDP当たり排出量の削減率とGDP成長率の関係をプロットし、「温室効果ガス削減活動が経済成長に貢献している」と論じているが、これは因果関係が逆さまである。GDP成長率が高くなればGDP当たりの温室効果ガス排出量原単位は改善傾向になり、低成長率の元では原単位は悪化傾向になる。特に2000年~2012年までマイナス成長になっていた日本で原単位が悪化したことは驚くにあたらない。
 そもそも「温暖化対策を実施すればするほど経済成長につながる」ならば、国連気候変動交渉があれほど紛糾するわけはないし、ユーロ危機の真っ只中で欧州各国は競って温暖化対策を強化することで不況からの脱出を図ったはずだが、現実はそうなっていない。オバマ政権のグリーンニューディールが失敗に終わったことは記憶に新しい。削減目標をより野心的なものにするために、「野心的な目標は経済成長につながる」といった詭弁を弄するべきではない。

図5 GDP当たり排出量の削減率とGDP成長率の関係 出所:気候変動長期戦略懇談会

図5 GDP当たり排出量の削減率とGDP成長率の関係
出所:気候変動長期戦略懇談会

長期戦略イコール長期削減目標ではない

 それでも温暖化問題は人類の直面する課題であり、長期的な温室効果ガス削減に戦略的に取り組まねばならない。パリ協定の中で「長期低排出開発戦略」の策定が慫慂されているのは正しい方向である。
 しかし長期戦略イコール長期削減目標ではない。温室効果ガス排出量はGDP、人口、エネルギー価格、産業構造等、実に様々な外的要因の影響を受ける。特に2050年のような長期のスパンを考えれば、不確定要素が尚更大きい。そのような中で様々な要因の複合的結果としての総量排出量を目標値とすることにどの程度の合理性があるのだろうか。
 懇談会で提示された80%目標のイメージについて種々の観点から批判を加えたが、「再生可能エネルギーコストは2050年までには大幅に低下し、火力や原発と十分競争できるようになっている。だから80%削減のコストはそれほど大きくない」という反論もあるだろう。「再生可能エネルギーが安くなる」というならば、再生可能エネルギーの大量導入・貯蔵を含め、長期の大幅削減を可能にするような技術の開発目標、コスト削減目標をこそ掲げるべきであろう。その意味で、現在、温暖化対策計画と並行して検討が進んでいるエネルギー環境技術イノベーション戦略は長期戦略の中核となるべきものだ。
 また真剣に長期に大幅排出削減を目指すのであれば、2050年以降、大規模非化石電源である原発の退役が続き、最終的に原発ゼロになることを放置しておいて良いのかという問題に向き合わねばならない。自由化された電力市場の下でも、より安全性の高い新規原発によるリプレースをオプションとして可能にするような政策環境の検討も必要だろう。
 こうした長期の削減につながるような技術システム、更には懇談会報告書にも提唱されているような社会システム、ライフスタイルの諸要素をどう変革していくかを議論した上で2020年までに長期排出開発戦略を策定すればよい。そういった議論もないままに2030年目標の実現を目的とした温暖化対策計画の中に、長期削減目標だけを唐突に掲げることは合理性を欠く。
 「経済や生活にいかなるコストを払ってでも、温室効果ガスの削減さえなされれば良い」などという温暖化防止至上論には普通の人であれば賛同しないはずだ。多くの人は「経済や国民生活へのしわ寄せを最小化しつつ、可能であればプラスの影響すら出るような工夫をしつつ、温暖化対策を進めるべき」と考えているはずだ。野心的な長期削減目標を掲げるというのは一見わかりやすいスローガンだ。しかし、こうした考え方は京都議定書時代の削減数値目標至上主義そのものであり、高い総量削減目標さえ掲げれば実態がついてくると考えるのは幻想である。むしろそれを可能とするための技術システム、社会システム、ライフスタイル等の諸要素で定量的、定性的目標を設定して取り組み、その進捗状況をチェックしながら進んでいくほうがはるかに日本らしい真面目なアプローチではないか。

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