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電力自由化という名の「祝祭」


政策アナリスト


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 遠藤典子氏の「原子力損害賠償制度の研究」が第14回大佛次郎論壇賞を受賞した。同賞の源流となる大佛次郎賞の受賞者には、錚々たる名著述家が居並ぶ。

 第23回受賞者である文化人類学者の山口昌男氏は、著作「歴史・祝祭・神話」において、「異端者=『ハタモノ』がその異常性から祭り上げられ、民衆を非日常の『祝祭』に導くが、やがて権力作用により『生贄』として排除されることで、日常的な社会秩序が回復される」という構造を提示した。
 さらに、トロツキーらの「異端者」を例に、精神的抑圧を受ける社会が『ハタモノの生贄』の再生産を要求してきたことを説いた。

 震災は「望まれざる非日常空間」であったが、日常秩序の回復には、東電に代表される電力会社、そして原子力という『ハタモノ』の犠牲による異常性の昇華が求められた。
 電力会社は、安定性や社会的イメージの高さにおいて「異常」、原子力は“危険性”と“ムラの閉鎖性”において「異常」であった。これらに対する社会の違和感がなければ、電力自由化がかくもスムーズに進み、そして原発停止がかくも長期化したとは思えない。

 さて、当事者は、こうした「異化作用」とも言うべき社会的潮流にどこまで自覚的か。

 現在、油価は下がっているが、エネルギーを取り巻く閉塞感は払拭されていない。むしろ、消費増税と相俟った生活コストの上昇は、近い将来、新たな「ハタモノ」要求を生むだろう。
 規制撤廃に伴う資金調達コストの上昇や、化石燃料依存度の上昇に対応できる措置を講じない限り、長期的にこうした構造は持続・拡大していく。

 今の政府は、行為規範論(自由競争)の先にあるべき政策効果、すなわち料金低減とエネルギー安保を達成するための具体的な手段を用意しているようには見えない。このままでは政府は「ハタモノを屠る権力者」にとどまり、さらに新たな犠牲の提供を求められよう。高価格の新エネルギーが、祭り上げられる立場から「ハタモノ」に転化しないとは限らない。

 また、東電の状況を目の当たりにした電力会社には、自由化で「地域社会から隔絶した存在=ハタモノ」となることへの怖れがあろう。しかし、閉塞感の払拭には新機軸が必要である。そして、変化への不適合は、自らを相対的な「異常者」に転化する危険性を孕む。

 祝祭に献じられた東電が、他分野を巻き込んだイノベーション(新結合)の苗床となり、上流や小売・原子力等、各階層のビジネスモデルに「新標準」が勃興したら?

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