MENUMENU

正統な競争力を付与する仕組みが最も重要に


印刷用ページ

 原発が限界化して行くと火力がさらに主流化し、その結果、化石燃料の新規購入で数兆円のコストがかかり、電気代に跳ね返ると云う議論があります。ある程度そうでしょう。しかし、現行の総括原価主義や地域独占を見直したら、その分電気代の上昇は抑えられるでしょう。何しろ、日本の電力は外国のガス生産者や国内の調達参加者にとっては言い値で買ってくれる上得意なのですから。2011年6月の雑誌「選択」は、その悲劇的状況を論じています。国内調達で随意契約を禁止していない国は、日本ぐらいです。事情は違うにしても米国では各州の公益事業委員会がコストの外部監査をしています。給与も業界最低に抑えています。

 電力のような基幹商品は硬直的な価格体制から解放し、市場性をもっと導入するべきです。そういう姿勢を国が示すことこそ、日本経済の高コスト体質を和らげ、国民経済を擁護し、日本企業の国際競争力強化に繋がるのですから、そういう情報を提供し、国民の衡平な議論に供するべきです。そういう姿勢が生まれれば、「原発を止めるなら、これだけ莫大なコストになるぞ」という単細胞的議論から均衡のとれた議論になるでしょう。

 自然エネルギー買い取り政策も同じです。この制度の結果、電力料金は上がるでしょう。しかし、上がり方を独占排除などのいろいろな手段で緩和できるはずです。

 「国民よ、自然エネルギーの高価な負担に耐えられるのか?」といわんばかりの姿勢は、日本という国の品格としては情けないのではないでしょうか? 要するに「上がる、上げる」という議論をするなら「下げる、下がる」という議論も同時するのが、公益事業を今後どうするかというときに、絶対に必要だと思います。国民融和の下で健全で頑強なエネルギー政策を進めようとするなら、事情を知っている論者はこの均衡を国民に知らせるべきだと思います。

地震がなくても躓いていた日本の政策

 国際環境経済研究所のサイトでは、エネルギーセキュリティーについて強く論じておられますが、結局のところわずか4%エネルギー自給率を高めようとして国が努力してきた原子力政策は、躓いたと言わざるを得ないのではないでしょうか?要するに、国が進めてきたセキュリティーに重点を置いた政策は破綻したということになる。

 昨年6月に改定されたエネルギー基本計画では、原子力の積極推進の章でこう論じています。「・・・核燃サイクルは原子力の優位性をさらに高めるもので中期的にブレない確固たる国家戦略として着実に推進する。そのため、まず国が第一歩を踏み出・・・」。印象的な用語です。

 地震がなくても躓いていたのではないでしょうか?もともと、使用済み燃料の保管プールが満杯に近づき、さらに高レベル廃棄物の処理に最終解決がついていないエネルギー安全保障政策は破綻せざるを得なかったのではないでしょうか? 国は残念ながら見通しの段階で間違っていたし、従来型の限定的で、かつ方向付けの明らかな意見集約の下で推進するという方法論でも間違った。少なくとも廃棄物の最終処理は「あとは野となれ山となれ」ということではなく、それこそ数千年先の人類に、責任ある姿勢で対応するという姿勢と実行が伴わなければ、国民はついてこないと思います。これも「上がる、上げる」という議論と「下げる、下がる」というバランス論と同じです。

 このようにして「セキュリティーに重点を置いた政策」の当初案で挫折したのですから、これからは見通しの段階で誤らないようにし、同時に、国民との綿密で融和的な協議の下で編み出さなければならないでしょう。公益事業であれば、なおさらです。国民目線にとって最大の今日的問題は、公益事業であるにもかかわらず、一企業の利益に政府機関が肩入れしてるという印象を与えてしまっていることだと思います。国民は、公益事業がどうして華美な保養所を多数所有し、その費用を電力料金に響かせているのかと思っています。公益事業なのに、どうしてこれほど情報開示に後ろ向きなのかと訝っています。

 公益事業の原点に立ち返って、国は頭ごなしにこうだと決め付けるのではなく、従来とはまったく違った発想で情報を全面的に開示して、国民の前向きなエネルギーが広範に結集できるように、中立的な対話を生む必要があると思います。そうしてこそ日本の優れた能力を発揮して、真の「セキュリティーに重点を置いた政策」が国民的合意になるでしょう。

地球全体を相手にした制度提案

 原子力が限界化し、火力発電がしばらくの間主流化して行く展望は、世界の温暖化防止の国際行動にはマイナスです。しかし、これは一国単位で削減しようとするから起きる問題です。地球全体で温暖化防止の目標を定め、その限度でしか化石燃料を使わないという制度にしたら、問題はもっと簡単です。化石燃料を無限に燃焼できるわけがないのですから、地球全体の二酸化炭素(CO2)排出限界量を決めるのは当たり前です。科学者はその限界量を算定していますが、各国政府がCO2限界量を決め、それに所有権を設定して排出権として世界市場に販売します。排出権には価格がつき、化石燃料を使う企業はその価格を払えば市場でいくらでも排出権を購入できます。

 要するに、この問題の基本は、排出できるCO2の量を決めることでそれを希少資源化することです。希少資源化したら労働力や鉄鉱石と同じく市場で裁く以外に方法はないと思います。希少資源化しないで闇雲に削減しようとしているから巨大な無駄と産業界への犠牲を生むのです。

 今回、日本は原発を止めて天然ガス等の化石燃料を使うので、CO2は予定されていたより多く出るかもしれません。国によっては成長が急激になりCO2をたくさん排出する必要が生まれるでしょう。しかし、限界量が決まっていれば温暖化は防止できます。排出権の所有者である政府には販売による収入が入りますから、排出権の価格の上昇によって困る人々にも手当てできます。国別削減方式から脱却して、世界排出量を縛って、あとは市場に任せるのですからどの国の政府と企業にとっても有利です。日本はもちろんですが、「セキュリティーに重点を置いたエネルギー政策」を実現しようとするなら温暖化防止の世界制度も改めるべきです。

 日本の産業界ではボトムアップが好まれていると思いますが、これも時代とともに転換が必要ではないでしょうか?国や企業の排出をトップダウンで押さえつけるのは私も嫌悪しますが、CO2の排出にキャップをかけないというわけにはいかないでしょう。地球全体でキャップをかけないでボトムアップでやっても、気温の安定化という最終目的は達成できません。目的がないところで投資するのですから巨大な無駄が生じます。政府は規制を強化し、財政出動し、影響力を強化します。こんなことを21世紀の国民経済が許すはずがないと思います。

 私たちの世界制度提案は、地球全体の排出量にはキャップをかけるが、あとは市場と価格が裁く仕組みです。いわば、変形のボトムアップ方式です。日本産業界にとっても、最も有利な世界制度だと思います。排出権売却益を途上国に渡してこそ、日本からの技術輸出が増加すると思います。関心を示していただければ、一緒に議論を始めたいと思います。

権威に黙従する空気は改められるべき

 桂文珍さんがよいことを言っていました。

 「自説にはこういう欠点があるということを言わないと人は信用しない」

 国は無謬だと思いがちですが、決してそうではありません。もし無謬なら今日の問題はなかった筈ですから。無謬ではない国家財政が破綻しているこの時に、依然として無謬でない政府が介入し、統制し、財政出動するといった旧来的発想とは、きっぱりと決別するべきです。

 国は国民の目にすべてをさらし、国民の融合的努力とエネルギーの再結集に努めるべき時です。それに、政府も産業界も権威に黙従する空気は改められるべきでしょう。要は、政府が統制や規制や財政出動に乗り出す範囲を狭め、国民経済が市場主体で成長し、価格の歪みを排除し、創意工夫に正統な競争力を付与する仕組みを拡大して行くことです。これを早く実現してこそ、21世紀の大競争を乗り切ることができるし、日本人の英知と努力をもってすれば、もちろん実現可能だと思います。

記事全文(PDF)