環境問題のリスクコミュニケーションにおける専門用語の弊害


東京大学名誉教授

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環境問題という大きな課題に直面する現代において、科学的知見を社会で共有し、具体的な行動変容を促すためのリスクコミュニケーション(リスコミ)の重要性はかつてないほど高まっている。しかし専門家が発信する情報は、しばしば「専門用語」という目に見えない壁の存在により、市民の元には届かない。専門家にとって専門用語は、複雑な現象を正確かつ効率的に記述するための「魔法の言葉」だが、知識基盤を共有しない市民にとっては、不信感と疎外感を生み出す意味不明の「呪文」へと変貌するからだ。

1. 専門用語が構築する心理的な壁

リスコミの失敗の根源には、専門家が陥りやすい「欠如モデル」という思考の罠が存在する。これは、市民の不安や反発は「正しい知識の不足」に起因すると考え、正確なデータを提供すれば理解が得られると過信するモデルである。しかし、現実には情報の「詳細」や「正確さ」が、必ずしも「受け入れやすさ」を担保するわけではない。

人間が外界からの情報を処理する際、データそのものよりも、その情報に貼られた「言葉のラベル」が脳内での知覚を決定づけることが心理学実験によって証明されている。例えば、同一の匂い物質に対して「チーズ」というラベルを貼ったグループと「嘔吐物」というラベルを貼ったグループでは、被験者の生理的な反応が劇的に異なる。前者は芳醇な発酵食品として肯定的に受け入れ、後者は強い嫌悪感と拒絶反応を示すのだ。

この知見は、環境問題におけるリスコミに極めて重い示唆を与える。専門家が「科学的に正確である」と判断して使用した用語が、生活者の脳内で一度「不気味」「人為的」「危険」といったネガティブなカテゴリーに分類されると、その後にどれほど精緻なデータを示しても、最初の直感的な拒絶を覆すことは困難である。

専門家が新しい技術や政策を説明する際、それが「どのように作られたか」「どのようなメカニズムで機能するか」というプロセスを語ろうとする。しかし、生活者が求めている情報は、その技術が「自分の生活をどう良くするのか」「自分や家族にとって安全なのか」という「目的や利益」に他ならない。

この「プロセスvs利益」の対立構造が、専門家と市民の間に決定的な断絶を生んでいる。専門家がプロセスの記述に正確さを期して専門用語を多用すればするほど、生活者は「自分たちの知らないブラックボックスの中で、何かが操作されている」という疎外感を深め、時には「煙に巻こうとしているのではないか」という疑念を抱くるのである。

2. 心理的距離と専門用語の相関

環境問題、特に気候変動が「自分事」になりにくい原因の一つに、「心理的距離」の理論がある。これは、対象が「遠い存在」であると感じるほど、人間の脳はそれを抽象的で非現実的な概念として処理し、具体的な行動には結びつかないという理論である。「2050年カーボンニュートラル」といった目標設定は、多くの市民にとって自分の寿命や日常生活のサイクルを超えた、極めて遠い未来の話として抽象化される。気候変動の影響として「北極の氷」や「途上国の渇水」といった遠方の事象が語られることで、自分の住む地域との関連性が見失われる。「パリ協定」「COP」「NDCs」といった国際交渉の用語は、それがエリートや政治家だけの関心事であるという印象を与え、市民を議論から疎外する。科学的な不確実性を示す「確信度」や「確率的予測」といった専門用語は、リスクを「まだ起きないかもしれない不確かなもの」として処理させ、警戒心を弱める方向に作用することがある。

心理的距離が遠い対象は「高レベル(抽象的・本質的)」な構成概念で捉えられ、近い対象は「低レベル(具体的・表層的)」な構成概念で捉えられる。専門用語は極めて抽象度が高い高レベルの構成概念であり、これを提示された市民は、環境問題を「高尚な理想」としては受け入れるが、「今日、何を選択すべきか」という具体的な行動(低レベルの実行概念)に結びつけることが困難になるのだ。心理的距離を縮めるためには、専門用語を排除し、共感、恐怖、喜びといった具体的な感情や、地元の川、去年の夏などの身近な経験に接続するコミュニケーションが不可欠である。

3. 「ハザード」と「リスク」の混同

リスコミにおいて、専門家と市民の間の最も基本的な「言葉のボタンの掛け違い」が、「ハザード」と「リスク」の混同である。ハザードとは、害を及ぼす「潜在的な可能性の有無」を指す。他方、リスクは、そのハザードによって実際に害が発生する可能性(確率)と、発生した際の損害の程度の組み合わせを指し、「有無」ではなく「程度」で表す。すなわち、どれほど強力なハザードが存在しても、それへの「暴露の程度」が低ければ、リスクは低いことになる。

しかし、人間の基本的な判断は「危険の有無」であり、それに基づいて「逃げるか、逃げないか」を決める。だから「程度」を無視して、「有無」だけで判断することに慣れている。その結果、ハザードとリスクをしばしば同義語として扱う。専門家が「リスクは低い」と説明しても、市民は量を無視して、「有毒物質が存在すること自体が危険だ」と判断するのだ。専門家がリスク計算に基づいて「安全」と断言しても、市民はそれを「ハザードの存在を無視している」あるいは「訳が分からない計算を持ち出して煙に巻こうとしている」と受け取り、感情的な反発を強めることになる。

国際がん研究機関の「人に発がん性がある・グループ1」の分類には、たばこ、アルコール飲料、太陽光、加工肉(ハムやソーセージ)、亜硝酸塩、アクリルアミド、PCB、PFOA、ポリ塩化ビフェニル、アルミニウム精錬従事、靴製造に従事など、多くの項目がある。専門家が見れば、これらは単なる「ハザード」の分類であり、「現実の生活でがんを引き起こすのか」に基づく分類ではないことは簡単に理解する。しかし市民の見方は3つのパターンに分かれる。一つは、リスクの大小を区別しないで、すべてを危険とする誤解である。それは「国際機関」が発表した、「発がん性あり」という言葉の強い印象がもたらした結果であり、ハザードとリスクの区別ができていない結果である。2番目は、自分の価値観や先入観に合うものだけ強く恐れて、それ以外は軽視するという「恣意的な選択」であり、「食品添加物は怖いが酒は気にしない」「自然由来は安全、人工は危険」などのバイアスである。3番目は無関心派であり、喫煙など実際にリスクの高いものでも軽視する人たちである。

重要な点は、多くの人が「恣意的な選択をする」という事実である。これは非合理というより、人間の認知の特徴である。喫煙や飲酒のような自発的な選択であれば、リスクを低く感じるが、添加物や農薬のように自分では選択できない場合には、大きなリスクと思う。そしてハザードの存在そのものがリスクという誤解である。こうして、専門家にとってのリスクは科学的なデータに基づくものだが、市民にとってのリスクは、個人の価値観や過去の経験、信頼の有無などの要因に左右されることになる。

4. 環境用語の認知と「理解の乖離」

環境問題に対する関心は急速な高まりを見せている。令和3年度から4年度の調査によれば、気候変動への関心を持つ層は76.2%に達している。しかし、政策用語や技術用語の理解度は依然として低い。主要な環境用語における認知(聞いたことがある)と理解(説明できる)のギャップを表に示す1)。ここから浮き彫りになるのは、特に「カーボンニュートラル」や「シェアリングエコノミー」といった、政策的に強調されてよく聞く用語について、言葉を知っているにもかかわらず、その具体的な意味を理解していないという「認知の空洞化」が起きている事実である。

表 専門用語の認知度と理解度

環境用語 聞いたことがある 説明できる 認知と理解のギャップ
再生可能エネルギー 99% 76% 23%
サステナブル 95% 70% 25%
海洋プラスチック 92% 65% 27%
カーボンニュートラル 96% 50% 46%
フェアトレード 80% 50% 30%
シェアリングエコノミー 64% 10% 54%
ESG(環境・社会・ガバナンス) 31% 11% 20%
SDGsウォッシュ 36% 13% 23%
1)
【2023最新】SDGs関連用語の認知度アンケート調査レポート|EARTH NOTE(アースノート)

これは単なる知識の欠如以上の実害をもたらす。具体的なリスクを理解していない層は、主体的な行動変容には至りにくいのだ。またSDGsという言葉は浸透しているが、その実態が伴わない企業姿勢を批判する「SDGsウォッシュ」という概念の認知度は13%と極めて低い。このため、消費者は企業側の表面的なアピールを見抜けず、誤った選択をしてしまうリスクに晒されている。

「遺伝子組換え」に対する強い反発は、技術そのものの失敗ではなく、リスコミと言語選択の失敗であった。専門家が「遺伝子を操作した生物」というプロセスの正確さにこだわった結果、消費者は「不自然で不気味な怪物のイメージ」を抱くに至ったのだ。現在、環境分野における「カーボンニュートラル」という用語も、同様の構造的な失敗を繰り返す危うさを孕んでいる。

「カーボンニュートラル」の定義は、「温室効果ガスの排出量と吸収量を相殺して実質ゼロにする」ことである。そしてこの「実質」という概念が、市民にとっての不信感の源泉となっている。専門家にとっては、排出分を森林吸収や技術的なCO2回収で相殺することは科学的な整合性を持つプロセスである。しかし、市民の目には、化石燃料を使い続けながら帳尻を合わせようとする「言い訳」や「レトリック」として映る。「実質」という専門用語が介在することで、脱炭素に向けた真摯な取り組みが、単なる「数字の操作」や「責任逃れ」のように捉えられてしまうのである。

5. プロセスから利益への「リフレーミング」

専門用語がもたらす弊害を克服するための強力な処方箋が「リフレーミング(捉え直し)」である。プロセスを強調する「遺伝子組換え作物」を、利益を強調する「農薬削減作物」や「栄養強化作物」と言い換えるべきであったという教訓を、環境問題でも生かすべきである。

成功したリフレーミングの一つが「エコフィード」である。これは、かつて「食品廃棄物飼料」あるいは「残飯飼料」などと呼ばれ、消費者に生理的拒絶反応を与えていた。しかし、「環境(エコ)」と「飼料(フィード)」を組み合わせた「エコフィード」と呼称変更したことで、意味の転換が起きた。それは、「不衛生」「ゴミを食べた豚」という強烈な印象から「社会に貢献する賞賛されるべきもの」へと180度の転換である。

代替肉の分野では興味深い対比が見られる。欧米では、「細胞培養」というプロセスを強調するのではなく、倫理的・環境的な「潔白さ」を強調する「クリーンミート」という言葉が受容を高めている。日本では「大豆のお肉」や「大豆ミート」という表現が主流だが、これは「培養」という新しい技術を強調するのではなく、古くから親しんでいる「大豆」という安心な概念に接続することで、技術的な不安を「なじみ深さ」で解消した好例である。重要なのは、その技術が「何であるか」ではなく、「あなたにどんな利益をもたらすか」を主語にすることである。

気候変動対策の二大柱である「緩和」と「適応」という分類は、リスコミの現場で混乱を招いている。市民が実践している熱中症対策、ハザードマップの確認、節水などの具体的な行動は「適応」そのものである。しかし、それらが「適応策」という専門用語で括られた途端に、生活の知恵から「専門的な義務」へと変質してしまう。「緩和」という言葉も、日常的な語感では「痛みを和らげる」「症状を抑える」といった受動的なニュアンスが強く、温室効果ガスを根本的に削減するという能動的な挑戦の姿勢が伝わりにくい。その結果、緩和策は「エネルギーを我慢して使う」「不便を受け入れる」といったネガティブな「忍耐の物語」として解釈されやすくなる。

このような専門用語がもたらす弊害を克服するため、「製造プロセス」から「受け取り手の利益」への転換が必要である。例えば、緩和策を「温室効果ガスの排出抑制」と説明するだけでなく、「家計を助けるスマートな暮らし、空気がきれいな街」などという説明を付け加え、適応策を「気候変動による被害の回避・低減」と説明するだけでなく、「猛暑でも家族が健康に過ごせる家、災害に強い地域」などという説明を付け加えることで、これらの対策を市民の具体的な「利益の物語」として語ることが重要である。要は、分類そのものを目的化するのではなく、その行動がもたらす「良き未来」を語る言葉への転換が求められているのだ。

おわりに

環境問題のリスコミにおいて、専門用語は専門家を情報の「独占者」にし、市民を「部外者」にしてしまう呪縛である。専門家が正確さを期して用いる「カーボンニュートラル」「緩和」「適応」といった言葉は、市民を不信、矛盾、そして疎外感へと追いやる。「遺伝子組換え作物」が辿った歴史的敗北、技術的には安全でありながら社会的に拒絶された悲劇を、環境技術において繰り返してはならない。そのための鍵は、専門家が専門用語を脱ぎ捨てることである。専門家の役割は、単に「科学技術のプロセス」を説明することではない。科学技術が、人々の生活をどう彩り、どのような「良き未来」を創るのか、その「心」を人々に伝わる言葉で紡ぐことである。

環境分野でのリスコミの原則をまとめると、「正しい知識を伝えれば不安は消える」という「欠如モデル」を捨てて、相手の「直感的な不安」を否定せずに受け止めることから始めること、「ハザードがあるから危険」という市民の直感を無視せず、安全対策によってリスクがどう低減されているかを、日常的な言葉で具体的に提示すること、「どうやって作ったか」よりも、「それを使うとどうなるか」を主語にすること、そして、「地球規模の壮大な話」を「半径5メートルの身近な物語」に翻訳することである。

消費者の不安や反発を溶かすのは、論理的なデータではなく、共感を呼ぶ「人間らしい言葉」である。言葉は、単なる記号ではない。それは技術と社会を繋ぎ、不確実な未来への信頼を醸成するための唯一の架け橋である。私たち専門家が、プロセスの正確さという自己満足を捨て、生活者の利益についての誠実な対話に向き合ったとき、環境問題解決に向けた真の合意形成が、ようやくその第一歩を踏み出すことになるだろう。