COPなど要らない 百害あって一利なしのCOPは廃止すべきだ


Executive Director of Breakthrough Institute/ キヤノングローバル戦略研究所 International Research Fellow

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テッド・ノードハウス
The Eco Modernist 2026.1.11 監訳 キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志  訳 木村史子
本稿はテッド・ノードハウス   Defund the COPs
https://www.breakthroughjournal.org/p/defund-the-cops
を許可を得て邦訳したものである。

この論評は、元々『ボストン・グローブ』で「世界最大の気候変動目標は時間とお金の無駄だった」と題して掲載されたものである。

国連がブラジルのベレンで最近開催した国連気候変動枠組条約第30回締約国会議(COP30)の費用がいくらだったのか正確なところは定かではないが、ブラジル政府は、11月のこのイベントに最大10億ドルを費やした可能性がある。約6万人の公式代表団や、それ以外の数多くの企業および非営利団体の参加者を受け入れるために、他の公共および民間団体が費やした支出も、政府の支出に匹敵する規模であったと思われる。最終的にかかった費用の総額がいくらであれ、経済的に豊かな国々が長年の議論を経て、近年気候変動による損失や被害に対して途上国に支払った3億5,000万ドルは、確実に上回っているであろう。

1995年にベルリンで第1回気候変動枠組条約締約国会議(COP)が開催されてから30年が経つが、気候変動に対する国際的行動を喚起するための国連主導の長年にわたる取り組みが何を達成してきたのかは、まったくもって明確ではない。公式の説明は矛盾している。国連やその他の関係者は、大気中の温暖化が産業革命前の水準より1.5度を超えると、世界は深刻な状況に直面すると主張している。 だが同時に、COPによって結集された国際的取り組みによってすでに破局的状況は回避され、今世紀末までの予測される温暖化が5度から3度未満に抑えられたとも主張しているのである。

まず、最初の主張は疑わしい。1.5度を超えると災害が確実に起こるという信頼できる科学的根拠はこれまで存在していない。1.5度目標はもともと2009年に、小規模な島嶼国が、世界がこの目標を超えると海面上昇により水没すると主張して提案したものであった。しかし、これまでのところ、海面上昇が島嶼国の将来に特に脅威を与えているという明確な証拠はほとんどない。むしろ、多くの島嶼国は、低地地域が何世紀にもわたって行ってきたように、埋め立てやその他の沿岸改修を通じて海岸線や陸地面積を増やし続けているのである。最近の調査では、太平洋およびインド洋の221の環礁が、海面上昇にもかかわらず、2000年から2017年の間にその面積を6%増加させたことが明らかになっている。したがって、今後数十年間で海面がどの程度上昇するかについてはかなりの不確実性があるものの、小規模な島嶼国を含む低地地域は、これらの変化に適応する能力を相当程度有している可能性が高いと言えるであろう。

それにもかかわらず、2015年にパリで行われたCOPで「野心的」目標として採択された後の数年間で、1.5度は独自の存在感を持つようになった。世界経済フォーラム(WEF)は、「1.5℃は地球システムが連鎖的な気候のティッピングポイント(気候転換点)に入り、さらなる温暖化を引き起こす危険な域、つまり大規模かつ加速的な気候の変化が生じる臨界閾値である」と主張している。そして国連事務総長アントニオ・グテーレスは、ベレンでのCOP全体会合の開会に際し、「1.5℃の限界は人類にとってのレッドラインである」と断言したのである。

こういった警告は、不可逆的な地球物理プロセスを引き起こすという極めて憶測的な懸念と、気候災害がすでに現在の災害という形で到来しているという主張を混ぜ合わせているものと言える。実際のところデータは異なる物語を示している。気候関連の極端な事象やあらゆる種類の災害による死亡率は、関連するあらゆる時間スケールにおいて劇的に低下しているのだ。2025年は、おそらく記録された人類の歴史上、気候関連災害による死亡率が最も低い年になったと言えるだろう。災害による経済的損害コストは引き続き増加していることは確かだが、それは世界がかつてなく豊かで人口も多いからである。これらの損害コストは世界GDPに占める割合としては大幅に減少しているのである。徐々に温暖化が進んでいるにもかかわらず、現代の人間社会は、これまでになく気候の極端な事象に対して耐性を持つようになっているのだ。

二つ目の主張―国際的な取り組みによってすでに破局が回避された―は、笑止千万な話だ。COP交渉やパリ協定は、世界の排出量の軌道を大きく変えることはなかった。表面的に進展したと見えるのは、将来の気温上昇が5度以上になると予測する排出シナリオの誤用によるものであり、これはそもそも決して現実的な予測とは言えないし、世界のエネルギー経済の基本的な特性が変化したわけではない。世界経済におけるカーボンインテンシティ(炭素集約度)は、少なくとも1970年代のエネルギー危機以降、各国がまともなデータを収集し始めた頃から、数十年にわたり一貫して低下している。先進諸国の多くでは、人口増加と経済成長が鈍化し、エネルギー技術が改善され続けた結果、過去20年以上にわたり排出量が減少している。同じプロセスが、現在、世界のほかの多くの地域でも進行中である。

これらの進展はいずれも、もともと排出量を制限するための拘束力のある国際条約の交渉を目的としていたCOPプロセスに起因するものではない。1997年の京都議定書は、2009年のコペンハーゲンにおけるCOP15の後に崩壊したからである。そしてその余波の中で、2015年のパリ協定は自主的行動へと移行し、各国が自主的にNDC(国が決定する貢献)を提示し、排出量を制限するための経路を明示するようになったのである。しかしながらそれから10年後、NDCを達成できそうな国はほとんどない。年内に更新が求められる中、参加国の半数にも満たない国しか、COPに先立って新しいNDC(国が決定する貢献)を提出しなかったのである。

むしろ国連主導の取り組みの成果ではないにもかかわらず、世界が脱炭素化や適応の方向に進展してきたと言える。国内外の排出量の動向の主な要因は常にマクロ経済的および技術的なものであり、政治ではなかったのだ。人間社会への気候影響の主要な決定要因は、気象学的ではなく、社会経済的なものである。各国は、気候変動に関係なく、エネルギー技術革新に投資し、社会経済発展を促進し、自然災害による損害からの回復を追求する十分な理由を持ち続けていたのである。

最近のCOPを受けて、多くの関心は達成されたことへではなく、欠けていたものに向けられている。まずトランプ政権はパリ協定からの脱退を決定しただけでなく、COP30に公式代表団を派遣しないことも選択した。そして世界で最も熱心に気候変動関連の慈善活動を行ってきた人々の一人とされるビル・ゲイツは、会議に先立ち、気候変動から貧困削減と世界の健康問題への注力に転換すると発表したのである。彼らの動きは、気候変動対策への打撃として広く批判されているのだが、近年のCOPで生み出されたものよりも、これらの行動のほうが問題解決に役立つ可能性が十分にあるとわたしは考える。

なぜならば、気候変動への懐疑的な姿勢にもかかわらず、トランプ政権がアメリカの天然ガス生産と輸出を倍増させると決定したことは、世界の石炭からガスへの転換を加速させる可能性が高いことに加え、新世代の先進的原子炉の商業化への前例のないコミットメントにより、今後数十年で脱炭素化を加速させることにつながるかもしれないからである。同様に、ゲイツの貧困と公衆衛生問題への取り組みを重視するという転換の動きは、損失と損害や気候適応資金をめぐるCOPの長年にわたる議論よりも、最も脆弱な人々に対して、気候の極端な現象へのレジリエンスを改善する上ではるかに大きな効果をもたらす可能性があると言えるからだ。

これらすべての点において、COPは時間と資源の無駄であるだけでなく、しばしば積極的に害をもたらしていたとさえ言える。例えば、つい最近まで、世界最大のクリーンエネルギー源である原子力エネルギーに関する議論は、COPではサイドイベントに限定されていた(訳注:主な議題とはならなかった)。過去10年間の気候変動会議(COP)の結果、世界銀行のような多国間機関による化石燃料の採掘やインフラへの投資は、発展途上国において全面的に禁止されることになってしまった。これらの国々は世界全体の排出量にはほとんど影響を及ぼしていないことに加えて、極端な気象に対する脆弱性は気候変動よりもエネルギー貧困に起因するにも関わらず、である。一方で、発展途上国への緩和策・適応策支援の提供を約束する先進国の取り組みは、実際にこれらの国が受け取る援助の増加にはつながっていない。むしろ、教育や公衆衛生プログラムなど、実証済みの開発活動からの資金が転用され、疑わしい緩和策や適応策のプロジェクトに充てられてしまっているのである。

こういった連続的な失敗とそれによって引き起こされた被害の存在にもかかわらず、国連や気候コミュニティの他の関係者の間では、毎年開催されるCOPが果たして実際に役立っているのかについて再考する関心はほとんどないようだ。次回も、同じメンバーが今度はトルコの地中海リゾート都市アンタルヤに集まり、ブラジルで行われたのと同じ議論やドラマを繰り返すことになるのは目に見えている。蚊による感染を防ぐための蚊帳や子どもの予防接種に使われるはずの数十億ドルが、代わりに気候評論家の世界旅行や、これに関連して膨れ上がった巨大な政府、非営利団体、企業のサステナビリティ部門のために浪費され、COPにおいて交流が行われ、同じような演説が繰り返され、再び無意味な約束を取り交わすことになるのであろう。

もはや国連の毎年恒例の気候祭りは単に無意味な仕掛けとして無視するだけではいけない。COPを廃止すべき時期はとっくに過ぎているのだ。