次期エネ基、深い議論のために
書評:著者 古舘恒介 「エネルギーをめぐる旅ー文明の歴史と私たちの未来」
竹内 純子
国際環境経済研究所理事・主席研究員
(「電気新聞」より転載:2024年12月13日付)
今年11月、COP29がアゼルバイジャンの首都バクーで開催された。会場はバクー中心部だが、車を20~30分走らせるとオイルリグが稼働する郊外に出る。オイルリグといっても中東のような大規模なものではなく、井戸水でも掘っているようなのどかさだ。19世紀半ばに近代的な石油掘削が始まり、一時バクーは世界の半分の石油を生産していたというが、今はそれほどの活気は感じない。会議の合間をぬってヤナル・ダク(燃える山)を訪れ、人類にとってのエネルギーを考える原点ともいえる場所に本書を携えて立つことができたのは、大きな収穫だった。
本書は、著者がバクーを訪問するところから幕を開ける。エネルギー業界に長く籍を置く著者は、「『この世の中』は、実のところすべてエネルギーによって構成されている」「エネルギーの切り口で考えれば、この世の中の大抵のことは分かりやすく整理できる」と述べるが、まったくその通りだと思う。逆に言えば、この世の中のことを分析する上で、エネルギーの切り口を欠いていると、その分析は寝ぼけたものにしかならないということだ。
我々の祖先が火を使いこなし、エネルギーを確保し、投入し続けることで、人類は他の動物では成しえないことをしてきた。人類を人類たらしめているのはエネルギーであるし、人類の争いのほとんどはエネルギーの取り合いを起因とするものだともいえる。
私は常々、太平洋戦争の悲惨さを伝える報道や映画は多いものの、戦争が原油輸入を途絶されたことで起きたことを学ぶ機会がほとんどないことを憂慮している。エネルギーへの理解の浅さが、原子力と再エネ、化石燃料とそれ以外といった二項対立で単純化した議論から脱却できない要因ではないか。わが国はエネルギーで道を誤れば回復不能な打撃を受けるにも関わらず、議論が極めて表層的なことが気にかかる。
本書は、エネルギーの本質に迫る書だ。エネルギーを題材として取り上げているが、図表にはほとんど頼らずに丁寧な言葉で紡がれている歴史書であり、科学の書であり、哲学書でもある。
この本が上梓されたのは2021年8月。22年度のエネルギーフォーラム大賞受賞作でもあり既読の方も多かろう。それでも今回取り上げた理由は、バクーで燃える山を訪れたこともあるが、GX2040あるいはエネルギー基本計画の策定に向けても議論が深みを増していかない現状を憂慮してのことだ。年末年始、この本とともに過ごしてはいかがだろうか。
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