インフレ抑制法の空前の気候変動対策費は巨大な政治スキャンダルをもたらすのか
印刷用ページ監訳 キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志 訳 木村史子
本稿は、マーク・P・ミルズ https://www.city-journal.org/article/the-inflation-reduction-act-a-looming-political-earthquake City Journal を2024.11.4許可を得て邦訳したものです。
もし大統領選挙期間中でなければ、もっと多くの人々が、ブルームバーグの記事の見出しを引き合いに出して、「The World Bank Somehow Lost Track of at Least $24Billion」(世界銀行は少なくとも240億ドルを何らかの形で失った)ということについて話題にしていただろう。事実、それは現実を控え目に表現しているのかもしれず、世界銀行の「会計上の穴」は410億ドルにも達する可能性があるほどなのだ。問題の消えた資金は、「気候ファイナンス」プロジェクトのためのものだ。加盟国からの税金で賄われているが、最大の出資国はアメリカである。
ブルームバーグの記事の元となったオックスファムの報告書によれば、「この資金がどこに行き、どのように使われたかを示す明確な公的記録はなく、そのため、その影響を評価することは不可能である」という。消えた資金の多く、もしかしたら大部分は、意図された通りの人々や目的のために使われた可能性もある。しかし、その 「穴 」の説明として、横行する浪費、不正行為、接待、そしてまぎれもない盗みといった可能性を否定するのは、極めて間の抜けた人間だけだろう。このような巨額かつ急速な支出とずさんな監視は、まさに盗みを誘うようなものだ。
だが世界銀行の監督不行き届きなど、米国の誤って名付けられたインフレ抑制法(IRA)とその大規模な「気候ファイナンス」計画に比べれば、たかが知れている。IRAはその擁護者たちの言葉を借りれば「米国史上最大の気候政策」である。 この法律の大それた構想は、世界銀行を凌駕する。様々な試算によると、IRAは補助金や助成金などの直接支出で約3兆ドル、さらに義務や規則によって誘発される関連支出でさらに3兆ドルをもたらすという。これはオバマケアの費用をはるかに上回り、アメリカが第二次世界大戦に費やした4兆ドル(インフレ調整後)よりも多い。
気候変動の緊急性に関して、あなたがどちらの立場にいるかはどうでもよい。関連する政策と支出は、ほとんどすべて「エネルギー転換」を実現するためのものとなっている。また、そのような移行が賢明かどうか(実際はそうではないけれども)についても、あなたがどう考えるかはどうでもよい。問題は、IRAの支出は膨大であり、前例のない規模で浪費、乱用、不正を行う「政府全体」にとっての機会となっていることだ。もしあなたにとって、無駄や乱用の可能性がはっきりしないのであれば、連邦政府支出全般の、よく知られた特徴を考えてみよう。
2024年3月の米国会計検査院(GAO)説明の報告書によると、2023年度(2022年10月から2023年9月)の連邦政府支出全体について、「1,750億ドル以上が過払い金(例えば、死亡した個人や政府プログラムの資格を失った人々への支払い)」であり、「446億ドルが不明な支払い」であった。米国会計検査院(GAO)が唯一「良いニュース」と書いたのは、「不明な支払い」が、コロナ対策費が気前よくばらまかれた前年度より110億ドル少なかったことである。繰り返しになるが、政府の年間予算6兆ドルの中で、無駄遣い、不正、濫用などが「不明な支払い」や誤りに含まれていない、と結論づけるのは、相当に間の抜けた人々だけだろう。
そして今、IRAの登場である。IRAは、連邦政府の、あらたな巨大なファイナンス装置である。全体で6兆ドルを「気候変動資金」に振り向ける一方で、通常の連邦政府のプログラムに見られるような管理・監督上の規制は、はるかに緩やかなものとなっている。どのような悪い事が起きるだろうか?
好奇心旺盛な調査ジャーナリストたちはどこに行ったのだろうか?幸いなことに、まだ何人かは存在しており、特にリアル・クリア・インベスティゲーションのジェームス・ヴァーニーは最近、予備調査の結果を次のように発表した: 「Overnight Success: Biden’s Climate Splurge Gives Billions to Nonprofit Newbies(一夜にして成功: バイデンの気候変動対策、非営利団体新規参入に数十億ドルを提供)」
ヴァーニーの調査の目的は、基本的な支出政策の有効性、費用対効果、あるいは、掲げた目標を達成する能力を問うことではなかった(念のため申し上げておくが、私たちには政策の有効性と目標の両方を疑問視する十分な理由がある。例えば、全米経済研究所NBERの新しい分析によれば、「IRAはEV販売1台あたり2万3,000ドルから3万2,000ドルを支出している」ことが明らかになっている)。ヴァーニーはむしろ、調査報道の権限において、素朴な疑問に対する答えを求めた: 「誰がその金を得て、何に使っているのだろうか?」この 『政府全体 』の支出計画の巨額な規模は、一人の記者の調査では到底カバーしきれないのだからさらなる報告者の登場に期待したい。
やむなく彼は、ホワイトハウスの270億ドルの温室効果ガス削減基金という、ほんの一角にだけ焦点を当てることにした。先の4月に発表された以下のEPAのプレスリリースにはこう書いてある:「バイデン-ハリス政権は、民間資本を活用し、アメリカ全土の地域社会にクリーンエネルギーと気候変動解決策を提供するために、200億ドルの助成金を供与すると発表した。」そして、資金援助を受ける多くの組織について、またその資金で何をしているのか、何を計画しているのかについて、「あまり公開されていない」ことを突き止めた。
EPAのプレスリリースを読むだけで、浪費の可能性や「気候」との関連性について、いくつかのもっともな疑問が湧いてくるだろう。例えば、EPAの発表によると、この助成金の目的のひとつは、「140億ドル以上を低所得者や不利な立場にある地域社会に充てることであり、その中には40億ドル以上を農村地域社会に、また15億ドル近くを先住民地域社会に充てることが含まれている。これにより、プログラムの恩恵を最も必要としている地域社会に確実に行き渡り、大統領の『Justice40イニシアチブ』が推進されることになる。」としている。貧しい地域社会のエネルギー消費量は、裕福な地域社会よりもはるかに少ないことは言うまでもない。従って、貧困層の行動や購入を変えても、IRAが掲げる気候変動目標の達成にはほとんど何の役にも立たないだろう。ともあれ、助成金を受け取る団体が具体的に何をしているのか、あるいは何をしようとしているのか、そして誰がその団体を運営しているのか、もっと詳しい内容を知りたいものである。
ヴァーニーの報告によると、ある団体は2023年に非営利団体資格を取得し、その8ヵ月後に9億4000万ドルの給付を受けた。また別の団体では、NPO法人格を取得したわずか1ヵ月後に20億ドルの給付を受け取ったが、その際に報告された収入は100ドル(タイプミスではない)であった。ヴァーニーはこれらの団体の悪行を非難しているのではなく、誰がいつ何を得て、その資金がどこに流れているのかを明確にすることを意図したに過ぎない。しかし、彼が様々な受取人に連絡を取ったところ、返答がなかったか、あるいはあいまいな返答しか得られなかった。
繰り返しになるが、その支出が役に立つかどうかという疑問はさておき、合理的な考えを持つ人なら、今はまだ初期段階であり、このような野心的なプログラムを立ち上げるのは難しい、と反論するかもしれない。その通りだ。だがもちろん、初期とはまさに無駄や不正の可能性がプログラムに組み込まれる時期なのである。ヴァーニーは言う: 「今回の(270億ドルの)助成金は、大規模な助成金の世界に臨むのが初めてのアメリカ合衆国環境保護庁によって提供されたものだ。同庁は、これほど巨額の資金を交付したことはないことを認めており、同庁の監察官は先月、議会に対し、「非常に複雑」で「異例」な設定であり、私たち小規模なスタッフではフォローするのが難しいだろうと述べた。」
したがって、私たちは次のような明白な疑問に立ち戻ることになる: 「助成金を受け取る側を評価し、監視するために、助成金を提供する側はどのように運営されているのか。また、政治的インサイダーによって結成された団体はどのくらいあるのだろうか」。インサイダーは資金と事業機会のありかを知っているので、このインサイダーによるアレンジは容易なものだろう。しかし、国民はもっと知る権利がある。もちろん議会が効果的な監視体制を敷くことを望むだろう。なにしろ巨額の資金なのだから。
再びヴァーニーの報道から引用する: 「環境保護庁のショーン・オドネル監察官は9月の下院小委員会で、『このシステムがどれほど複雑なものになるか、いくら言っても足りない』と証言した。『まるで投資銀行を作ったようだ。非常に複雑です。異例だと思う』と述べたのである。」
民主党はインフレ抑制法(IRA)の功績を称えようと躍起になっている (この法律は共和党の賛成票を一票も得ずに可決されたが、これほど党派的に重要な法律が可決されたのはこれが2度目である。もうひとつはオバマケアだが、注目すべきは、数十億ドル規模の助成金プログラムを「政府全体」にばらまいたわけではないことだ)。 IRAの謳い文句と目標、そしてすでに投入された資金額からすれば、プログラムの成功を喧伝するニュースやプレスリリースがもっとたくさん出てきてもおかしくはない。結局のところ、IRAは、米国の部門全体を再編成するために行われた、これまでで最も費用のかかる取り組みなのである。
これ以上の情報がないとすると、いくつかの合理的な推測が可能である: 「もしIRAが、政府の大盤振る舞いに対して典型的な無駄遣い、濫用、不正行為の対象となっているのであれば、大きな政治スキャンダルが起こる可能性がある。そしておそらく他のどんな要因よりも、気候変動産業複合体の破滅が、『エネルギー転換』という不可能な目標を加速させるために投入される大量の資金によってもたらされる可能性がある。
よく使われる 「フォロー・ザ・マネー(お金の動きを調べてごらん)」という表現は、ウォーターゲート事件の捜査とその後の政局を描いた1976年の代表的な映画『大統領の男たち』に由来する。IRAの支出は、それよりもはるかに大きい。お金の動きについて真摯な調査報道が行われれば、巨大なスキャンダルが浮上する可能性が高い。