鉄鋼スラグ肥料から考える資源循環、食料安全保障
印刷用ページ本稿では、鉄鋼スラグという鉄鋼業で発生する副産物を主原料にした水稲用の土づくり肥料をベースに、この肥料の上流側を俯瞰しながら資源循環について、下流側を俯瞰しながら食料安全保障について考えを巡らせてみたい。
1. 鉄鋼スラグ(高炉法による)とは何か
(1)製造プロセス
高炉法で鉄鋼を製造するには、まず高炉に鉄鉱石、コークス(石炭を乾留して製造)、石灰石を投入。そこに熱風を送り込み、その熱によってコークスを燃やして鉄鉱石を溶解。(ここで出来るドロドロの鉄、すなわち銑鉄が英語で言うiron)。次に転炉でその溶銑に酸素を吹き込んで炭素分を燃やすとともに、ケイ素やリン、硫黄等の微量元素を取り除くことによってしなやかな鋼(英語で言うsteel)が得られ、これが下工程において種々の形状に圧延されていく。
鉄鉱石の鉄分含有量は62%程度なので、残りの38%はケイ素を中心とする鉄以外の成分であり、この鉄以外の成分、すなわち鉄鋼製造プロセスで発生する副産物が鉄鋼スラグと呼ばれるものである。(高炉から出てくる高炉スラグと、転炉から出てくる転炉スラグに大別される)
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- 因みに、鉄鉱石は約30~25億年前に海に溶けていた鉄イオンが、バクテリアの光合成で発生した酸素と結合して酸化鉄(Fe2O3、Fe3O4など)となって海底に沈殿したものが後に地上に隆起してきたもの。石炭(鉄鋼業で使用される原料炭)は約3~2億年前のシダ類でできた炭層からのものであり、元をただせばどちらも太陽エネルギーで作られたと考えられるかもしれない。
(2)生産量と用途
我が国では2023年度において高炉法で70百万トン弱の鉄鋼が生産され、その過程で30百万トン弱の鉄鋼スラグが産出された。現時点では、鉄鋼スラグの50%強がセメント原料、25%が路盤材、他はコンクリートの骨材や土木用などに使用されている中で、全体の1%弱が肥料として活用されている。
2. 鉄鋼スラグ肥料について
(1)概要
鉄鋼スラグには、その製造プロセスから明らかなように、ケイ酸、カルシウム、マンガン、鉄などが含まれるが、これらの成分は稲の生育に重要な役割を果たすものが多いことから、かねてより土づくり肥料として用いられてきた。鉄鋼スラグを粉砕したものを主原料として、必要に応じて副原料を配合した、粉状もしくは粒状の製品が鉄鋼スラグ肥料である。
因みに、鉄鋼スラグは1300℃~1650℃の高温で処理されるため有機フッ素化合物やダイオキシン類は含まれておらず、特に肥料用途向けには、土壌環境基準の46号試験に合格した、安全なスラグが出荷されている。
(2)肥効
①ケイ酸の効果
水稲は、ケイ酸を積極的に吸収する作物であり、根から吸収されたケイ酸は、地上部へ運ばれ、葉身や籾殻などの表面に蓄積される。水稲が吸収したケイ酸の役割は以下の通りである。
- ⅰ)
- 光合成能力の向上
水稲が多量のケイ酸を吸収すると、クチクラ層の下にケイ酸が集積してクチクラ蒸散が抑制される。ケイ酸吸収量の多い稲体は気孔を開いた状態で保つことができるので、気孔からの蒸散により稲体の温度を下げ、光合成に必要な二酸化炭素を取り込むことができる。また、葉身は直立型となり、受光態勢が改善され、日光が下位葉まで届き光合成能力が向上する。 - ⅱ)
- 根の酸化力の向上
水稲の根が健全な場合は、養分吸収能力が高く、水田が湛水状態で根の周辺の空気が遮断され酸素不足になっても根自体が酸素を放出し、根の周囲を酸化することができる。多量のケイ酸を吸収した水稲は根の酸化力が高く、根の吸水能力を向上させる。 - ⅲ)
- 病害虫に対する耐性の向上
水稲が多量のケイ酸を吸収すると、葉身や籾の表面に集積して物理的に強固になり、病菌 や害虫の被害を受けにくくなる。水稲のいもち病やごま葉枯病の被害を軽減したり、ニカメイチュウやウンカ・ヨコバイなどの害虫に対して抵抗性を高めたりする効果がある。 - ⅳ)
- 耐倒伏性の向上
水稲がケイ酸を吸収することで稲体がガッチリと丈夫になることから、光合成が盛んになって稈の太さ、稈壁の厚さ、維管束の太さが増加するとともに、根の活力も向上するので、稲の倒伏が軽減される。
②カルシウムの効果
土壌のpH改良により土壌中の微生物の活動が活発化して水田にすき込まれた生稲わらの分解を促進する。
③マンガン、鉄の効果
水田が湛水状態になると、還元が進行して土壌中の硫酸イオンから酸素が取られて硫黄(S)となり、これが水素イオンと結合した硫化水素(H2S)が稲の根に作用して、養分吸収の阻害、下位葉枯れあがりなどさまざまな生育障害を引き起こす。鉄分が施用されていると、土壌中の鉄が硫黄と結合して硫化鉄となることによって硫化水素の発生が抑制され、結果として根痛みの軽減につながることになる。
3. 鉄鋼スラグ肥料の有効活用の意味合い
(1)土づくりへの貢献
鉄鋼スラグ肥料の施用量減少、潅漑水中のケイ酸濃度の低下などによって、水田土壌のケイ酸地力の低下が全国各地で報告されている。近年では、水稲の登熟期間の高温障害等による米の品質・収量低下が顕著になっていることから、スラグ肥料をはじめとするケイ酸質肥料の重要性が見直されている。
このような中で、農水省が本年3月に「農地土壌をめぐる事情」の中で、「有効態ケイ酸含有量の改善方策は不足分に相当するケイ酸質肥料を施用」することであると明言していることからも明らかなように、ケイ酸を多く含む鉄鋼スラグ肥料は日本の米づくりに大きく貢献することができる。
(2)国産資源の有効活用
先述した通り、鉄鋼スラグそのものは毎年約30百万トンも産出されている国産資源であり、かつ、植物にとっての必須元素と言われる窒素(N)、リン(P)、カリウム(K)を中心とする化成肥料に比して相当安価であることから、化成肥料の原料のほとんどを輸入に依存する我が国とっては、土づくりの観点からだけではなく、安全保障上の観点からも有効に活用すべき資源であると言えるだろう。
(3)産業を超える資源の有効利用
以上に加えて、第二次産業である鉄鋼業の副産物を、第一次産業の農業で有効に活用するという構図そのものが、産業を超えた循環型社会の好事例であり、今後ますます促進していくことが期待される。
4. 食料安全保障について
(1)我が国の食料自給率
一日に玄米四合(米一合は150グラム)を食べていた宮沢賢治の時代、日本の1人当たりのお米の消費量は年間220キロであったと推定されるが、農水省の統計によれば2022年度の我が国の1人当たりのお米の消費量は年間約50キロであり、明治時代の実に4分の1にまで激減している。
この背景には、食の西洋化、工業化の裏で進んだ減反政策、農業技術の向上など種々の要因が考えられるが、われわれが注目すべきは、結果として現在の我が国の食料自給率(カロリーベース)が38%しかなく、諸外国と比しても極めて脆弱な需給構造に立脚しているという現実であろう。
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- G7各国の2021年の食料自給率(カロリーベース) 農水省HPより
カナダ:204%、フランス:121%、米国:104%、ドイツ:83%、英国:58%、イタリア:55%
(2)食料安全保障について思うこと
昨今、経済安全保障の議論がハイライトされ、各種法整備も進められてきた中で、本年2024年には食料・農業・農村基本法の改正が25年ぶりに実施された。本改正の目玉の一つとされた食料安全保障問題については、当初はマスコミにも注目されたが、結局、国民的議論が巻き起こることもなく、同法の改正法は本年5月に成立している。
農水省が公表しているデータを見ると、食料自給率(カロリーベース)が38%、ふだん仕事として主に自営農業に従事している基幹的農業従事者の平均年齢が68歳で、65歳以上が占める割合が71%となっており、農業関係者からも日本の農業の将来についての不安が囁かれるようになってきている。
このような中で、食料安全保障に関して、経済やエネルギー問題と同じように議論がなされない現状は、国としてあまりにもバランスを欠いていると言わざるを得ない。私見ではあるが、中長期的にどのような生産資材(肥料、農薬等)を用いれば、どの農産物をどのくらい生産して国民の食を確保していくことができるのか、国としての議論を始めなければならない時期が迫っているように思えてならない。
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- 藤井弘志 水稲とケイ酸(ファーム・フロンティア 2020年)