イデオロギー偏向に沈んだ「情報災害」対策(1)


福島県出身・在住 フリーランスジャーナリスト/ライター

印刷用ページ

 偽情報とプロパガンダが飛び交ったALPS処理水(以下処理水)問題では、社会が大きく翻弄された。
 しかし海洋放出から1年が経った今や、話題になることも少ない。一方で、この問題が発生・長期化・複雑化した要因に対して、検証と総括は十分に為されたと言えるのか。何を教訓とすべきか。本記事では、これらに焦点を当てる。

 そもそも処理水には科学的安全性、諸外国の一般的な原子力施設との比較、いずれの観点からも特異なリスクが無いのは自明であり、本来は議論の余地など無かった。これほど大きな社会問題となり、長期化・複雑化したのは何故か。その要因を強く示唆するのが、前回の記事注1)で明らかにした。

<処理水問題を巡る反対者には「政治的党派性」との強い相関があった>

<処理水関連の「風評加害」は無知ではなく目的と確信を以て行われた>

状況と言える。

 つまり、この問題の本質は「情報不足による素朴な不安」ではなく「情報戦」であった。これまでの記事で無数の根拠と共に示した通り、誤情報を用いて社会問題化させようとする動きも多々見られた。必然的に、その対策には『正確な情報発信による科学的知見の周知』以上に、『偽情報とそれを拡散する勢力に対する徹底的な反論』も強く求められた。

処理水問題に沈黙した日本学術会議

 ところが、日本社会では偽情報対策が十分に機能しなかった。特に、多くの専門家を擁するアカデミズム、広く情報を周知するマスメディアなどのジャーナリズム、偽情報を検証・否定するファクトチェック機関は事実上の機能不全に陥った。まず本記事では、アカデミズムに着目しよう。

 たとえば、自ら「我が国の科学者の代表機関」と称する日本学術会議は処理水問題に沈黙し、科学的提言どころか声明や談話の一つすら出さなかった。それどころか、学者の中には積極的に「汚染」の流言飛語、あるいは正確な情報の周知や住民の合意形成妨害に加担した者さえ少なくなかった。
 無論、個人として声を上げ尽力した少数の専門家の存在までは否定しない。しかし結果を見れば、「国内で科学・専門的知見が強く求められた巨大な社会問題発生時、すなわち多くの国民が直面した困難に対して学術会議は何一つ公的な対応無く無視を貫き、解決を政府に丸投げした」現実だけが残された。

 「それは学術会議の仕事ではない」との意見も見られた。しかし、学術会議は自らの使命を『行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的としています』注2)と記す。大きな社会問題となり、広く国民から知見も求められた処理水問題にさえ沈黙した挙句、全く省みようとしない。一連の態度は、学術会議の存在意義と独立性に対する国民からの理解と信頼を大きく損ねたのではないか。
 そもそも同じ時期、韓国の専門家は全く対照的だった。「我々専門家が沈黙すれば国民に被害が及ぶ」との危惧を表明し、処理水関連の偽情報に公然と対峙し反論していた注3)。隣国の韓国の専門家に出来て、当事国の日本にできなかった理由は何か。
 仮に百歩譲って「政治的な社会問題に一切口出ししない」方針が一貫されていたならともかく、現実はそうではない。日本学術会議はこれまで「LGBT」などをはじめとした、いわゆる左派・リベラル的なイデオロギーに親和的な社会問題では積極的に提言などを出してきた前例があるからだ。何故、このように差別的な不均衡が起こったのか。

イデオロギー偏向が機能不全をもたらしたのではないか

 要因として強く疑われるべきは、前回記事の終段で示した『攻撃者・風評加害者側のみならず、情報災害を食い止めるべき防御側にも問われる<政治的党派性の影響>』である。つまり、アカデミズム内部の政治・党派的イデオロギーの偏向が解決を妨げた要因ではないかとの仮説であり、疑念あるいは告発だ。

 この仮説の正当性を強く裏付ける研究もある。米国におけるアカデミズム業界の政治党派性の偏向傾向と弊害を指摘した『傷つきやすいアメリカの大学生たち─大学と若者をダメにする「善意」と「誤った信念」の正体』(グレッグ・ルキアノフ、ジョナサン・ハイト・著 西川由紀子・訳 草思社・2022年)では、

「教員たちの政治的多様性が失われると、政治色の強い内容を扱う分野では特に、学術研究の質および正確さが損なわれるおそれがある。(中略)ある分野で政治的多様性が欠けると、研究者たちはえてして、自分達が共有する物語が多くの場合に裏付けられるような論題や研究方法に集まり、裏付けられない論題や研究方法には目を背けがちだ」「彼らから学ぶ学生たちも、左翼的な見解から引き出された著書や研究結果に多く触れることになるため、平均して『左寄り』の真実に行き着きやすくなる」「学界コミュニティがかなり高いレベルの政治思想の均質性および連帯感を獲得すると、(中略)大学の標準的な目的と対極にある特性を帯びるという危険性がある。(中略)政治的に確立された考えを強いやすく、自分達の重要なイデオロギー的信念に挑んでくるものへの耐性は低下しやすい。(中略)外部からの脅威を感じると特に、魔女狩りを起こしやすい」

と記す。
 同書では、米国の大学教授(全分野)を対象とした政治党派性をそれぞれ「極左または進歩主義」「中道」「極右または保守派」にカテゴライズした調査結果も記されている。1989年前後ではそれぞれの割合が順に、41~42%、約40%、18~19%という、おおよそ2:2:1程度の割合であったのに対して、2011年にはそれぞれ62~63%、25~26%、12~13%前後と5:2:1の割合にまで変化している。
 格差の拡大は「社会正義」に関する分野になると更に顕著となり、たとえば教育心理学では、1930~90年代半ばまでは左派と右派がそれぞれ2:1ないしは4:1の割合だったが、2016年には17:1にまで極端に拡大した。その他の人文科学系および社会科学系の主要分野でも、ほぼ10:1以上に偏っているという。日本でも米国と類似した傾向が生じている可能性が高いのではないか。

 事実、これまで根拠と共に何度も示したように、処理水に対する流言飛語を広めてきた主体は、いわゆる左派・リベラルを自認する党派性に親和性が高い勢力とその支持者らが中心であった。それらへの検証と批判は、必然的に左派・リベラルを自認する勢力を不利に導くことを意味する。
 日本でも左派・リベラルの「正しさ」が支配的になり、アカデミズム内部あるいは外部から期待される強い政治的党派性と同調圧力、それに伴う業界内での仕事や出世などの生殺与奪に関わりかねない利害関係などがあった場合、火中の栗を拾うには高いリスクが生じる。ルキアノフとハイトが指摘したように、『自分達の重要なイデオロギー的信念に挑んでくるものへの耐性は低下しやすい。(中略)外部からの脅威を感じると特に、魔女狩りを起こしやすい』状況が生まれるからだ。実際に、2014年に『放射能とナショナリズム』を執筆し、片仮名表記「フクシマ」の欺瞞と加害性を告発した小菅信子山梨学院大学教授は、同著執筆後に数々の暴力的恫喝や嫌がらせがあったことを公言している注4)
 これは全く特異な例ではない。同じ2014年には、コピーライターの糸井重里氏が福島の直売所で桃を買った様子をSNSにアップしただけで批判的なコメントが100件以上向けられ炎上した注5)
 先祖代々福島に生まれ育ち、震災前から福島に暮らし続けている一般福島県民の私でさえ、科学的事実や福島の現状を伝えただけで「弱者・当事者の味方」「左派・リベラル」を僭称する県外の人々から無数の攻撃を受け続けてきた。攻撃者には、少なからぬ学者や政党関係者まで含まれていた。リンチ事件を起こした反社会的な集団から名指しで「潰す」と恫喝されたことさえある。

 このような状況は個人か団体かを問わず、少なくない研究者にとって口を噤む、初めから問題に関わらず無視する、あるいは間接的に風評加害側を擁護するための充分過ぎる動機になるだろう。アカデミズムはイデオロギー偏向による機能不全に陥り、結果として被災地を見殺しにし続けたのではないか。

 この疑念、あるいは告発は、処理水問題のみならず福島の原子力災害全般に通底している。 事故直後から数多くの流言飛語や心無い暴言、偏見差別など、福島という土地や人々に対する深刻な人権問題が頻発した。当時を大人として生きた人々なら「誰しも」と言えるほど、実例を見聞きした記憶も残っているはずだ。
 あれらの騒動は結局、何だったのか。13年後の結論から言えば、福島の原子力災害では、被曝そのものを原因とする健康被害は出なかった。一方で、震災関連死を含む健康被害は福島で突出した。放射線リスクに関する意見対立で家庭が崩壊したケースもあった。
 それらが意味するのは、偽情報により煽動された不安と恐怖によるメンタルヘルスの衝撃、すなわち「風評加害」「情報災害」が人を殺したということだ。メンタルヘルスの衝撃こそが原子力災害被災地最大の地域保健問題となることは、2006年にWHOが行ったチョルノービリでの総括の知見からも明らかだった注6)

 ところが、福島における「風評加害」「情報災害」被害の実態は、不自然な程に無視あるいは免罪され続けた。政治家や著名人が加担してもスキャンダル扱いにならず、前述した小菅信子山梨学院大学教授や開沼博東京大学准教授など一部の例外を除き、研究対象にすらならなかった。必然的に、福島に向けられた暴言暴力、印象操作や流言飛語など風評加害の記録もほぼ散逸しかけている。

 私は強い失望と危機感を覚え、それらの具体例と背景を自ら記し、2022年に『「正しさ」の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か』注7)、2024年に『「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』注8)をそれぞれ上梓した。

 しかしこうした仕事は本来、アカデミズムが存在感を示し、積極的に為される必要があったはずだ。専門家が背を向け沈黙した中、なぜ一般市民でしかない我々が自ら矢面に立って声を上げ、反論し、記録をしなければならなかったのか。今こそ強く問われる必要があるだろう。
 処理水海洋放出から1年になった今、「風評加害」「情報災害」に対処できなかったアカデミズムに、反省や総括、改善の動きはあるか。
 少なくとも私には、全くの皆無に見えている。

注1)
https://ieei.or.jp/2024/08/special201706061/
注2)
https://www.scj.go.jp/ja/scj/qa/a3.html#:~:text=%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82-,%E3%82%8F%E3%81%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%81%AE%E5%86%85%E5%A4%96%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E6%A9%9F%E9%96%A2%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6,%E3%82%92%E7%9B%AE%E7%9A%84%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
注3)
https://x.gd/xTDA7
注4)
https://twitter.com/nobuko_kosuge/status/1798341413010329936
注5)
https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/23/shigesato-itoi_n_5702206.html
注6)
https://www.env.go.jp/content/900412332.pdf
注7)
https://www.amazon.co.jp/dp/4198654417
注8)
https://www.amazon.co.jp/dp/4198657750