EVの普及スピードをどう読むのか
エコシステム(産業生態系)への着眼
柴田 友厚
学習院大学国際社会科学部 教授、東北大学名誉教授
ここにきて、電気自動車(EV)シフトに減速感がみられる。EVの拡大基調は変わらないが、米国と欧州の一部では販売の伸びが鈍化している。しかし中長期的にみれば、EVが自動車産業での中核的な脱炭素技術の1つであり続けるとの見方は大方で共有しているのではないだろうか。問題はその普及スピードをどう読むのかと言う点にある。
本稿ではEVの普及スピードを推し量るのに、EV本体への着眼だけではなくて、それを取り巻くエコシステム(産業生態系)の観点がひとつの手がかりになることを紹介する。エコシステムと類似した概念にサプライチェーン(部品供給網)という概念があるが、これらは似て非なるものだ。サプライチェーンは、文字通り当該製品に対して部品を供給する供給連鎖のネットワークである。そして、サプライチェーンを構成する企業間には部品購買等の取引関係が存在している。例えばEV本体の主要部品はモーターとバッテリーだが、EVメーカーはこれら部品メーカーから部品を購入してEVを作る。
他方で、エコシステムとは、当該製品と補完的な関係を持つ複数の補完財から成るシステムを言う。ここで補完的とは、元来別々の財だが相互に価値を高め合う相互促進的な関係性を指す。そのような場合、単独で存在するよりも両方の財がそろうことで、一層顧客への価値が高まることになり、一方が売れるともう一方の財も売れるという好循環の関係が形成される。その逆もまた真である。その意味でエコシステムは運命共同体の関係と言ってもいいだろう。
コンピューターにおけるハードウェアとソフトウェアの関係がわかりすい例だ。かつてパソコンの草創期、一握りのマニア向け玩具としてスタートしたアップルⅡが、人々が欲しがるビジネスツールになるためには世界初の表計算ソフト「VisiCalc」の誕生が必要だった。補完財である表計算ソフトは、一部のマニアのものにとどまっていたアップルⅡを一般大衆が欲しがる価値ある商品へと変貌させたのである。ただしアップルは表計算ソフトメーカーと直接取引を行うわけではない。最終消費者がアップルⅡと表計算ソフトを別々に購入するのである。ここからわかるように、サプライチェーンとのもう一つの違いは、エコシステムの場合、補完財メーカーとの間で直接取引が行われるわけではないということだ。
図表は、EVを例にとりサプライチェーンとエコシステムの違いを表したものである。EVの一つの特徴は、エンジン車と比べて、EVの価値に影響を与える多くの補完財に囲まれているという点だろう。とするならば、EVの将来動向を読むには、エコシステムの整備状況の観点が欠かせないということになる。
まず充電インフラから見てみよう。EV本体は充電インフラと補完関係を持ち、高性能な充電インフラが十分整備されているか否かが、EVの価値に大きな影響を与える。現在、国内はもとより世界的にも充電インフラが不足しており、走行中の電池切れ不安が消費者の購買意欲を減退させている。これは補完関係を持つがゆえの負の作用であり、EV本体の技術的価値は変わらなくとも顧客にとっての価値は毀損する。負の作用は早急に取り除く必要がある。
他方で、価値を高める正の作用を持つ補完財もEVの周りには存在する。例えば、EVは電池を積んでいるために、エネルギー・マネジメントシステムと補完性を持ちそこに新たな価値が生まれうる。電力インフラとしてEVを組み込むV2G(ビークル・ツー・グリッド)や家庭の電源としてEVを使うV2H(ビークル・ツー・ホーム)などはその例だ。エネルギー・マネジメントシステムにEVを組み込めるようになれば、移動手段とは全く違う新たな価値をEVは帯びるようになるはずだ。さらに、ガソリン車と比べてデジタル技術の割合が高いEVは高度な連結性と接続性を持つために、様々なコネクティッドサービスと補完性を持つ。家電やクラウドとの連携によるサービスもその一つだ。さらに他の交通機関との連携によるMaaSなどのサービスが可能になり、そこにガソリン車では提供困難な新たな価値創造が可能になる。
中でも最大の主戦場は自動運転だろう。この点に立ち入る前に、EVと自動運転の関係について現在若干の議論の混乱が見られるので、その辺を改めて整理しておくのが有効だろう。EVは車の動力源に関する議論である。車の動力源を、モーターとバッテリーにするのか、あるいは内燃機関にするのかという動力源の技術選択に関わる問題だ。他方自動運転は、車の知能化に関する議論である。ハンドル操作や加減速の制御を、人間主導で行うのか、あるいはシステム(より正確にはソフトウェアとロジック半導体)の自動制御で行うのかという問題である。両者は別物であるがゆえに、内燃機関を動力源とする車の自動運転、という組み合わせも理論的にはありうる。自動運転とEVは全く別個の議論であり技術革新の方向性も違う。だが、両者がほぼ同時期に台頭してきたことに加えて、CASEやMaaS、SDVなどの類似した概念が多用されるようになったことが、議論のわかりくさの一因であろう。
繰り返しになるがEVと自動運転は概念的に別物である。だが、EVは内燃機関に比べてデジタル技術の割合が圧倒的に高いために、EVと自動運転は相性が良く、両者は補完的な関係になっている。安全で安心な自動運転を実現しようとすれば動力源としてEVが選択され、EVは自動運転の実現可能性を高めるという好循環サイクルが働くであろう。従って現実的には、EVと自動運転は表裏一体と言っても良く、自動運転を実現しようとすればEVシフトが要請される。こうしてEVシフトの議論は、脱炭素だけに限定された問題ではなくなり、車の知能化などを含むもっと広がりを持ったテーマと連動することになる。
現在、自動運転開発は、巨大IT企業をも巻き込みながら熾烈な開発競争が世界的に展開されているが、その帰趨に影響を与える技術基盤は、高速演算処理を可能にするロジック半導体とソフトウェアだ。安全で自然な自動運転を実現するには、機械学習を使った画像認識、車の走行環境の認識、走行経路の策定と車両の迅速な制御などが必要であり、現在の車載半導体とは桁違いの性能を持つ半導体が必要になる。さらに過酷な走行環境下で使われるために、スマホ等の民生半導体と比べてより高度な頑健性や応答性、省エネ効率などの特性が必要になる。そのような車載独自の高度な要求に答えることができる半導体技術の進展具合もまた、自動運転開発の成否に影響を与え、それが巡ってEVシフトにまで影響を及ぼす。
これまでみたように、EVはバッテリーを積んでいることに加えて、デジタル技術の比重が高いために、EV本体の周りには補完的な関係を持つエコシステムが形成されており、それらの整備状況がEVシフトのスピードに様々な経路で影響を与えるのである。全固体電池などEV単体の技術進化だけを凝視するのではなくて、視界を広げてEVを取り巻くエコシステムにまで広く目を向けることが必要になる。