嘘の水問題で遅延したリニア

書評:小林 一哉 著『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太 「命の水」の嘘』


キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹

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(「電気新聞」より転載:2024年5月24日付)

 静岡県の形を見ると北の方にツノのように飛び出た部分がある。これが大井川の源流域で、リニアはここを横切ることになる。距離にすると10キロメートル程度だ。

 このトンネル工事が静岡県民の「命の水」を奪うとして、事実上建設を止めていたのが川勝知事である。川勝知事は話がうまくて県民には人気があり知事を4期務めたが、失言癖もあってついに辞職に追い込まれた。だが今でもリニア工事を遅延させたことを自身の功績として誇っているようだ。

 実際のところリニア工事で水が山梨県側に流出するといっても微々たる量である。しかも工事後は全量静岡県に帰ってくるし、工事中についても近隣の田代ダムでの取水を控えることで大井川流域の水量は減らない。以上のことはJR東海のホームページやパンフレットにある説明資料でとても分かりやすくまとめてあった。

 そもそも大井川流域は雨量が多く水は豊富だ。地形を見れば、黒潮で運ばれた暖かい海水から湿気が入ってきて、県の北側に連なる3000メートル級の南アルプスに阻まれて雲は全て降雨となる。年間降水量が4000ミリメートルを超える所もある。

 それでは「命の水」という話はいったいどこから来たのか。これについて詳しく書いてくれているのがこの本だ。

 歴史的に言えば、大井川の水問題というのは、水源域とは関係なかった。大井川の水力発電開発をしたときに、井川ダム付近から川口ダム付近のいわゆる「中流域」において、大井川の水はその大半が水力発電用の鉄管の中を流れることになった。このため中流域はまったく水が無くなり、「河原砂漠」と呼ばれる状態になった。

 高度経済成長が終わると、川の自然の回復を望む声が高まり、中流域の人々は「水返せ運動」を実施。かつての大河川には及ばないが一定の維持流量が保たれるようになった。ところがこの「水返せ運動」に下流域の人々は反対した。下流域からすれば、豊富な水を前提に農業や工業を興していたのだから、これは理解できなくもない。

 だがこのような本来無関係な歴史的記憶に、科学的とは言い難い形で火をつけることで川勝知事は人気を博し、リニアは遅延した。日本の県知事は直接選挙で選ばれるうえに、事業に対する事実上の拒否権をあちこちで持っている。これでは大規模なインフラ整備は進みにくい。


※ 一般社団法人日本電気協会に無断で転載することを禁ず

『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太 「命の水」の嘘』
小林 一哉 著(出版社:飛鳥新社
ISBN-13:978-4864109185