スコープ3の算定・開示が義務化された世界を想像してみます


素材メーカー(環境・CSR担当)

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 前回、スコープ3には国際的にはもちろん日本国内ですら統一された算定ルールがなく、当然ながら企業間の比較もできず、推計値ではCO2削減にも使えないということを述べました。それでも金融庁は上場企業に対してスコープ3義務化を進めているようです。ESGコンサルタントや機関投資家が言うように、スコープ3の算定・開示が社会の脱炭素に貢献し、資金調達につながる投資判断で有利に働き、企業価値の向上にも資するのであれば上場企業のみならずあらゆる企業が我先にと取り組むはずです。

 そこで、スコープ3の算定が義務化されあらゆる企業が開示した世界を想像した上で、考えられる問題点を列挙してみます。ただの頭の体操です。

 まずはダブルカウントの問題。すべての企業がスコープ3を開示する場合、同じCO2排出量を二重、三重、四重にカウントしてしまう問題が発生しそうです。スーパーA社がペットボトル飲料を仕入れるための輸送に1リットルのガソリンが使われたと仮定します。これは約2.3キログラムのCO2排出に相当します。この2.3キログラムはA社の仕入れに伴う輸送のCO2排出量だけでなく、飲料メーカーB社とペットボトルを製造した容器メーカーC社でも自社製品の輸送に伴うスコープ3としてもそれぞれカウントされることになります。そればかりか、トラックを製造した自動車メーカーD社の自社製品使用段階におけるスコープ3排出量にもカウントされます。さらにはD社に自動車部品を納めた部品メーカーE社、F社、素材メーカーG社、H社などもこの2.3キログラムを何らかの按分をしてそれぞれでカウントされ…(以下略)。すべての企業がスコープ3を開示した場合、現実にはひとつしか存在しないCO2排出量が無限に増殖してしまうという頓珍漢な命題が浮上してしまいます。

 続いて実測の問題。前回述べた通り「活動量×原単位」では自らのビジネス縮小をめざすKPIを設定することになってしまいます。これではダメだ、実測してちゃんと脱炭素に貢献しなければ、と考える真面目な企業がきっと出てくるはずです。スーパーA社の場合であれば、仕入れている米や魚や野菜やお菓子がどうやってつくられているのか、どこからどのような手段で輸送されてくるのか、従業員の自宅から職場までの距離は各自何キロメートルなのか、マイカー通勤であればガソリン車なのかハイブリッド車なのか、そして各自の燃費は、電車やバスで通勤している場合は同じ車両に乗り合わせている日が何日あるのか(単純に乗車距離✕従業員数ではCO2排出量が過大集計になる!精緻に計算しないと!)、米や野菜を買ってくれたお客様がどのような交通手段で各家庭まで何キロメートル運んでいるのか、野菜や米の生産者ごとにどのようなエネルギー管理を行っているのか、売上データの管理を外部委託しているIT企業が借りているデータセンターの電力使用量と、その電力は石炭火力発電由来かLNG火力発電由来か原子力発電由来か太陽光発電由来かまたは複数の発電方式の組み合わせで電源構成の比率はどうなっているのか…(以下略)。無限にデータ収集を行うことになります。

 さらにCO2削減施策問題。このスーパーが膨大な手間とコストを費やして米や野菜など各仕入先の輸送距離や燃料種別を完璧に整理できたとします。目的はスコープ3の把握ではありません。CO2の削減です。仕入れ先の行動を変えてCO2を削減するためには、ガソリン車をハイブリッド車に切り替えてもらうためのお願いや車の買い替え費用の負担が必要になるかもしれません。輸送の便数を減らすために積載効率を見直してもらったり、野菜や米の生産者を、従来の味やコストに加えて生産方法やエネルギー使用量や輸送距離も検討するためのサプライヤー選定基準を整備したり…(以下略)、これまた途方もない作業が延々と繰り返されることになりそうです。スーパーの営業時間は同じなのに従業員の残業が増え、オフィスのエネルギー使用量が増え、利益は激減するでしょう。

 最後に企業間比較の問題。仮に同じ業種、売上高も従業員数も似たような規模の2社について、投資家がスコープ3データを比較して投資先を選定するとします。スコープ3を見比べた際に、I社は毎年増加していて、J社は毎年減っているとしたらどちらを投資先として選ぶのでしょうか。もしもスコープ3の削減が進んでいるという理由でJ社を選定したら大損するかもしれません。なぜなら、スコープ3は「活動量×原単位」で算定されているためJ社のCO2削減はビジネス縮小に依拠している可能性が高いからです(まさか年によって排出原単位を恣意的に選ぶ企業は存在しないはずなので)。仮にJ社に投資してリターンが得られたとしても、それはスコープ3ではなく別の要因か、ただの偶然です。この場合はスコープ3が毎年増加しているI社の方が投資先としては魅力があるはずです。しかし、所詮は蓋然性の低い推計値のためあれこれ分析しても徒労に終わることでしょう。

 金融庁もESGコンサルも投資家も、こんな世界を望むのでしょうか。