テクノロジー楽観主義 VS テクノクラート(官僚)楽観主義【2】
インフレ抑制法成立一周年にあたって
テッド・ノードハウス
Executive Director of Breakthrough Institute/ キヤノングローバル戦略研究所 International Research Fellow
アレックス・トレンバス
Deputy Director at Breakthrough Institute
監訳:キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志 邦訳:木村史子
本稿は「On the Difference Between Techno and Technocratic Optimism: The Inflation Reduction Act at one」を許可を得て邦訳したものである。
前回:テクノロジー楽観主義 VS テクノクラート(官僚)楽観主義【1】
産業政策フェティシズム
バイデン政権が大規模な公的技術投資と大胆な規制要件を政府レベルで結びつけたことで、多くの進歩派は産業政策の復活を祝福するようになった。しかし、こうした取り組みに「産業政策」という名を冠することは間違いなくスリリングなことだが、多くの人々は、そもそもなぜ産業政策が問題視されるようになったのかを忘れてしまっているようだ。官僚主義的で中央集権的な産業政策の歴史の教訓はまちまちだ。うまくいくこともあったが、全然うまくいかなかったこともある。
ここではっきりさせておきたいのは、私たちはこれまで同様、ブレイクスルー・インスティテュートの仲間たちとともに、テクノロジーとインフラへの公共投資が米国と世界の脱炭素化のカギを握っていると信じているということだ。私たちは長い間、通常、純粋な研究に対する公的資金投入以外は、ソビエト式の中央集権的計画と見なして退けてきた右派の懐疑論者たちから、このような政策を擁護してきた。そして、その公的なイノベーション政策が一般的な福祉に貢献することを説いてきた。
しかし、バイデン政権とその支持者たちが今提案しているのは、米国で歴史的に成功してきた産業政策をはるかに超えるものだ。資金(低炭素技術への巨額の補助金)、モデル(補助金を政権の気候変動目標に結びつけるためのもの)、義務化(モデル予測に基づく排出規制)を組み合わせることで、政権は本質的に手段を変えて、トップダウンの生産目標を確立しようとしている。
経済学者・哲学者のハイエクの信奉者でなくとも、これが計画通りにいかない理由がわかるだろう。電気自動車を例に考えてみよう。消費者にも生産者にも手厚い補助金が用意されている。厳しい排ガス規制が迫っている。自動車メーカーは、民主党の政策立案者とESGを重視する投資家の両方から、EVへの生産シフトを強く求められている。
こうした状況を受け、米国の自動車メーカーは新たなEV生産ラインに多額の投資を行っている。しかし、これらの車の市場が実際にどうなるかはまだ明らかではない。現在のEVのほとんどは、セカンドカーやサードカーとして使用する高所得世帯に販売されている。EVの価格は、バッテリーのコストが低下していたにもかかわらず、この10年間一貫して上昇している。また、ここ数年を見ると、バッテリー自体のコストも上昇している。そして、充電インフラは、誰が見ても極めて不十分なままである。
業界がこうした課題を克服する可能性はあるだろう。しかし、そうならなかった場合、米国の自動車メーカーは、十分に活用できない生産能力と、採算の取れない販売車両を抱えることになる。 こうなると自動車業界と納税者の双方に多大な影響が及びかねない。最悪の場合、EVについての補助金と規制のせいで破綻寸前になった自動車産業に対する大規模な救済措置が政府によって実施されることになり、その結果、米国の気候変動目標も、産業政策に対する好意的な機運も、共に崩壊してしまうかもしれない。
もう一つの例を検討しよう。インフレ抑制法(IRA)は、水素の新規生産に、非常に寛大な補助金を提供している。水素の利用によって、長距離・大型トラック輸送、鉄鋼・肥料生産、石油精製など、米国経済の脱炭素化が困難な分野でCO2排出量を削減することができる、水素は重要なツールだ、との考えによるものだ。すでに、どのようなクリーンな水素の製造が許可されるべきかについて、激論が交わされている。しかし、より大きな問題は、今後10年間で水素の大量生産が実現すると仮定した場合、インフレ抑制法(IRA)が奨励する新しい水素生産すべてに大きな需要があるかどうかである。
今日、ほとんどの水素は、主に化学精製や肥料製造の原料として使用されている。インフレ抑制法(IRA)が補助するクリーン水素が経済的に競争力を持つならば、これらの過程でクリーンな代用品として水素を使用することで、それなりの排出削減効果が期待できる。しかし、そのモデルの多くは、2030年までに米国の水素生産が50~100%増加すると予測している。これほどの需要増は、鉄鋼生産などの工業プロセスや、現在水素をまったく使用していない大型トラック輸送などの分野で、水素が新たに使用されることを想定しているのである。
この場合、クリーン水素は、現在のようにメタンを改質して製造されている水素の単なる代替とはならない。むしろ、これらのセクターにおける水素への転換には、コスト効率の高いクリーン水素だけでなく、今後10年間で、従来の水素製造では経済的に競争力のない、クリーン水素のまったく新しい産業用途を商業化することが必要である。
これらの新しい用途が実現しなかった場合、水素製造のもうひとつの用途は、環境保護庁(EPA)の発電所規則案に明記されているようだ。つまり、将来的にガス火力発電所と水素を混焼させた発電所を建設する可能性を想定しているのだ。このような未来では、電力網が大量の電力を使って大量の水素を製造し、それを消費して新たなクリーン電力を発電するという、非生産的な使い方をすることになる。
ただし、このシナリオが実際に実現するとは誰も思っていない。EPAは、連邦大気浄化法の権限に基づく汚染防止は「工場の塀の向こう側」には及ばないという最高裁判所の判決を回避するために、水素混焼を既存のガス火力発電所からの炭素排出を緩和するための「利用可能な最善の技術」として指定した。しかし、EPAはもとより新ルールの策定・推進に携わった事実上すべての関係者は、電力会社は水素とは別の手段で新排出基準を満たすと予想している。すなわち彼らは、その発電所規則案のもとでは、2040年までに水素混焼が発電量全体の僅か1.5%を占めるという程度にしか考えていない。
EVの場合も水素の場合も、排出量を削減するだけにとどまらず、エネルギーと交通の政治経済の再構築を望み、IRAの実施戦略において妥協することを知らない急進的な気候変動対策推進主義者は、望んでいるものは何なのか、注意した方がよい。例えば、多額の補助金を得ているグリーン水素産業は、再生可能エネルギーや原子力の普及を促進する政策の代わりに、水素の混焼にさらなるインセンティブを与えるようロビー活動を行うかもしれない。あるいは、採算のとれないEV生産能力に苦しむ自動車産業は、その生産物を消費者に購入させる強力な規制政策を支持するかもしれない。しかしその一方で、初期のSUVのように、利益を上げて販売できるけれども気候変動への恩恵はほとんど無いような、より大型でより重い電気自動車の生産・販売に目を向ける可能性もある。
トウモロコシ・エタノール産業とバイオマス産業は、この意味で重要な教訓を与えてくれる。どちらもかつては、化石燃料依存に代わる選択肢であり、化石燃料産業の力に対抗するものだと考えられていた。しかし、両産業とも、実際には強力なレントシーキングの産物であり、気候変動に利益をもたらすものでもなければ、簡単に廃絶させられるものでもないことが明らかになったのだ。
ポリティクス(政治)を重視したポリシー(政策)
もちろん、これらの政策が最高裁や共和党政権下で存続するかどうかは疑問である。現在の最高裁は、連邦の環境規制当局の権限と裁量を縮減する機会を逃したことはなく、バイデンの環境保護庁(EPA)が提案する大胆な気候変動規制を前にして、今それをやめることは無いだろう。
以前にも、法廷がバラク・オバマ時代のクリーンパワープラン(CPP)を打ち壊すのに先立って、ドナルド・トランプ政権はそれをあっさり放棄し、2018年にアフォーダブル・クリーン・エネルギー(ACE)ルールに置き換えていた。
一方議会では、民主党のジョー・マンチン上院議員が、上院共和党と協力して環境保護庁の新規制を覆すと脅し、もし彼が意図したとおりに法律を実施できなかった場合には、自らが執筆したインフレ抑制法(IRA)の条項さえも撤廃すると表明している。下院では、新たに多数派となった共和党が今年の大半を費やして、連邦債務上限引き上げを容認するディールの一部として、IRAクリーンエネルギー投資の廃止を要求している。2024年に共和党が議会と行政府の主導権を握った場合、この動きを継続するだろう。
インフレ抑制法(IRA)関連投資が共和党地域に偏って流入していることを考えれば、こうした政策に伴う経済的利益が、文化戦争的な反発を克服する可能性はある。しかし、近年、共和党の州や自治体で再生可能エネルギー開発を制限する政策が相次いで制定されたことは、逆のことをすれば大きな経済的メリットがあるにもかかわらず、経済的な利己主義が勝つとは限らないことを示唆している。特に、そのメリットが地域社会全体で必ずしも広く共有されず、大きな負の外部性(土地利用への影響など)をもたらす場合はなおさらである。
結局のところ、(訳注:EPAによる)行政による行動も(訳注:IRAのような)予算の調整措置も、容易に実施できる一方で、容易に取り除かれる。バイデノミクスは最終的に大統領の再選を確実なものにするのかもしれない。しかしながら、現在のアメリカ人の大多数はアメリカ経済に対して非常に悲観的な見方をしており、バイデンの支持率は現在40%前後で推移している。バイデン再選に向けた民主党の戦略の多くは、むしろ、第2次トランプ政権が誕生するという見通しに対する国民の反発を前提としているように見える。
大統領が選挙で直面する課題は、もちろん気候変動問題だけにとどまらない。しかしながら、国民の気候変動問題の多くの側面に関する不安は実在する。そしてもしも共和党の政治参謀がバイデンの「ガソリン戦争」やピックアップトラック禁止計画に関するキャンペーン広告を打たないのであれば、それは政治活動における過誤である。
以上述べてきたように、気候変動に対処するための遠大な行動を求める革新派の要求は、気候変動に対処するための重要な政策行動は持続的でなければならないという現実に絶えず突き当たっている。連邦政府は過去30年間、気候変動対策から反動への転換を繰り返してきた。そのたびに、推進派と反対派双方の主張と要求はより過激になり、行動か抵抗かのケースは、両党のイデオロギー的公約や選挙上の駆け引きとますます絡み合い、かつては党派の壁を越えて支持される可能性があった政策や技術も、ますます二極化してしまった。大胆な行政行動や巨額の財政調整支出は、革新派や環境保護主義者からは喝采を浴びるが、共和党がチャンス到来とばかりにそれらを解体しようとすることは事実上確実であり、比較的最近まで政治的な対立軸を越えて広く支持されていた技術や政策ですら両極化してしまうのだ。
次回:「テクノロジー楽観主義 VS テクノクラート(官僚)楽観主義【3】」へ続く