ウクライナ情勢と原油価格、そして、脱炭素(後編)
石油から見たウクライナ侵攻
橋爪 吉博
日本エネルギー経済研究所 石油情報センター
7.ロシアと原油価格
後編では、まず、ロシアと原油価格の関係について、検討したい。
ロシアは世界第2の産油国、世界第2位の天然ガス産出国であり、その経済は、石油・天然ガス等の資源に大きく依存している。平年の石油・天然ガスの輸出収入は、GDPの約30%、輸出総額の55~60%、財政収入の45~50%に相当すると言われ(Dヤーギン「新しい世界の資源地図」東洋経済新報社、2022年)、典型的な「モノカルチャー」の経済となっている。公表数字は限られているが、ロシア銀行によれば、2021年の石油・天然ガスの輸出額は2400億ドルとのことである。2021年の平均原油価格を約70ドル、輸出量を原油・石油製品合わせて約700万BDとすると、年間、約1800憶ドルになるので、価格フォーミュラが非公表の天然ガスの輸出分を足すと、このような数字になるのであろう。また、ロシアの原油生産コストは、バレル当たり15~16ドルと見られる(PIW誌2015年3月16日号)。これと販売価格との差は、レント、剰余価値としてロシア政府の実質的収入となる
しかも、ロシアでは、財政収入をカバーできる原油の財政均衡価格43ドルを超える石油収入は特別の基金に積み立てられると言われており、今回のウクライナ侵攻では、戦費に充当されていると見られている。したがって、ロシアの国力は、その時々の原油(資源)価格の水準に、依存することになる。
ちなみに、ロシアンルーブルの対ドル為替レートは、原油価格に比例するとよく言われるのも、同様であろう。また、プーチン大統領の支持率も、感覚的には原油価格に比例しているように思われる。原油価格高騰期には、国民への補助金や福祉の大盤振る舞いが可能だからである。
8.ソビエト連邦の崩壊
過去、歴史を振り返ると、旧ソビエト連邦、ロシアでは、原油価格が暴落すると国内が混乱に陥り、原油価格が高騰すると対外介入・侵攻する例が多い。
旧ソ連の崩壊・解体(1991年12月)は、色々な複合的要因によるものであるが、筆者は、経済的要因としては、前述のサウジのシェア奪回宣言と「増産カード」発動を契機とする80年代後半2回の原油価格10ドル割れの暴落・低迷が最大の原因であると考えている。
例えば、外務省OB・評論家の佐藤優氏は、産経新聞(2011年2月23日付)への投稿の中で、ソ連最後の書記長であるゴルバチョフ氏の発言として、ソ連解体の最大の要因は「サウジアラビアによる原油増産だ。原油価格の下落がソ連経済を直撃した。(中略)原油価格が国家体制に与える影響の分析ができてなかった」と述べたと紹介している。元サウジアラビア大使の岡崎久彦氏(故人)は、その回顧録で、サウジ大使時代の外交活動として、サウジ石油省と対日供給原油価格の欧米並み引き下げ(ネットバック価格適用、1985年12月)を交渉したが、その決定報道を契機として、サウジ原油の価格暴落が始まったとし、それがソ連崩壊の原因になったと回想されている(岡崎久彦「時代の証言者(18)」読売新聞2014年6月24日付)。さらに、ロシアが安価なエネルギー資源を東欧諸国に供給し、東欧から工業製品を購入することで成立していたコメコン経済体制も、原油価格暴落で、ロシアから購入するより国際価格の方が安価となったことで、意味をなさなくなり、同時期に崩壊・解体された。
また、1998年のアジア通貨危機に伴う原油価格暴落時には、財政赤字による債務返済のデフォルト騒ぎが発生するなど、当時のエリティン大統領は政権を投げ出し、退陣、プーチンが登場し首相、大統領代行に就任した。
これに対して、イラン革命直後の原油価格高騰期1979年にはアフガニスタンに軍事介入し、イスラム原理主義者のゲリラとの戦闘は長期化、泥沼化した。その後、原油価格の暴落した1989年になって、全面撤退、実質的敗戦で終わり、その戦費負担と国内の厭戦気分、帰還兵の無気力化は、ソ連崩壊の大きな要因にもなった。
今回のウクライナ侵攻も長期化予想が大勢であり、アフガン侵攻と同様の結末になる可能性も十分考えられる。逆に言えば、原油価格高騰が続く限り、ロシアの継戦能力も衰えることはないと言えるかもしれない。その意味で、ウクライナ国民は原油価格高騰の犠牲者である。
さらに、ジョージア介入・南オセチア侵攻も、2008年8月の原油価格史上最高値直後であったし、東部ウクライナ侵攻・クリミヤ半島併合も、2014年3月の原油価格100ドル前後の時期であった。ただ、ロシアとして、旧ソ連領以外への唯一の軍事介入であるシリアへの空軍進駐、シリア内戦介入は、2015年9月の原油価格低下期の出来事であったから、必ずしも、原油価格次第とは言えない(シリア政府軍が反体制派に化学兵器を使用したにもかかわらず、米国が放置した後のタイミングだった)。
9.プーチンの修士論文
さて、プーチン大統領は、1990年代半ば、サンクトペテルブルグ副市長時代、サンクトペテルブルグ鉱山大学大学院に在籍し、1999年に「ロシア経済の発展戦略における天然資源」との准博士論文(欧米先進国での修士に相当)を提出している。「ロシアの天然資源は世界最大級で、ロシアの経済発展には天然資源の有効活用が重要、内政・外交にも活用可能。そのためには、資源の国家管理が必要」とする内容である(北村汎「プーチンのエネルギー戦略」北星堂書店、2008年)。プーチンの評伝やネットでは、米国人学者の翻訳論文の盗用疑惑や指導教授による代筆疑惑が、話題になることが多い。
しかし、重要な点は、彼がこのテーマを取り上げたことであり、ロシアの指導者として、論文の内容がその後の彼の政策に忠実に反映されている点である。前記ゴルバチョフのソ連解体の最大要因の認識を聞いていたのかも知れない。プーチンは大統領就任後、エリティン時代にオリガルヒ(新興財閥)に売却した天然資源の民営化会社を2003年以降順次再国営化して行った。そして、今また、戦費調達のためのみならず、西側先進国の経済制裁に対抗する「武器」として、また、友好国・協調国への「贈り物」として、ロシアは、石油・天然ガスをフル活用している。
おそらく、ロシアによるOPECプラスの結成、協調減産への参加も、天然資源の重要性に対する認識に基づくもの、プーチン自身が「20世紀最大の地政学的悲劇」と評したソ連邦崩壊の教訓に基づくものであり、国際石油市場の需給調整に参加することで、サウジとともに、原油価格の維持・管理に関与しようとした可能性が高い。 ロシアにとって、OPECプラス参加は、原油のプライステイカーから,プライスメーカーへの移行を意味する。従来、原油市場の需給調整はサウジを中心とするOPECが担って来たが、OPECプラスに移行することで、原油価格水準の決定にサウジと並んでロシアも関与し、その責任と発言権を持つことになる。
さらに言えば、プーチン大統領は、今がウクライナ侵攻の「最後のチャンス」と考えたのかも知れない。サウジとの協調で原油価格の高いこの時期は、サウジの増産による原油価格暴落で失った旧ソ連邦領土(ウクライナを含む)を回復するには、絶好のタイミングであり、かつ、脱炭素・気候政策の進展で国力が衰退する前のタイミングだからである。
10.原油価格に翻弄されるウクライナ
地政学とは、一般に、地理的条件が、ある特定の国・地域の政治、経済、軍事等に与える影響を攻究する学問であると言われる。
資源大国であるロシアの隣国に位置するだけで、ウクライナは、歴史的に、原油価格の変動に翻弄されてきた。前述の通り、原油価格低迷期の1991年12月のソ連邦解体で、中世以来の悲願の独立を果たし、原油価格高騰期の2014年3月にはクリミヤ半島を占領され、いままた、原油高騰期、ロシアの軍事侵攻を受け、東部を併合されようとしている。まさに、「地政学的悲劇」というしかない。
また、侵攻後、対ロシア経済制裁として、先進国は、原則として、ロシア産の石炭と石油の輸入禁止を決めたが、ロシア産天然ガスについては、手つかずの状態である。一般論として、石油・石炭は、国際的なコモディティとして、代替供給先は見つけようがあるが、天然ガスは、パイプラインで気体のまま輸送するか、LNGで液化して輸入するしかなく、どちらの手段でも、巨額投資が必要で、供給先が決まっていることが多く、代替供給先を見つけることは難しい。特に、欧州各国は、低炭素化の観点で、発電用を中心に、自国産石炭からロシア産天然ガスへのシフトが進んでいたから、ロシア産天然ガスを輸入禁止にするのは、簡単な話ではない。
さらに、ロシア産天然ガスは、現在も、ウクライナ国内経由のパイプラインでも欧州向けに出荷されている。ウクライナにすれば、敵の戦費となる天然ガスゆえ、破壊したいところであろうが、欧州各国の支持・支援をつなぎとめるためには、手を出せない。プーチンは、その点も、認識した上で、侵攻したのであろう。その意味では、ウクライナ紛争は不思議な紛争でもある。
11.国際社会の分断と気候政策
最後に、ウクライナ紛争の気候政策への影響、脱炭素、カーボンニュートラルとの関係について、考えておきたい。
ロシア産天然ガスの欧州における位置づけなど、今回のウクライナ紛争の最大の教訓は、エネルギーの3E(安全保障、環境保全、経済性)のバランスの重要性を再認識させるものであった。欧州各国では、ドイツなど、気候政策を一時棚上げし、エネルギー安全保障優先で、発電用燃料のロシア産天然ガスから輸入石炭、自国産石炭、褐炭へ回帰する動きも出てきている。
ただ、全体的な論調は、ウクライナ紛争によって、従来の気候政策は一時的に停滞、後退するものの、脱炭素・脱化石燃料・再生可能エネルギー活用は、安全保障上も有効だから、中長期的に見れば、気候政策は加速化する、脱炭素化すればロシア産エネルギーへの依存はなくなるとする見方が多い。
確かにその通りではあるが、今回のウクライナ危機で露呈した世界の「分断」を過小評価しているように思われる。西側先進国と中ロ独裁国家の分断、その分断の中で、新興国・途上国は、必ずしも、西側先進国に同調していない。先進国は決して多数派ではないし、G20ではロシア非難すら合意できない。新興国・途上国は、理念・理想と現実のはざまで悩み、食料やエネルギーといった現実を優先せざるを得ない。
そうした中で、従来のような拙速かつ先進国の上から目線の気候政策は、新興国・途上国からの支持が続く訳がない。環境と成長を選べと言われば、彼らは成長を選ぶのは当然だ。従来の先進国の気候政策は、途上国に経済成長を諦めよと言っているに等しい。欧州先進国ですら、生活水準維持(電力確保)のためには、環境を犠牲に石炭に回帰する。英国・フランスでは、政権与党が地方選挙で大敗北し、米国でも秋の中間選挙で民主党は敗北必至と言われている。先進国でも、有権者は政権与党の環境政策にノーを突き付けている。前編で見た通り、原油価格高騰は、「グリーンインフレ」そのものであり、ウクライナ紛争はそれに拍車をかけたに過ぎない。
また、ウクライナ紛争で顕在化したこの先進国と中ロの対立を新たな「冷戦」と見る向きもある。考えてみると、地球温暖化の国際的取り組みは、1990年代の初め、東西冷戦の終結、旧ソ連の崩壊で、新たに、国際社会が一致して取り組むべき、新たな「地球規模の課題」として始まったものである。温暖化対策の最初の国際条約は、1992年の「気候変動に関する国連枠組み条約」(UNFCCC)であった。そのモメンタムを今後も維持することは可能であろうか。
そうした事態を予期したのか、先日のドイツにおけるG7先進国首脳会議では、ドイツから「気候クラブ」が提唱された。気候政策の「クラブ化」の動きである。その方向性が明確になれば、わが国としては、難しい対応を迫られることも予想される。
ウクライナ紛争は、エネルギ―安全保障の重要性のみならず、拙速な気候政策の見直し、地に足の着いた地球温暖化対策の国際的取り組みの再構築の必要性をも、我々に問いかけている。
※ 評価・意見に及ぶ部分は、全て個人的見解である。