ロシアの戦争でこれまでの気候政策は終わる(2)
皮肉なことに、数十年にわたる懸命な気候政策よりも、地政学的な争いやエネルギー欠乏の方が気候変動に大きく影響するであろう
テッド・ノードハウス
Executive Director of Breakthrough Institute/ キヤノングローバル戦略研究所 International Research Fellow
監訳:キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志 邦訳:木村史子
過去30年、世界諸国は気候変動問題に取り組んできたが、あまり成果は上がらなかった。そして今般の戦争で、これまでの気候変動対策は終わりを告げるだろう。しかし、安全保障の観点から各国が強力に、しかも現実的な政策を推進する結果、むしろこれまでよりも気候変動への対策は進むのではないか。内外で見直されている原子力発電はその筆頭だ。日本の高効率火力発電やハイブリッド自動車などもそうだろう。以下、Foreign Policy https://foreignpolicy.com/ より許可を得て全文を邦訳する。
政治家、政策立案者、学者、シンクタンクのアナリスト、ジャーナリスト、活動家など、気候に関する評論家の多くは、エネルギーの地政学の急激な復活と化石燃料の不足にショックを受けているようだ。多くの人々にとって、この戦争はまさに化石燃料を非難し、再生可能エネルギーを促進する新たな機会を提供したにすぎない。環境保護推進派のビル・マッキベンは、『ニューヨーカー』誌の長編エッセイで、ウクライナと全世界が燃えているのは、私たちが物を燃やし続けているからだと主張した。マッキベンは、太陽光や風力エネルギー、電気自動車への転換により、ロシア大統領ウラジーミル・プーチンのような独裁者への依存から解放されるだろうと主張したが、これは最近の気候変動関連の言説でよく聞かれる言葉である。マッキベンが触れなかったのは、世界のソーラーパネルとバッテリーの生産のほとんどが、もう一人の独裁者である中国の習近平国家主席によってコントロールされていること、そして過去10年間にヨーロッパが化石燃料生産の停止と再生可能エネルギーへのシフトを急いだことにより、ロシアの石油とガスへの依存度が大幅に高まったことである。
マッキベンやその他の環境保護推進派たちが提示する安易な解決策は、ロシアの軍事侵攻以来、世界がいかに大きく様変わりしたかを含め、多くの事柄を考慮に入れていない。ヨーロッパがロシアの石油とガスに大きく依存していることは、氷山の一角に過ぎない。世界の再生可能エネルギー経済は、地政学的に問題のあるサプライチェーンと深く絡み合っているのだ。シリコン、リチウム、レアアースの世界の供給の大部分は中国に依存しており、ソーラーパネルは強制収容所でのウイグル人の強制労働によって生産されている。欧米がロシアの石油やガスに依存するよりも、中国製のソーラーパネルやバッテリーに依存することを選べば、この危機は解決するかもしれないという考えは、正義や人権、民主主義に対する環境保護運動の姿勢がいかにいいかげんなものであるかを露呈している。
民主主義と自由主義が再び脅威にさらされている今、エネルギー安全保障の問題は、もはや誰と取引を行うかという問題と切り離すことはできない。ロシアと中国は、征服戦争などを通じて、国内外でより広範に自由民主主義的規範の権威を失墜させようとしており、エネルギーの地政学は、世界秩序のルールをめぐる広範な対立の枠外で理解することは不可能である。我々のエネルギーについての選択次第では、こうした権威主義的な体制に対抗する我々の能力を高めることも、妨げることもできるだろう。
ウクライナ危機の発生で、新たな現実がすでに明らかになっている。バイデン政権は2月24日以降、連邦政府所有地の利用を制限することで、米国内の石油・ガス生産を減速・停止させようとする方針から転換している。その代わりに、生産量を上げられない企業には、採掘権の取り消しや他者への譲渡で脅すようになった。また、ロシアを主要供給国とするウランの処理・濃縮を、国内で大幅に拡大するための予算要求も提出した。また、国防生産法を適用して、中国が供給している重要鉱物の国産化を進めようとしている。化石燃料、非化石燃料、原子力、再生可能エネルギーのエネルギーのサプライチェーン全体でのロシアと中国からの供給に的が絞られている。 同じことが、ヨーロッパでも起こっている。米国の気候変動特使ジョン・ケリーと欧州連合のカウンターパートは、近年、石油・ガス開発のための国際的な資金を排除する努力を主導してきたが、突然、方針を一転させたのである。ナイジェリアからモロッコへ、そしてモロッコからヨーロッパの市場へと天然ガスを運ぶサハラ砂漠横断ガスパイプラインは、ヨーロッパの気候政策立案者からの反対と資金不足のために停滞していたが、現在再び動き始めている。ヨーロッパがアフリカのガスを必要としている今、アフリカ人もついに自国のエネルギー供給の恩恵を受けるに至ったようだ。
ポーランド、ルーマニア、チェコといった東欧諸国は、長い間ロシアのガスに頼ることを警戒し、ドイツからは偏執的と揶揄されてきたが、現在、米国から新しい原子力技術を調達する計画を進めている。もしドイツがメルケル政権時代に、世界有数の原子力技術資産をロシアのロスアトムに売却していなければ、彼らはこの技術をドイツから得ていたかもしれない。
アジアでも、エネルギー現実政治が復活している。韓国は近年、原子力を縮小してきたが、化石燃料の価格上昇と再生可能エネルギーへの移行コストの高騰を理由に、原子力を再び拡大する計画を発表したばかりだ。日本では、2011年の福島原発事故以来初めて、国民の過半数が政府の原子炉再稼働計画を支持するようになった。
ウクライナ侵攻後のエネルギー政策は、冷戦時代と同様、エネルギー安全保障の要請によって左右される可能性が高い。各国のエネルギー政策は、近年の気候政策に反映されてきたうわべの科学的目標ではなく、自国が利用し得るエネルギー供給によって制約を受けることになるだろう。
1970年代のエネルギー危機を受け、化石燃料資源と技術力に恵まれた米国は、ありとあらゆるエネルギー資源に資金を投入した。米国西部で石炭層の開発を加速させ、東海岸に石炭を運ぶ鉄道網を整備し、シェールガス、オイルシェール、石炭系合成燃料など非在来型石油・ガス生産の開発に膨大な資源を投じた。また、ソーラーパネル、風力発電、LED照明からコンバインド・サイクル・ガスタービン、燃料噴射式エンジンに至るまで、エネルギー効率の高い技術の実用化に向けた基礎的な投資も行った。
フランス、スウェーデン、日本は、化石燃料をほとんど持たず、原子力発電の大規模な増強に投資した。イギリスは、北海ガスへの転換を図り、石炭への依存とそれに伴う労働争議から脱却した。
気候変動への懸念が化石エネルギー開発に与えてきたどんなわずかな制約であれ、今後数年間の供給不足、価格高騰、その他のエネルギー安全保障への懸念に直面して、その重要性が低下すると思われる。
しかし、化石エネルギー開発の継続は、短期的には二酸化炭素排出量にわずかな影響しか与えないだろう。その理由のひとつは、世界の大半の地域で石油やガスの生産を急速に拡大できるキャパシティがほとんどないためだ。低コストで簡単にアクセスできる油田・ガス田のほとんどはすでに開発されており、新規生産は難しく、採掘コストも高くなる。既存の油田は自然に衰退していくため、新たな生産が行われても、供給量の大幅な増加につながるとは考えにくい。
化石燃料の供給が制約され、エネルギー安全保障が新たに求められるようになると、非化石エネルギーやあらゆる種類のインフラの開発に恩恵がもたらされる可能性がある。例えば、米国で長年にわたって行われてきた原子炉の建設許可に対する環境保護推進派の反対は、ウクライナ侵攻以前と比べるとはるかに通用しにくくなっている。同様に、大西洋岸の洋上風力発電所や、ドイツの風況の良い北部から人口の多い南部へ風力エネルギーを運ぶ長距離送電線の新設などについても、NIMBY(Not In My Back Yard)が反対を維持することは難しいであろう。すでにドイツとEUは、認可を早めるために環境保護の規制を緩和する動きを見せている。
いずれの場合も、ウクライナ後のエネルギーの緊急事態は、「気候変動の緊急事態」がなし得なかったことの多くを成し遂げる可能性がある。
環境保護運動は、規制による解決策に偏重し、技術を恣意的に選ぶため、温暖化に大きな影響を与えるのに必要な規模の効果的な気候政策を提唱することができなかった。皮肉なことに、特に欧米では、気候変動の問題を中心から外し、エネルギーの安全保障を重視することで、気候変動に関する取り組みがこれまで達成できなかったことを、はるかに上回る効果が得られるだろう。
次回:「ロシアの戦争でこれまでの気候政策は終わる(3)」へ続く