気候変動問題の本質は共有地の悲劇問題

ーロシア問題の下での再考ー


公益財団法人 地球環境産業技術研究機構システム研究グループリーダー(IPCC WG3 第5次、第6次評価報告書代表執筆者)

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 ロシアによるウクライナ侵略が世界に大きな影を及ぼしている。世界の気候変動対策への影響についても懸念されるところである。そこで、改めてであるが、気候変動問題の本質である「共有地の悲劇」という点から、気候変動問題を見つめなおしてみたい。「共有地の悲劇」とは、人々が自己の利益のために合理的に行動した結果、地球という世界の共有地の管理が難しくなる状態をさす。気候変動問題の初歩的な教科書によく記載される注1)

 気候変動問題が世界的に認識されるようになってきたのは、1980年代終わりである。そして1988年に気候変動に関する政府間パネルIPCCが設立され、最初の報告書が1990年に公表された。時をほぼ同じくして1989年にベルリンの壁が崩壊し、第二次世界大戦終了後に続いた冷戦の終結につながった。気候変動問題の認識が醸成されてきたタイミングと、冷戦終結のタイミングが重なって、世界規模での対策が必須である、気候変動問題への取り組みが進んできた。また、ドイツが東西統合という高揚感の下、世界の深刻な課題解決に向け、高い理想を掲げて世界の気候変動対策をリードしてきた面もある。

 しかし、今日に至っても、国際社会は公式的な気候変動への対応目標と、現実の行動との間で大きなギャップを有している。2℃目標との排出ギャップは極めて大きいと見られ、2℃を実現する道筋が全く不透明であるものの、1.5℃目標や2050年カーボンニュートラル目標へと目標を引き上げてきた。また、米国政府はパリ協定に復帰するとともに2030年目標を引き上げ2005年比▲50~▲52%としたが、米国議会の仕組み上、排出削減に大きく貢献できるような法案成立は全く見込みがなく、多くの専門家は目標達成を不可能と見ている。もう少し振り返れば、例えば、カナダは、京都議定書における2008~12年の排出削減目標の達成が不可能となり、京都議定書から離脱した。2030年の国別貢献NDCは2005年比▲40~▲45%と大幅に引き上げられたが、その目標の達成はできそうにもなく、歴史は繰り返されそうである。海外諸国には、目標は意欲的であるべきで、でも達成できなくても仕方ないという、日本の発想とは少し違った割り切り感がどこかにある。

 中国、インドは、2030年目標はCO2原単位目標である。また、長期目標として、それぞれ、2060年、2070年までにカーボンニュートラルを実現するとしているが、これは、先進国が2050年カーボンニュートラルを実現できないと見透かしている節がある。先進国が実現できたとしても、それを参考に対応した方が得策である。

 気候変動問題は、冷戦終結を受けた世界の協調体制の下で、曲がりなりにも対応が進んではきたが、それは公式的な世界での対応であり、実態としては、少しは排出抑制できたものの世界排出量は増大を続けている。その多くが意図的なものだとは思わないが、常に「共有地の悲劇」問題となっており、他国に排出削減を求め、自国の国際競争力を強化するという構造が存在してきている。自国が排出削減する場合も、他国との相対感で競争力が劣後しないことに配慮がなされる。

 国際協調が進んでいた世界では、それでも何とか少しずつ気候変動対応が進められてきたが、このロシア問題は、気候変動問題の本質である「共有地の悲劇」問題を、今後、改めて表舞台に引きずり出してくるだろう。ロシア危機前にも、米国と中国の経済対立、貿易戦争も起こってきており、ロシア以外の大排出国も含めて、分断された世界の芽が出てきていた。欧州は、国境炭素調整措置(CBAM)を導入して、世界の排出削減を促そうとしているが、そもそも分断されてしまった世界では、世界の排出削減効果は一層乏しくなり、益々分断を煽ってしまうだろう。先進国だけに排出削減義務を課していた、京都議定書的な世界に逆戻りさせてしまうリスクもある。

 ロシア問題によっても、欧州主要国ではカーボンニュートラルに向け、気候変動対策強化の動きは変わらないだろう。しかし、分断された世界において、主要先進国の対策強化では、気候変動抑制にほとんど効果は発揮されない。例えば、先進国がロシアから化石燃料を買わず化石燃料消費を減らしたとしても、中国やインドなどは、より安価に化石燃料にアクセスする機会を得て、より多くのCO2排出をもたらす可能性は十分に高いと言わざるを得ない。

 ロシアのウクライナ侵略が一刻も早く終わるとともに、分断されない世界が訪れることを祈願している。日本は、2050年カーボンニュートラルの意思決定をした以上、それを実現するために、技術開発・実証を中心に強力な行動をとっていくべきである。ただ、世界の分断がこれから起こるリスクは十分にあるため、それに備える必要もある。少なくとも短中期においては、エネルギー安全保障や経済性の優先度が高まり、気候変動対策についてはある程度の柔軟性をもって取り組まなければならなくなる。また、分断によって「共有地の悲劇」問題が強まる場合には、気候変動緩和策よりも、気候変動適応策を、より重視せざるを得なくなる。これまでも気候変動対策は、「共有地の悲劇」問題がつきまとってきたが、ロシア問題を受けて、これまでと異なった世界観で新たな気候変動対応の必要性もあるとの認識も持ちながら、今後の戦略立案を検討する必要もあるだろう。

注1)
共有地の悲劇(英語では共有地はコモンズ-Commonsとなるので、コモンズの悲劇とも呼ばれる)は、誰でも利用できる資源は、過剰消費されることを指す。良く使われる例えは、英国の牧草地が共有地として利用されると、羊、牛などを飼う農家は、先を争い自分の家畜に草を食べさせるため、食べられない家畜が出てくることだ。また翌年からは草が生えなくなり、すべての農家が困ることになる。開かれた漁場などでも乱獲が起こる。
防ぐ方法の一つは、私有地にし資源を守ることであり、例えば、ハワイ・ワイキキの砂浜の多くは、ホテル、保養所などの私有地となっており、過剰利用されることなく砂浜が維持されている。もう一つ防ぐ方法の例がある。米国では地下鉱物の所有権は、地表権者が持つ。地下に石油が埋蔵されている地域の地表権者が複数人いる場合には、我先に開発を競う共有地の悲劇を防ぐため共同で合弁企業を設立することが求められる。