気候破局説への反発は思想犯罪などではない(1)


Executive Director of Breakthrough Institute/ キヤノングローバル戦略研究所 International Research Fellow

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翻訳:キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志 

本稿は、Ted Nordhaus “ Am I the Mass Murderer? Pushing Back On Climate Catastrophism Is Not a Thought Crime
https://thebreakthrough.org/journal/no-16-spring-2022/am-i-the-mass-murderer
を許可を得て翻訳したものである。

 少し前、私は大量殺人犯だとして非難された。最近よくある“ツイート”で告発され拡散されたのだ。私を告発したのはだれか。それは、科学者が終末論的な気候変動から人類を救うといったスリラー作品の類を執筆しているSF作家だ。

 私が来るべき人類滅亡への貢献者だと非難されたのは、『エコノミスト』に掲載されたわたしの論評注1) に対してであり、それは「即時かつ大胆な行動を取らなければ社会は確実に崩壊してしまう」とする気候変動運動の見解に、少なからず異議を唱えたものであった。一部の環境運動家たちにとって、気候変動に関する環境運動に反対することは「略奪的な遅延」にあたるという。この言葉は環境未来予測家であるアレックス・ステフェンが2016年に作った造語で、基本的に、環境運動家の主張と要求に対するあらゆる反対意見を包含して指し示している。

 気候変動に関する終末論的な主張に疑問を呈することが、(少なくとも)人類に対する犯罪への加担であるという意見は決して稀ではない。ジェノサイドを研究する2021年の声明注2) を考えてみてほしい。ジェノサイドを研究する20人の主要な学者たちはその研究について次の様に憂慮している。「今日まで、(社会から疎外された)コミュニティに襲いかかる構造的で環境破壊的な暴力について、最も責任のある人々の名を、ジェノサイドの名簿に加えることはほとんどなかった」。だがこの暴力によって「何億人、いや何十億人もの人間の移動と死につながる」と彼らは主張している。ルネッサンス文学の研究者だったジュヌヴィエーヴ・ゲンターは、気候変動に関する環境活動家に転身し、気候変動に関する政府間パネル報告書を、極めて選択的に取り上げ、「言説的規範」についての偏向した議論を展開している。そしてニューヨーカーやニューヨークタイムズなどの雑誌に好意的に取り上げられ、気候コミュニケーションの専門家として新しい仕事をするようになった。地球温暖化が3℃上昇すると、「現在の文明の成立条件」が不安定になり、「数十億人が死に至る可能性がある」注3) と、ゲンターは確信を持って主張している。彼女はこう主張している。「エネルギーシステムを変えるために戦わない人は、金銭のために大量虐殺をすることになる」注4) と。

 こういった発言は、決して突拍子もないことではない。むしろ、気候変動に関する主流な議論の中で暗示されていることを明確に表現している。少し前までは、気候変動対策は不確実性に根ざしていた。つまり、気候変動の正確な影響や深刻さは未知数であり、人間社会の適応能力も未知数であるという認識であった。しかし今日では、気候変動の継続がもたらすリスクと結果が不確実であり、それゆえに気候変動の緩和と他の社会的優先事項とのバランスをどうとるかについて、複数の正当な見解が存在する可能性を示唆することは、論外であると考えられるようになっているのだ。

 破滅的な気候変動から人類を救う鍵が、単に言説的な規範を変えることにあるとすれば、その戦いは勝利したように見えるだろう。グラスゴーの COP26 の開会式で、英国のボリス・ジョンソン首相は、気候変動は「破滅装置」であると述べた。ジョー・バイデン米国大統領は、行動を起こさなければ、「将来の世代に苦痛を強いることになる」と述べた。国連事務総長のアントニオ・グテーレス注5) は、「私たちは自ら墓穴を掘っているのだ」と意見した。みな、こう主張している。「科学は明白にそう言っているのだ」と。

 しかし、それは明らかに違う。

気候の占い師たち

 未来を予測するあらゆる努力と同様に、地球の気候とそれが人間社会に及ぼす影響を予測する努力もまた、不確実性をはらんだものであることは避けられない。温室効果ガスの大気中濃度が2倍になった場合、地球はどの程度温暖化するのだろうか。40年にわたる研究によって、その範囲はわずかに狭まったにすぎず、2℃から4℃の間である。各国政府の協調行動がなされなかった場合、排出量と大気中の濃度はどの程度まで上昇するのだろうか?つい最近まで、ほとんどの専門家は今世紀末までに温室効果ガスの排出量が1200ppm程度になると想定していた。しかし、現在では、妥当な排出量の増加率の見積もりが見直され、600ppmほどであるというのがコンセンサスとなっている。

 また、仮に地球が温暖化した場合の気候への影響について正確な答えが得られたとしても、その変化に対して人間社会がどれだけ適応できるかを考えなければならないだろう。この問題については、幾つかの説得力ある見解がある。気温の上昇によって、現在の農業生産性のレベルは維持できなくなるかもしれない。あるいは、耕作地、作物構成、技術などが変化するかもしれない。海面上昇により都市が浸水し、数十億人が難民となることもあるかもしれない。あるいは、人間の居住区域とインフラは、過去何世紀にもわたってそうであったように、今後も社会的、経済的、環境的条件の変化に応じて、進化していくかもしれない。

 これらの複数の可能性について、そして他の多くの可能性についても、単に気候学や大気科学だけでなく、経済、技術、そして何よりも制度に依存する。裕福で、技術力があり、公平な世界であれば、仮にそれよりも暑くはないとしても、貧しく、技術力が低く、不公平な世の中に比べるならば、気候変動の影響をはるかにうまく管理することができるだろう。

 経済成長、強靭性(レジリエンス)、気候変動の緩和についてどのようにバランスを取るかという問題の解析は、もちろん、気候変動が経済成長を減速させるかどうか、どの程度のレベルで減速させるかという長年の議論によってさらに複雑なものになっている。地球温暖化が進むか進まないかにかかわらず、世界の経済成長が、多くの主流の気候経済モデルが想定するように今世紀末まで年率2~3%で推移する、という保証はないのである。しかし、3℃、4℃、あるいは5℃の温暖化で経済が破綻するとも限らない。この議論は、温暖化、開発、緩和、適応に関する不確実性が幾重にも交錯し、行ったり来たりを折り返しているのである。経済学者が経済的に最適な温暖化レベルを計算できると主張するのも、環境活動家が直ちに行動を起こさない限り破滅はほぼ確実だと主張するのも、どちらも話半分程度にしか受け取ってはいけないのである。いずれも結局のところ、現在の世界をより暑い未来の中に置いてみたに過ぎない。

 これは、20世紀半ばの政策決定者たちと環境運動家たちが、何度も何度も犯した過ちである。前者は、指数関数的な人口増加と資源消費の継続を、原子力エネルギーと農業生産の大規模な拡大で対応できると仮定した。後者は、人口と消費の増加が食糧生産を圧倒し、資源の枯渇が産業崩壊につながると予測した。どちらの陣営も、この間、失敗からあまり学んでいないようである。

競争が起きている

 気候変動が人類社会にもたらす可能性の範囲は、2つの強固でダイナミックなトレンドの間の競争として理解することができる。一方では、温室効果ガスの大気中濃度の上昇により、地球の気温が上昇し、それに伴うさまざまな影響が地域や地方のスケールで発生することを予想している。もう一方では、社会の豊かさの増大、技術の向上、インフラの改善により、極端な気象や気象の変動に対する社会の回復力はすでに高まっていると考えている。

 温室効果ガスの排出量が急増し、世界の人口が工業化、都市化、高エネルギー消費の恩恵を受け始めた20世紀初頭から、地球上の温度が1℃以上上昇しても、社会の強靭性の向上はこの競争に何度も勝利してきた。気候関連の災害による世界の年間平均死亡者数は、過去1世紀で10倍も減少している。(一人当たりに換算すると、25 倍の減少)。そして、この統計でさえも、おそらく減少の幅をかなり控えめに示している。というのも、世界のほとんどの地域では、比較的最近まで災害とその影響を確実に追跡することができていなかったからである。

 一人当たりの富がわずかに増加しただけでも、適応能力は大幅に向上している。1970年、サイクロン「ボラ」は観測史上最も大きな自然災害のひとつで、バングラデシュでは50万から100万人の死者を出したが、当時は人口の80%以上が極度の貧困状態にあった。バングラデシュは今でも比較的貧しい国であり、激しいサイクロンに見舞われ続けている。しかし、現在、極度の貧困状態にあるのは人口の10%以下であり、過去20年間、サイクロンや洪水で100人以上が死亡したことはない。バングラデシュだけではない。最近の研究によると、ここ数十年の間に、貧困国の人口が膨大な数で危険なエリアに向かって移動し(つまり、沿岸地帯や氾濫原へ移動し)、一部の気候災害が激化しているにもかかわらず、気候関連災害に対する脆弱性が貧困国において激減しているのだ。

 もちろん、過去の実績は将来のパフォーマンスを保証するものではない。カタストロフィズム(破局主義)で言うと、強靭性のさらなる向上は、気候の極端な変化の激化に圧倒される、ということである。

 しかし、20世紀前半に経験した気候に起因する死亡率や社会的混乱のレベルに世界を戻すには何が必要かを考えてみる価値はあるだろう。言い換えれば、気候学的・社会的要因をどのように組み合わせれば、衛星画像、予報、災害対応計画、近代的通信技術から抗生物質、近代的農業システム、冷蔵、空調まで、あらゆるものが欠如していた著しく貧しい社会がそう遠くない過去に経験したのと同等の死者数を生み出すことができるだろうか?

 簡単に言えば、このような大災害は、経済的な運命の逆転と制度の破綻を必要とし、決して前例がないわけではないが、気候変動に関する話とは本質的に異なる可能性があるだろうと思われる。ボラ(サイクロン)はパキスタンから独立する前のバングラデシュを襲った。この時期は、パキスタンがバングラデシュ市民の社会的・経済的ニーズに十分に応えられず、権利を与えなかったことが大勢の死者を出した原因である。それ以来、人命の損失や人的被害という点で最悪の自然災害は、貧困と破綻国家が交差する場所で確実に発生している。地球温暖化がたとえなくとも、こうした要因と自然の気候変動が組み合わさって、恐るべき事態を招く。だが気候変動がかなり進んだとしても、制度が機能している中所得国であれば、極端な気候変動に対して相応の強靭性を持つ可能性は高いといえる。

注1)
https://www.economist.com/by-invitation/2021/11/19/ted-nordhaus-on-how-green-activists-mislead-and-hold-back-progress
注2)
https://www.clarku.edu/centers/holocaust-and-genocide-studies/wp-content/blogs.dir/7/files/sites/180/2021/04/Genocide_Dcholars_Climate_Statement_7_April_2021-converted1.pdf
注3)
https://twitter.com/DoctorVive/status/1453498612223287296?s=20
注4)
https://twitter.com/DoctorVive/status/1049128528300711936?s=20
注5)
https://www.un.org/press/en/2021/sgsm20997.doc.htm

次回:「気候破局説への反発は思想犯罪などではない(2)」へ続く