ウクライナ紛争の背景にあるエネルギー事情(その1)
ーエネルギーをロシアに依存する欧州ー
手塚 宏之
国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)
2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻が、世界に激震を走らせている。戦闘が長引く中、ロシアが停戦条件として挙げているのは、①ウクライナの非軍事化、②ウクライナの中立化(NATO非加入の保証)、③東部ドネツク州、ルガンスク州の独立承認とクリミア半島に関するロシアの主権承認、といった事項である。これを受けて、プーチン大統領の侵略目的は、欧米寄りのスタンスをとるウクライナを「ウクライナとロシアはもともと一体不可分」であるとして、ロシア側に取り込むことで「大ロシアの復活」を狙っているといった、地政学的な視点からの論評が目立つ。確かに歴史的経緯や安全保障上の観点からこうした説明はつくのだが、本稿では実はその裏にはもう一つの隠れた事情=ウクライナとロシアの間のエネルギーを巡る確執があるのではないかという仮説を提起してみたい(あくまで外形的な情報に基づく仮説であり、確たる根拠があるわけではないことをお断りしておく)。
そもそも今回のロシアのウクライナ侵攻の背景には、欧州のエネルギー供給における過剰なまでのロシア依存という背景がある。3月8日に欧州委員会が公表した「2030年までにロシア産化石燃料に依存しないEUにする計画注1) 」によると、EUは現状で天然ガス需要の約40%をロシアからの輸入に依存し、また石油輸入の25%、石炭輸入の45%をロシアに依存している。近年のグリーン政策の下で欧州各国は、化石燃料への依存を減らし、再生可能エネルギーへのシフトを進める中、ESG金融の影響もあって域内の化石資源開発投資は抑えられ、その不足分をロシアからの輸入を増やすことで穴埋めしてきた。IEAによるとEU(英国含む)のロシア産天然ガス依存度は、09年の25%から21年には32%に拡大しているという注2) 。ロシアにしてみれば、エネルギー供給という社会・経済活動を支える必須のインプットの面でEUの首根っこを押さえているという実態の中では、仮にウクライナに侵攻しても、EUは天然ガスの禁輸などの強い対抗措置は取れないだろうと読んでいたのではないだろうか。
実際ドイツのショルツ首相は3月7日の声明で、ロシアのウクライナ侵攻を受けた欧州連合(EU)の経済制裁は「長期的に持続できる形で策定されている」とし、市民生活の維持に石油・ガスは不可欠なため、「ロシアからのエネルギー輸入は意図的に制裁の対象からはずされた」としている。本研究所の論考でも山本隆三氏が「ウクライナ経由天然ガス輸出を続けるロシアと毎日1000億円をロシアンに支払うEU」注3) において、EUが経済制裁下においてもロシアから天然ガスの購入を続け、代金を支払い続けていることを指摘している。ちなみに2020年のロシアのパイプラインを通じた天然ガス輸出量は、BP統計によると1977億m³、うちEU向けが1677億m³とその大半を占めていた。これにLNGとして172億m³がEUに供給されたということで、計1849億m³ものロシア産天然ガスがEUに輸出されたことになり、ロシアにとっても最大の輸出先ということで、ロシアとEUの間には非常に強い相互依存関係が存在していたのである。
ロシアによるウクライナ侵攻が、欧州にもたらしているエネルギー供給への懸念は、エネルギーが安全保障上の戦略物資であるという、平和な日常では忘れがちな重い事実を思い起こさせてくれた。かつて米国による対日石油禁輸措置が太平洋戦争の引き金になったことを思い出すまでもなく、エネルギーの国際間の交易は、単なる経済上の商取引にとどまらず、軍事と並ぶ安全保障上の戦略的な意味合いを併せ持っているのである。
そう考えたとき筆者は、昨年の米国大統領選挙戦の最中に、バイデン大統領の息子、ハンター・バイデン氏にまつわるウクライナ・スキャンダルに関する報道を読んだことを思い出した。同スキャンダルのあらましは、報道によればオバマ政権で副大統領を務めていた(09年~17年)バイデン現大統領の息子のハンター氏が、2014年にウクライナ有数の天然ガス資源開発、輸送、販売会社であるブリスマ社の取締役に就任し、同社の幹部を当時米国副大統領であった父親に紹介したということから始まっている。同社はその後、脱税などの不正行為疑惑で検察の追及を受け、処罰を受けているのだが、その中でハンター氏の関与も疑われた。しかし検察の捜査のさなかの2015年に副大統領だったバイデン氏が、ウクライナのポロシェンコ大統領に対して、米国政府の10億ドルに上る借款をたてに、捜査を担当していたショーキン検事総長の解任を要求したとされ、実際に解任されたショーキン氏が同国内のメディアでバイデン副大統領の圧力があったと語った、と報道されている注4) 。事の真偽は今もって定かではないが、ハンター氏はこのスキャンダルが報道されると、19年4月にブリスマ社の取締役を退任している。一方父のバイデン氏のウクライナへの肩入れはもともと強かったようで、副大統領在任中の4年間で6回も同国を訪問し、09年の最初の訪問時に既に「ウクライナがNATO加盟を選択するなら米国は強く支持する」と、今回の紛争の火種ともなるような発言をしているということである。ここで筆者が気付いたのは、ウクライナに天然ガス開発企業があり、そこに米国がなにがしか関係していたということである。
この報道に登場するブリスマ社は、現在ウクライナ最大の民間天然ガス会社になっているとされるが注5) 、そもそもウクライナの天然ガス資源がどういう状況にあるのかについて調べてみると、興味深いことが分かってきた。
次回:「ウクライナ紛争の背景にあるエネルギー事情(その2)」へ続く