脱炭素政策が追い詰める貧困層

-欧米の実情は対岸の火事にあらず-


国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授

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(「エネルギーフォーラム」からの転載:2021年9月号)

 気候変動対策強化にまい進する欧米では、エネルギー貧困問題が深刻になるとの懸念が出ている。
 今後、電気料金などの上昇が待ち受ける日本にとっても、対岸の火事では済みそうにない。

 地方自治体などからの依頼で、「節電、省エネ」についての講演を市民の方を対象に行うことが時々ある。対面の質疑応答の際に、「ガス代、電気代を節約するために望ましい暖房方法は」「電気代をもっと節約したいが何をすればいいか」と、電気・ガス料金に直結した質問もあった。

 こうしたエネルギー価格に関心を持つ人たちも、これから脱炭素政策を進めれば価格が上昇し、生活に影響を与える可能性があることを認識されていないように思う。欧州連合(EU)では、脱炭素政策が貧困層に大きな影響を与えるのではとの疑問が出始めた。脱炭素に熱心な欧州委員会(EC)が1990年比2030年温室効果ガス55%削減実現のための法案とEU指令改正案を7月14日に発表したが、労働組合、産業界からはエネルギー価格上昇を懸念する声が出ている。

EU55%減目標の弊害
価格上昇避けられず

 EC提案の中には、輸送と住宅部門を対象に現在の排出枠の取引市場とは別の新たな市場を創設する改正案が含まれている。住宅、車などの使用者に直接排出枠を割り当てるのではなく、輸送と住宅部門へ燃料供給を行っている事業者に排出枠を割り当てる新市場を25年から運用する計画だ。
 
 欧州労働組合連合(ETUC)は運輸、住宅部門でのCO2削減が重要な課題であると理解するとしながら、新市場への影響はあまりに大きいと次の声明を出した。「新たな排出枠市場の創設は、ガソリン、軽油に課税されていたフランスの炭素税引き上げが招いた黄色ベスト運動のような市民の抵抗を欧州全土で引き起こし、環境上の効果はほとんど生み出さないだろう」

 ECによると、EUには適切な暖房あるいは冷房ができないエネルギー貧困と呼ばれる世帯が5000万軒ある。低収入、高エネルギー価格、住宅の断熱効果の悪さが貧困の原因を作っている。ポーランド経済研究所は、輸送、住宅分野において排出枠取引制度を導入すれば、エネルギー貧困世帯を中心に大きな影響が生じるとの分析結果を公表している。

 30年に当該部門で05年比40%削減を実現するためには、170ユーロ(現在の3倍程度)のCO2価格が必要になるが、その家計への影響額はEU27カ国で25~40年の間で1兆1120億ユーロ(約145兆円)。年間負担額の増加は、1世帯当たり輸送関連で373ユーロ(約4万8000円)、住宅関連で429ユーロ(5万6000円)になる。

 EU27カ国の下位20%に属する低所得者層では、輸送関連と住宅関連支出が、それぞれ平均44%、50%増加すると予測されている。

 ECは、国、世帯による収入の違いを考慮し、55%削減策により影響を受ける層への対策として加盟国が総額1444億ユーロ(約19兆円)を拠出する社会気候基金を設立するとしている。

 しかし、ポーランド経済研究所はECの対策では不十分とし、冬季の気候が厳しく大きな額の燃料支出が必要で、低所得者の多い東欧諸国に対しては、財政、気候条件なども考慮した上で対策が取られるべきだと指摘している。

 脱炭素を進める米国も、エネルギー貧困の問題に直面することになる。バイデン大統領は35年電源の非炭素化を目標としているが、再生可能エネルギー導入、送電網強化などの投資が必要とされており、エネルギー価格にも結果的に影響を与えることになる。米国では州による制度の違いがあり、居住地域により貧困層の受ける影響は異なる。一部の州では健康上の理由があっても、料金を支払わなければ電気が止められてしまう。

 米エネルギー省のレポートによると、エネルギー貧困世帯は所得の8.6%をエネルギー購入に当てており、平均的世帯のエネルギー関連支出2.5~3%の約3倍になっている。中にはエネルギー関連支出が収入の30%にもなる貧困世帯もあるとされている。

貧困で省エネが困難に
低所得者多い日本では

 世帯のエネルギー関連支出は平均的世帯より絶対額は少ないが、相対的には高くなる。その理由は、プロパンガスなど相対的に高い燃料の使用が多いこと。貧困世帯の59%は賃貸住宅に住んでおり、住宅の家主が断熱など住宅の省エネに熱心ではないこと。省エネ機器の導入を行う資金を用意できないなど、貧困ゆえに省エネ、節電対策が難しいことをエネルギー省は指摘している。そんな中で、電源の非炭素化が進むと貧困世帯はさらに電気料金の支払いができず、地域によっては熱波、寒波による健康被害を受けることになる。

 日本でも再エネ導入による電気料金上昇が懸念されるが、日本と米国の世帯所得の分布を比較すると、日本の方が低所得に分布が広がっている()。世帯所得の中央値も日本の437万円(18年)に対し米国は6万3761ドル(約700万円、19年)。平均世帯所得は、高所得者が多い米国の9万1406ドル(約1000万円)に対し、日本は552万円だ。

 電気料金上昇の影響は低所得者が多い日本の方が大きいだろう。温暖化問題も重要だが、国民の生活に与える影響も十分に考慮した上で政策を決定するべきだ。