コロナプライシングのススメ ~カーボンプライスの寓話~(2)
コロナ禍の気候変動対策への影響~続編
手塚 宏之
国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)
前回:コロナプライシングのススメ ~カーボンプライスの寓話~(1)
2.コロナプライシング政策の提案
コロナ対策の長期常態化によるパンデミックの深刻化や混乱への対応と、各国がバラバラに対策をとることで求心力が失われ始めたEUの結束強化を、同時に追及求するための新たな政策手法として、ECの中では「コロナプライシング制度」の導入検討が始まった。この制度はEUが気候変動対策の中心政策として2005年から導入、実施してきた「カーボンプライシング制度」に似通ったものである。化石燃料使用に伴う温室効果ガス排出という外部不経済に、カーボンプライスという価格付けをすることで、CO2排出の抑制を図るというカーボンプライシングに似通った制度の導入検討だ。人々の活動や接触に伴う感染拡大によるパンデミックを、「コロナプライシング」制度によって抑制しようということで、気候変動対策と同様に「科学的知見」に基づき、市場メカニズムを活用した合理的かつ効果的な政策を目指そうというものである。
具体的には、コロナウィルスの伝染を引き起こす根本原因である、人々の濃厚接触機会について、過去1年余りの疫学的データから得られた知見から、他人との接触機会、特に普段接触しない家族以外の人と接触、会食することが感染拡大を招いているものと見定め、人々の外出や外食の頻度について、EU全域で一定かつ共通の規制をかけようというものである。具体的には、温室効果ガスの大量排出事業者を対象とした排出権取引制度(EU-ETS)で利用される「価格」を活かした、アイスランドで行われた漁獲量の割当制度に近い制度の導入だ。
気候変動対策における「科学の要請」に基づく対策と同様に、ここでは数理的な疫学モデル研究を世界リードする日本の研究チームがいち早く説いた、「人と人の接触機会の8割削減を社会全体で一定期間継続することで感染が収束する」という「科学的知見」に基づいて、EU域内のすべての人に対し、1週間あたりの外出機会と外食機会について、それぞれ週1回までという上限(キャップ)を課し(前提として個人が毎日外出機会があるとすると週7日の8割削減は7×0.2=1.4日なので週一回以下に制限すれば8割以上の削減になる)、各人にそれぞれ「外出権」と「外食権」をチケット(クレジット)として配布するという案である。この「外出権」、「外食権」チケットなしに外出、外食をした人については、高額の罰金を科して取り締まるという。
ただ、それだけでは今までに各国が実施してきた厳しいロックダウン政策や飲食店の休業命令と変わらなくなってしまう。そこで、これに排出権取引制度に模した、市場を用いた権利の取引制度を組み合わせて、社会全体の削減を達成しようというのである。温暖化対策においては、温室効果ガスの排出事業者に対して、2050年ネットゼロ排出、2030年半減という「科学的知見」に基づくとされる毎年の排出量制限(キャップ)をかけた上で、対策が進んで枠を余らせた事業者が、枠の足りない事業者に有償で排出権を売却して全体最適を図るというEUの「キャップアンドトレード型排出権取引制度(EU-ETS)」によって、効率的な排出削減を進めるとされているが、コロナ対策においても、「外出権」「外食権」を人々が取引する市場を創設しようというのである。
人によって外出や外食の必要性や感じる便益の大きさは異なるので、すべての買い物や仕事、友人との会話をオンラインと宅配サービスで済ませることで満足できる人もいる。そうした人々が余らせた「外出権」や「外食権」は、どうしても外出、外食を週2回以上したい人に、EU内に設けられる「外出権・外食権市場」を通じて取引してもらうことにするのである。また週に一回の最低水準の外出、外食機会は、EU市民の「基本的人権」として認識されているということを根拠に、それぞれ週一回分のチケットは無償配布されることとする。ただその場合、外出・外食機会は86%削減されることになる(1-(1÷7)=0.86)ので、週一回への一律制限は、「科学が要請」している以上の、過剰な負担をEU市民に強いることになる。そこでECは、過剰規制となる一人当たり週0.4回分(7日x6%=0.42回)の「外出権」、「外食権」については、ECがEU市民を対象にオークションにかけて有償配布することで、お金を払ってでも外出、外食をしたい人の需要に応える一方、そこから得られるオークション収入は、コロナ対策で疲弊する外食産業等への支援金の財源として充てる計画だ。富裕層の間には高額の「外食権」を買ってでも、万全な感染対策を実施した高級レストランに通いたい、あるいは感染リスクの低い高級リゾート等への旅行を楽しみたい、という「外出権」需要も期待できるため、「外出権」、「外食権」のオークション価格(コロナプライス)は、かなりの高価格となることが期待されている。またそれはコロナ禍によって生活に困窮している貧困層にとっては、政府から無償で配布される週一回の外出権、外食権を使わずに市場に売り出すことで、副収入を得る機会が与えられることに繋がる(例えば外出、外食の機会や必然性が少ない幼児を抱えた家庭にとっては、子供たちが余らせた「外出権」、「外食権」を市場で売ることで家計の補填が可能となる)。
ECでは、EUを主導するドイツとフランスの強い提唱もあり、これを「コロナプライシング」による一種のキャップアンドトレード型の「外出権・外食権取引制度」(EU-OTS=Outing rights Trading System)として一刻も早く確立し、さらにはこれを世界で最も進んだ「科学に基づき」、「市場メカニズムを活用した」コロナ対策の模範モデルとして世界に広げていこうという機運が高まっている。
もちろんEU域内にも、こうした私権の制約を伴う厳しい政策を、ECという直接民主制に基づかない政治権力にゆだねることへの不満の声はあり、導入に抵抗する国もある。だがそうした声は、欧州グリーンリカバリー政策の一環として20年7月に首脳間で導入を合意した、当初計画だけで7500億ユーロを超える巨額の資金を動員する、欧州復興基金の執行にあたって、経済的に豊かな独仏以外の国、特にコロナパンデミックで主力産業の観光収入が途絶えて大きな経済損失を被った南欧地域等への、手厚い資金分配により、抑え込むことが可能とみられている。
またEU内部では、既存の炭素排出権取引市場に加え、新たな「外出権・外食権取引市場」ならびにそのオークション市場が設けられることでビジネスチャンスが拡大し、さらには先物取引や投機機会、一時立て替えなどの様々な金融手段でビジネスチャンスが増えることが期待される域内の金融機関や、監査法人、コンサルタントなども、こぞってこのEU-OTS制度導入案を支持している。
3.国境調整措置の導入案
このEUの「外出権、外食権取引制度」は、EU加盟27か国と、さらにEUを離脱したばかりとはいえ、ユーロトンネルでEUと直結しているため人の往来が盛んであり、かつ新たなクレジット取引市場の創成に関心が高い金融セクターを抱えている英国を加えた、28か国を対象地域市場として施行することが検討されているのだが、域外との人の行き来をどうするかという課題が持ち上がっている。人の接触機会を確実に8割削減するという、「科学の要請に基づく」厳格なコロナプライシング制度を導入するEUに、より緩い規制や対策しかとっていない域外諸国の人を受け入れる際に、どう対処するべきか。
コロナ感染対策というだけであれば、域内への入国前後の一定期間に複数回にわたりPCR検査を受け、感染がないことが確認された人に限って入国を認めれば事足りるだろう。しかし世界的なコロナパンデミックの状況下で、PCR検査を受けてでも外国からEUに渡航しようとする人は、EU域内で業務上、あるいは家庭上の重要な用事がある人に限られるだろうから、EU域内で滞在期間中、EU域内住民と同様に週に1日の外出、外食機会しか認められないのでは入国する意味がなくなってしまう。そもそもEU域外ではEUが導入しようとしている「科学的知見」に基づいた厳しい外出規制など、行われていない国や地域もあり、ゆるい対策による自由な生活を享受してきた外国人を、PCR検査陰性というだけでEUに自由に受け入れ、域内で活動させるということについては、コロナプライスを課されて我慢を強いられるEU市民の反発が予想される。そこでECでは、そうした様々な事情でEUに入国する域外居住者に対しても、入国時の厳格なPCR検査に加え、域内滞在日数分の外出権と外食権を、EUの外出権・外食権市場から有償で購入することを義務付ける「国境調整措置」導入を検討している。EU域内住民との内外無差別の条件を担保するために、滞在期間が1週間以内の場合は1日1回、1食分の「外出権」、「外食権」は無償配布することとし、2週目以降も1週間ごとに1枚ずつのクレジットを無償配布するが、それ以上の活動を行うために不足する分は取引市場から入国者が自費で調達することを義務付けるというのである。
4.各国から異論が続出
この提案に対する各国の反応は様々である。コロナウィルスの震源地とされている中国では、いち早く厳しいコロナ対策が国を挙げて実施されており、ITや管理されたソーシャルメディアを駆使して、徹底的な行動規制と人々の行動のトラッキングを行うことで、コロナウィルスの封じ込めに成功しており、更には中国企業が開発したコロナウィルスワクチンの接種を進めているので、ECの主張するような「外出権、外食権取引市場」による市場メカニズムを用いた80%接触制限などという政策は国内対策としては必要ないという。それどころか中国政府の厳しいコロナ管理を受けている中国人は、世界でもっとも安全な民族であり、EU入国に際してPCR陰性以上の制限を設けるべきではないと主張している。EU域内での中国人の行動についても、スマホの位置情報を活用した中国流の徹底した行動規制と接触確認を継続実施するので、その方がECの主張する「科学に基づく」コロナプライシング制度より、よほど「技術に基づく」信頼性の高い解決策であり、さらには今後中国では海外渡航者に対して、現在鋭意開発中の変異株対応中国製ワクチン接種を義務付けるので、ECによる中国人に対する一方的な「外出権」、「外食権」購入の義務化には反対すると主張している。
米国では、もともとコロナ対策は連邦政府ではなく州の権限で実施されていて、厳しい行動制限を実施する州はあるものの、対策の強度は州によってまちまちであり、個人の行動の自由を優先して厳しい対策を行っていない(その結果、感染拡大というツケは払っている)州も存在している。そうした状況下で、EUに倣って全米をカバーするような「コロナプライシング」型の「外出権・外食権取引制度」を導入するということの政治的な可能性は、ほとんどない状況にある。行動や人との接触の自由の保証は、米国憲法が保証する民主主義の根幹となる米国民の権利であり、これに対する連邦政府による規制には強い抵抗感があって、連邦レベルでの法的規制の導入はほぼ不可能な状況である。そうした国内の政治的な背景もあり、ECが検討している国境調整措置についても、米国政府は憲法で保証された米国人の行動の自由を、ECが一方的に規制し、コスト負担を負わせることにつながるとして、強い懸念を表明している。
感染拡大防止対策の科学的合理性という意味では、入国時のPCR陰性証明だけで十分であり、それ以上の負担を強いる場合は、報復措置としてEU域内住民が米国に入国する際には、米国政府として高額の入国税を課すことになるとEUに警告している。さらに、ECがコロナ変異株によるパンデミックが長期にわたって不可避な問題であるとして、半恒久的な「コロナプライシング制」度の必要性を主張しているのに対して、米国内では、複数の米国製薬ベンチャー企業が多種の変異株にも有効とされる画期的な「スーパーワクチン」の開発を鋭意始めており、数年以内には実用化の目途がつくことが期待されるとして、そもそも「コロナプライシング制度」などによる恒久的、かつ過度な行動規制は必要ないと主張している。
次回:「コロナプライシングのススメ ~カーボンプライスの寓話~(3)」へ続く