「カーボンニュートラル」はエネルギー論議だけに終わらせてはいけない
井上 直己
上智大学大学院地球環境学研究科 准教授
1. カーボンニュートラルは、地球全体の炭素循環の視点が不可欠
菅総理が2050年までに温室効果ガス(GHG)の排出量を実質ゼロにする、いわゆる「カーボンニュートラル」を宣言してから、国内での再生可能エネルギー大量導入に向けた動きが一層活発となっている。EU、米国、中国などの主要国がカーボンニュートラルを宣言している中、日本でも取り組みを加速させる潮流が生まれている。
日本においては多くの関心が、脱石炭や太陽光や風力などの国内のエネルギー供給に集中している。しかし、日本の経済活動がもたらす気候変動への影響は、国内での化石燃料由来の排出に限らない。貿易大国として多くの原材料や製品を輸入している日本は、生産・消費活動を通じて、海外の生産に伴うエネルギー消費やGHG排出、環境破壊に一定の責任を負っている。SDGs(持続可能な開発目標)の目標12「つくる責任 つかう責任」が示す通り、生産者と消費者は輸入先の生産過程を含むライフサイクル全体での影響に責任を持つのである。
実際、生産者がその製品に係るサプライチェーン(供給網)全体の排出を下げる取組が増えている。複雑なサプライチェーンを持つ生産者はその把握だけでも容易ではないが、さらに、より低炭素な調達を実現し、輸入先での生産や輸送を含めて脱炭素を達成することが求められる時代に、移り変わりつつある。
さらに、カーボンニュートラルは化石燃料由来の排出を減らすのみならず、環境保全を通じた森林や農地の炭素貯留を増大させていくことが併せて議論されるべきだ。炭素貯留を増大させることではじめて炭素循環が成り立ち、カーボンニュートラルが達成できる。しかし炭素吸収源は環境破壊により損なわれている。世界の炭素吸収源を、製品のサプライチェーン全体を通じて如何に保全していくかという論点が国際的に注目されている。日本では一部の企業を除けば、まだ経済界全体にそうした意識が広がっているとは言いがたい。
本稿では、輸入物資に頼った国内の大量生産/大量消費が、海外の炭素排出や吸収源損失に対して責任を負っている点、そして必要な行動変容やシステム変容のあり方について、食料システムを例にして論じたい。
2. 食料システムがもたらす環境影響は甚大
私たちの日常の消費活動のうち、気候変動への影響をもたらすものは多岐にわたるが、なかでも「食事」はそのうち最も身近なものである。世界の食料供給システムは化石燃料由来のエネルギーに大きく依存し、農薬や化学肥料の大量投入による環境影響と炭素吸収源の破壊を伴う。食料供給システム全体におけるGHG排出量は、世界の総排出量の21~37%にのぼるとされる注1) 。
そのうち最大の排出源は、畜産、特に大規模で大量生産を可能とする“工業型”畜産である。工業型畜産は、エネルギーの大量投入を前提としているだけでなく、大量の農薬や化学肥料、淡水を使って大量生産した穀物を家畜に与えている。世界第2位の飼料輸入大国である日本では大部分を輸入に頼っている。こうすることで、肉類や乳製品を安く生産でき、私たちは肉類を手軽に入手できるようになった。一方で、穀物生産国の広大な土地が飼料栽培にあてられることで生物多様性が大規模に失われ、土壌劣化や海洋汚染を引き起こしている。飼料を生産する農地を拡大するために自然破壊が行われ、アマゾンでは熱帯雨林が焼き払われている。家畜のげっぷや糞尿から排出されるメタンガスや一酸化二窒素は強力な温室効果がある(メタンは二酸化炭素の約25倍、一酸化二窒素は約300倍)。こうした要因により、世界の畜産業のサプライチェーン全体からのGHG排出量は、総排出量の14.5%に達しているとされる注2) 。
食による環境影響の代表的なものとして、パーム油の消費も挙げられる。三大熱帯雨林の一つであるボルネオ島(マレーシア、インドネシア)の熱帯雨林は、巨大な炭素吸収源であり、生物多様性の宝庫でもあるが、大規模な森林破壊により農地が造成され、アブラヤシのプランテーション(大規模な単一作物の栽培)が展開されている。これはパーム油の大量生産のためである。世界のパーム油生産の85%は両国でなされ、パーム油の大量消費による熱帯雨林破壊は深刻な問題となっている。
日本でも、パーム油はチョコレート、アイスクリーム、クッキー、カップラーメン、ポテトチップス、シャンプー、石鹸などの原材料として幅広く使われており、日本人は一人当たり年平均5kgを消費しているとされる。しかし、日本の食品原材料表示では「植物油」や「植物油脂」、「マーガリン」、「ショートニング」などとのみ表示されており、知らないうちに消費しているのが実情だ注3)。
ボルネオの熱帯雨林破壊がもたらす環境影響は、オランウータンやスマトラサイの絶滅の危機など、生物多様性の損失が知られているが、それのみならず、泥炭地の開発により排出されるGHGだけでも全世界の年間排出量の0.44~0.74%を占めるなど、気候変動の進行にも影響している注4) 。日本の総排出量は全世界の3.4%であることと比べると、泥炭地の開発による影響は決して小さくない。
3. 森、土、川、海を守ることは気候変動対策として不可欠
上記では、GHG排出以外に、生物多様性損失や土壌劣化、海洋汚染などの環境影響について触れたが、これらと気候変動とは密接に関係する。例えば、森林などの植生による炭素固定以外にも、微生物をはじめ多様な生物を育む健全な土壌は、二酸化炭素を貯留する機能がある。IPCC第5次評価報告書(2013)によれば、土壌が貯蔵する炭素量は、大気の2倍、陸上植生の3倍とされ、その膨大な炭素貯蔵が健全に機能すれば気候変動の緩和に効果をもたらす一方、その機能を損なえば巨大な排出源に変わるとされる注5) 。このように、土壌や森林を含む陸と海の生態系全体(生態圏)が、自然破壊や環境汚染によって健全性を失うことにより、気候変動を加速させることになる。
かつての日本の公害を知る私たちは、環境汚染と聞くと、地域が限定されたローカルな問題であり、影響を受ける吸収源も限定的だというイメージを持つが、海外では大規模な発生がみられる。近年メキシコ湾やバルト海に酸素が欠乏する「死の海域」が広範囲に出現するが、これは流入する河川流域での化学肥料の大量投入等に起因するとされる。実際、そうした汚染の原因物質である窒素やリンの世界全体の投入量は、地球の生態圏が許容できる限界(プラネタリーバウンダリー)を遥かに超えている。森林破壊を含む土地利用の変化や生物多様性の損失も同様だ注6) 。そしてそれらの負荷が、ある転換点(ティッピングポイント)を超えてしまうと、生態圏の破壊によりGHGが排出されて気候変動が進み、それが更に生態圏を壊すなど、不可逆的で破壊的な連鎖反応が起きることが懸念されている。一旦連鎖的な破壊的変容が起きたらもう止められない。このため、森、土、川、海などの生態圏の保全はGHG排出削減と同様に重大な課題だと、ロックストローム(2015)を始め、多くの科学者が指摘しているのだ。
そもそも「カーボンニュートラル」とは、吸収や貯留を前提とした考えであることも強調したい。プラスマイナスゼロという「ニュートラル」(中立)が意味するところは、森林など生態系による吸収分や、排出されるGHGを地中に貯留する手法(CCSなど)による吸収分を差し引いた結果、総体として排出がゼロとなる状態を指す。CCSなどのハイテク分野が注目されるが、健全な生態系を確保することによる炭素貯留は、その影響力の大きさから欠かせない。カーボンニュートラルのためには自然生態系を守ることが必要不可欠なのである。
また、たとえ仮に現時点でGHGの排出が完全に止まったとしても、既に大気中に放出されたGHGによってもたらされる気候変動の進行は、もはや避けられないことも忘れてはならない。この点からも今後の排出削減に加えて、自然生態系による炭素吸収量を増加させることが重要性を増している。カーボンニュートラルよりも更に進んで、二酸化炭素の吸収量が排出量より多い状態はカーボンネガティブと呼ばれるが、この状態をつくるためには、ダイレクト・エア・キャプチャー(直接大気回収)などの人工技術のみならず、植林を含め自然環境の力を回復や増強することによる吸収量の増加が注目される。
一方、上述のとおり、世界の食料システムによって生態圏が大規模に破壊されているという点は由々しき事態であり、気候変動を含む持続可能性に関わる大きな課題だ。忘れてはならないのは、そうした影響をもたらす食料システムが、日本を含む豊かな国の「飽食」、つまり食べたいものを、食べたい時に、食べたいだけ食べ、捨てたいだけ捨てられる、そういう状態を支えているということだ。世界レベルでのカーボンニュートラルを目指す中で、消費者一人一人が食事をする時にどのような選択をするかが問われている。
4. 生産と消費の変容は「地球」のためではなく、人類の生き残りのため
以上、国内の大量生産/大量消費が海外の炭素排出にもたらす影響について、食を中心に述べてきたが、これは一つの例に過ぎない。同様の議論は、衣服や電子機器など私たちの何気ない消費のすべてに関わる。日本経済がグローバル経済に密接に組み込まれている現在、国内のカーボンニュートラルを論ずるだけではなく、その生産と消費がもたらす海外の炭素排出や環境影響、そして生産と消費のあるべき姿を論ずること急務だ。
そのあるべき姿とは、地域循環と地産地消であると筆者は考える。それは気候変動を緩和するのみならず、今後予想される大きな変動の中で持続可能性を高めることにもなる。上述の工業型畜産を例に取れば、大量の穀物飼料を大量の農薬と化学肥料の投入を前提として米国やブラジルなどの輸出大国で大量生産し、それを家畜に与えている形態が持続可能であるのかについて論ずるべきである。気候変動の影響によって食料価格の上昇が予測注7) される中、そうした穀物の大量消費注8) 、そして世界第2位の飼料輸入大国である日本の畜産システムが、果たして長期的に現状のまま維持できるのか、真剣に問い直すことが必要だ。そのうえで、国産の飼料用米を大幅に増やしつつ、日本の国土のキャパシティや風土に見合った規模や方法の畜産の実現を目指すなど、地域循環を基調とした生産に大きくシフトしていくことが必要なのではないか。それは気候変動によるサプライチェーンへの影響を和らげるレジリエンスをもたらすのみならず、食料安全保障にも資する。
そしてそうした変化を促す主体として消費者の役割は大きい。できるだけ地元の農産物を食べる「地産地消」により国内の農業を支えることができる。環境に配慮して生産した農産物を選ぶことで持続可能な農業を後押しできる。いまは価格が高くても、買う人が増えて環境配慮に取り組む農家が増えれば、価格も下がるだろう。地域循環を基調とした伝統的な郷土料理の価値を見直すことも重要だ。
まずは、エネルギー分野のみならず、今ある経済、生産、消費などのあらゆるシステムが、このままで持続できるのだろうかと問いかけ、それは「持続不可能」であるという答えに向き合うことから出発するべきではないか。SDGsの本質は、世界の諸問題を解決するという慈善的な理想論ではなく、これらに対応しなければ、グローバルシステムの機能不全につながり、あらゆる国でシステムが持続不可能になり得るという点だ。米国防総省が気候変動を安全保障問題と位置付けているのはそのことを示す一例だ注9) 。グローバル経済で深くつながりあった人類はもはや運命共同体になりつつある。だからこそ、すべての主体がSDGsに取り組まなければならないのだ。それは単なる環境主義ではなく、博愛の美談でもなく、私たちの経済や社会を守り、生き残るために突き付けられた、極めて現実的な問題なのである。しかも人類に残された時間は少ない。
そのために求められる社会経済システムの変化は抜本的なものであり、政府や経済界、企業が取り組めば良いという問題では決してない。そうした変化は市民の行動や意識の変容、支持がないと成り立ちえないからだ。私たち一人一人がこの問題を自分のこととしてとらえ、私たちが生き残るために、消費行動やライフスタイルも含めた大きな転換することが求められている。「カーボンニュートラル」はエネルギーの議論だけに終わらせてはいけない。
- 注1)
- IPCC. (2019). Special Report on Climate Change and Land.
- 注2)
- IPCC. (2018). Special Report Global Warming of 1.5℃.
- 注3)
- 熱帯林行動ネットワーク (JATAN). (2016).「パーム油調達ガイド」.
https://palmoilguide.info/about_palm/detail
- 注4)
- Hannah V. Cooper, Stephanie Evers, Paul Aplin, Neil Crout, Mohd Puat Bin Dahalan & Sofie Sjogersten. (2020). Greenhouse gas emissions resulting from conversion of peat swamp forest to oil palm plantation.
- 注5)
- Bispo, Antonio & Andersen, Lizzi & Angers, Denis & Bernoux, Martial & Brossard, Michel & Cécillon, Lauric & Comans, Rob & Harmsen, Joop & Jonassen, Knut & Lamé, Frank & Lhuillery, Caroline & Malý, Stanislav & Martin, Edith & Mcelnea, Angus & Sakai, Hiro & Watabe, Yoichi & Eglin, Thomas. (2017). Accounting for Carbon Stocks in Soils and Measuring GHGs Emission Fluxes from Soils: Do We Have the Necessary Standards?. Frontiers in Environmental Sciences. 1. 10.3389/fenvs.2017.00041.
- 注6)
- Johan Rockstroem & Mattias Klum. (2015). Big World, Small Planet: Abundance within Planetary Boundaries.
- 注7)
- IPCC. (2019). Special Report on Climate Change and Land.
- 注8)
- 牛は1kgの肉を生産するために11kgの穀物飼料を消費するとされる。(出典: 農林水産省. (2015). 「知ってる?日本の食糧事情 ~日本の食料自給率・食料自給力と食料安全保障~」)
- 注9)
- The Hill. (2021). Pentagon declares climate change a “national security issue”. Retrieved from https://thehill.com/policy/defense/536188-pentagon-declares-climate-changes-a-national-security-issue