脱炭素化と中国のしたたかな計算


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 本年1月11日のForeign Policy に「中国が数十年にわたる気候変動の行き詰まりを打開する(China Breaks Decades of Climate Gridlock)」という記事注1) が出た。筆者は米国のシンクタンクBreakthrough Institute 所長のTed Nordhouse である。温暖化、エネルギー問題に関する彼の論考は常に現実的であり、多くの場合、首肯するところが多い。今回の論考のポイントは以下のとおりである。

中国は2060年ネットゼロエミッションを打ち出したことで地球温暖化をめぐるゲームの様相を大きく変えた。1990年代以来、中国は長らく「共通だが差異のある責任」をふりかざし、先進国の責任を追及する一方、自らは石炭をはじめとする化石燃料中心の潤沢なエネルギー供給に支えられ、経済力をたくわえてきた。
世界の温暖化防止努力の成否カギを握っているのは米国であり、悪いのはエクソン(‐モービル)をはじめとする米系化石燃料企業であるというストーリーは中国、欧州、ロシア、環境活動家いずれにとっても好都合なものであった。
中国が「共通だが差異のある責任」の姿勢を転換し、2060年ネットゼロエミッションを表明したのは、それによって地政学上の利益が得られるからである(bigger geopolitical fish to fry)。中国はネットゼロエミッション表明により、米国の中国批判を封じ、欧州の国境調整措置の発動を封じた。これは南シナ海、台湾への武力威嚇、香港の人権抑圧、ウイグルの虐殺等に対する西欧諸国への批判を和らげるためのしたたかな計算でもある。
中国は太陽光パネル、風車、バッテリー等、巨大なクリーンエネルギー産業基盤を築き上げており、2060年ネットゼロエミッション表明に刺激され、世界各国がネットゼロエミッションに進めば、この分野で主導権を握ることができる。中国の目標が実現できるかどうかはともかく、欧米諸国に比して強力で中央集権化された官僚制度により、少なくともその目標に近づくことは可能であろう。
皮肉なことにトランプ政権が気候変動に背を向けた結果、中国がリーダーシップを強めることになった。バイデン政権は温暖化防止のリーダーシップをとると公言している。バイデン政権の米国のパリ協定再加入はトランプ時代に毀損されたイメージを改善するのに役立つだろうが、米国の排出量を大幅に下げる実施可能な手段は限られている。米国が建設的な役割を果たせるとすれば次世代技術のイノベーションであろう。しかし太陽光パネル、風車、バッテリー、原子力等のクリーンエネルギー産業を有する中国は技術革新面でも急速に力をつけており、米国がイノベーションにおけるリーダーシップを奪われる可能性もある。
中国のコミットメントを気候変動の切り口からだけ見るのは近視眼的である。中国は気候変動のみならず、WHOを通じたコロナ対応やBRI(一帯一路)を通じたインフラ整備等により国際的なリーダーシップを取ろうとしている。強力な製造業の集積と魅力的な消費者市場もある。
しかし中国のリーダーシップの強まりは国際政治における自由民主主義の後退と表裏一体である。自由民主主義は様々な限界や失敗を伴いながらも戦後の世界秩序を形成し、世界経済の発展や貿易、環境、紛争、人権に関する世界規範の形成を助けてきた。中国の影響力拡大は気候変動問題への対応よりもはるかに大きな影響をもたらす。人権や民主主義的な説明責任に無頓着な中国が世界においてその利益を主張することは、気候変動対応に成功した世界が、より公平で包摂的で人間らしい世界を必ずしも意味しないことを肝に銘じておくべきだ。

 読んでいて気が滅入ってくるような論考であるが、その指摘の多くに同感する。トランプ政権がパリ協定に背を向けたことは中国に「良い子」を演ずる格好の機会を与えた。トランプ政権を嫌悪し、環境を重視する欧州はドイツを中心に中国との紐帯を強めた。欧州にとって中国の地政学上の脅威よりも巨大市場としての魅力の方が大きい。コロナとマスク外交の失敗、香港、台湾、ウイグル問題等で国際的イメージを落とした中国がトランプ政権と裏腹にネットゼロエミッション宣言をすることにより、欧州の歓心を引こうとしたことも指摘されている通りだ。

 中国にとって最も都合の良いシナリオは、世界が脱炭素化に向かうことで中国製の安い太陽光パネル、風車、バッテリー、更には電気自動車への需要が高まることだ。中国のPV産業の今日の隆盛をもたらしたのはドイツをはじめとする先進国のFITによって人工的に作り出された需要である。日本でもFITの導入によって太陽光が急増したが、その大半は中国製パネルである。菅総理の2050年ネットゼロエミッション宣言により再エネ導入量が上積みされれば安価な中国製クリーン技術の商機は更に拡大することになるだろう。我が国はグリーン成長戦略では国産風車部品比率6割を目標としているが、これはもろ刃の刃であり、高コストな国産品にこだわれば温暖化対策コストは上昇し、日本の産業競争力を弱めることになり、結果的に中国を利することになる。更に中国はロシアと並んで世界の原発市場へも売り込みを強化しようとしている。日本の原子力産業が国内の袋小路状況から抜け出せず、衰退・死滅すれば中国にとって好都合であるに違いない。加えて中国は化石燃料技術でも儲けることができる。全ての国が一気に脱炭素化に進めないことは明らかだ。アジアを中心に石炭に依存しなければならない途上国も多い。先進国はOECDガイドライン等で化石燃料関連技術輸出を自ら封じている。その穴を埋めるのが中国製の石炭火力技術である。

 脱炭素化に向かう世界で影響力を強める環境NGOは中国に対してはひたすら甘い。彼らは日本、米国、豪州には何度となく化石賞を進呈しているが、中国をやり玉にあげたことはない。杉山大志氏が「環境活動家は中国共産党の使える愚か者(useful idiots)なのか」注2) で指摘したように、環境団体は温暖化防止で存在感を増す中国を賞賛している。

 中国はWTO加盟により自由貿易体制の果実を存分に享受してきた。今後は脱炭素化する世界でヘゲモニーを取ろうとしている。しかし中国のクリーン技術の製造基盤になっているエネルギー構造が未だに化石燃料を基盤としていることを忘れてはならない。中国製のパネルのカーボンフットプリントは欧州製のパネルの2倍であるという試算もある注3) 。EUが導入しようとしている国境調整措置は政治的にも技術的にも様々な論点がある。しかし欧州、米国、日本がおしなべて2050年ネットゼロエミッションを目指すのであれば、それが中国を肥え太らす結果に終わることを回避する必要がある。炭素集約的なエネルギー構造の下で生産された中国のクリーン技術が各国の市場を席捲することは環境面のソーシャルダンピングのようなものである。EUの国境調整措置はまず鉄鋼、セメント、電力等を対象にするという。脱炭素化する社会で中国がひたすら漁夫の利を得ることを防ぐためには、中国製クリーン技術のカーボンフットプリントをきちんと精査することではないか。

注1)
https://foreignpolicy.com/2021/01/11/china-climate-diplomacy-decarbonize-net-zero-separate-and-differentiated/
注2)
https://cigs.canon/article/20201228_5539.html
注3)
https://www.scmp.com/news/china/article/1523493/carbon-footprint-chinese-solar-panels-twice-size-those-made-europe