新型コロナ「エンデミック」と暮らすために(1)
-感染経路に「善悪」はあるのか-
越智 小枝
相馬中央病院 非常勤医師/東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師
新型コロナウイルスの流行が始まってから約1年が過ぎました。今、新型コロナウイルスは特殊な場所から持ち込まれる特別な感染症であった時期を過ぎ、恒常的に社会に存在する「エンデミック」期に入ったと言えるでしょう。
ではエンデミック期の感染対策は、禁止事項を羅列してゼロリスクを追い求める水際対策のような「掃討戦」では不十分です。たとえば今の緊急事態宣言による自粛や飲食店の閉店だけでは感染リスクは0にはならないからです。
ゼロにならないリスクの中で日常を取り戻すためにはどうすればよいのでしょうか。まず大切なことは、感染リスクを本当に自分事として考えること。その上で、一人一人が生活の中でこまめにリスクを減らす「ゲリラ戦」へ戦略転換をすることだと思います。
飲食店の自粛要請に見る懸念
ここ数か月、著名人や国政関係者による不用意なクラスター発生事例が次々報道されています。この報道を見て懸念されるのは、一部のクラスター発生にばかり注目が集まることで、多くの人が
「対策を取るのはサービス提供者であって、自分たちは楽しいことを我慢さえしていればよいのだ」
と思ってしまうことです。今、不要不急だけを避ければ本当に感染は収まるのでしょうか。
たとえば12月23日の新型インフルエンザ等対策有識者会議の資料(1)を見てみると、この時点ですでにクラスター数が一番多いのは福祉施設です(図1)。さらに、飲食店とほぼ同数のクラスターが、職場や学校で起きていることも見て取れます。東京都の飲食店数は8万件以上、幼稚園と学校の数を合わせると約4000校、福祉施設数は2000件弱ですから、必ずしも飲食店だけがクラスター発生リスクの高い場所ではないことが分かると思います。
また、同資料では「飲食店クラスターの後に福祉施設クラスターが発生する」という説明がなされていますが、図1からはその傾向は読み取れません。次の頁で示されている資料では実観測値の代わりに「イメージ」図が用いられています(図2)。
もちろん「飲食店クラスターへの介入が不要」と言っているわけではありません。不要とみえる会食をやめない人々を諫めるために、分かりやすい資料を提供した提言者側の意図は充分理解できます。しかし行き過ぎた喧伝が飲食店や医療施設への差別を呼んでいる側面は看過できないと思います。
感染経路に「善悪」はあるのか
でも会食のような「不要不急」で感染した人と家庭や福祉施設で「やむなく」感染した人を同列に扱うのはおかしい。そう思われる方も多いと思います。しかし、不要不急による感染とやむを得ない感染は、本当に区別が可能なのでしょうか。
たとえばオフィス内でマスクを着用しなかったり、対面でおしゃべりをしながら食事をするなどによって起きた職場感染は「やむを得ない感染」、同じメンバーが外食で感染すれば「不要不急による感染」になるのでしょうか。
また、「家庭や福祉施設に持ち込むのは会食した職員や患者ではないか」という意見も聞きます。しかし外食しなくても外勤先の施設で感染し、別の病院に持ちこんでしまった、などの事例も多々見られます。またその施設に最初に持ち込んだ患者も家庭内感染、その家庭内感染はご家族の職場感染、という例もあるでしょう。
もちろん現場では、
「そんなことをしなければ感染しなかったのに…」
と注意したくなるような感染者もしばしば見かけます。しかし人から人へと移るウイルス感染においては、全ての患者さんの社会的要因までたどってその根本を明確にたどることは不可能です。また
「飲食による感染症は自己責任、家庭や職場の感染のみが許容される」
などと感染経路に善悪をつけることで、ご自身の感染を隠蔽する方も出てきてしまいます。
実際に、年始の感染拡大時には、「クリスマスの後くらいから症状があったけど我慢していた」という方が何人もいらっしゃいました。飲食で感染したと知られたら周りから差別を受けるかもしれない。そう考える人々が年末の受診を控えてしまったことも感染拡大の一因になっている可能性があります。
パンデミックは「災害」
このような状況は新型コロナに限りません。たとえば糖尿病という疾患は、世間では「食べ過ぎによる病気」「自己管理できない人の恥ずかしい病気」と認識する方も大勢います。その糖尿病が進むと心筋梗塞や腎不全を来し、心臓カテーテル治療や透析治療などの高額な医療が必要となることもあります。ではその合併症は「食事を我慢できなかった自己責任」なのでしょうか。
もちろんそんなことはありません。生まれつきの体質の方もいれば、生活が苦しくて食事に気を使う余裕がない方、ほかの疾患の影響で糖尿病になる方もいます。その根本にある遺伝的・経済社会的背景に善悪はつけられません。「食べ過ぎによる糖尿病は高額医療の無駄遣い」などと差別することは、もちろん許されないことでしょう。新型コロナウイルスについてもまた、同じことが言えるのです。
何かを禁止するだけで感染が収まるのであれば、世界中でこれほどの規模の災害にはなっていません。パンデミックは「災害」であり、感染された方は「被災者」である。社会全体でまずその認識を高める必要があると思います。
リスクを自分事に
感染拡大を誰かや何かのせいにして、リスクを他人事にしてしまいたい。それは人として当然の反応です。しかし当たり前のことですが、政府や飲食店、サービス業などに責任を転嫁しても、皆さんのいる場所が安全になるわけではありません。
くり返しになりますが、エンデミック期に必要な戦略は、一か所に大鉈を振るう絨毯爆撃的な政策ではなく、なるべく多くの個人がリスクを自分事として感染予防に参戦する、「ゲリラ戦」です。一人一人がゼロにならないリスクと向き合い、自分のできる範囲内でリスクを最小にする。そういう地味で地道な戦いこそがエンデミック期の暮らし方であり、私たちが新型コロナに勝たないまでも負けない為の唯一の方法なのではないでしょうか。
次稿では生活における環境除染についてもう少し詳しく述べます。
<参考文献>