日本の気温推移と異常気象
木本 協司
気候研究者
代替指標を用いた多くの研究や古文書によって、気候は太陽活動に支配されていることが明らかになっています。本稿では日本の気候に関する知見を紹介します。
縄文~江戸時代の気温推移
日本の縄文時代は完新世最温暖期にあたり、気温は現在より2°Cほど高く温暖で湿潤な気候でした。縄文人が好んで食べた貝類の殻を捨てた貝塚が内陸部で見つかっていることから、海面は今より3-5メートルも高く、縄文海進と呼ばれるように海岸線は内陸部に大きく食い込んでいました。また縄文人は「トウカイハマギギ」という熱帯魚の一種を食料にしていたことが、岡山県の彦崎貝塚や佐賀県の東名貝塚から骨が大量に発見されたことで明らかになりました。現在は寒冷な東北地方にある三内丸山遺跡で高度な縄文文化が長期間維持されたのも、当時の気候が今よりうんと温暖だったことが根本的な要因です。
図表1に示すように、縄文時代に続く弥生時代は気温が低下し飛鳥時代は寒冷でしたが、奈良時代に入ると温暖化が始まりました。
794年に平安京に遷都した平安時代は、中世温暖期と呼ばれる安定した暖かい気候でしたが、一時的な寒冷化も起きました。この時代の太陽活動は現在よりも活発だったことが、屋久杉の年輪に沿った炭素同位体の分析から、宮原らによって明らかにされています。
平安時代には、高い農業生産力に支えられて『源氏物語』や『枕草子』に代表されるように華やかな王朝貴族文化が花開きました。また気温が高かったのでマラリアが流行していて、藤原定家や道長が感染し、「熱し、熱し」と言って死んだ平清盛も犠牲になったと言われています。(参照)石井和子著『平安の気象予報士 紫式部』(講談社 2002年)
当時は大阪湾が深く入り込み京都の南部近くまで内湾化しており、鎌倉では海岸線が現在より数100メートルも内陸部に及んでいたことが知られています。太陽物理学者の桜井邦朋氏は、著書『太陽放射と地球温暖化』(海鳴社、1990、84-85頁)で、中世温暖期の海進について次のように述べています。
「太陽活動にみられる中世の大活動期においても、海進が起こっていたことは、地中海、日本の周辺、その他にも多くの証拠がある。日本の場合でよく知られている事実は、当時の大阪湾が内陸部に向かって、現在よりもずっと奥深くまで入りこみ、京都の南部地方にまで拡大していたことである。今では干拓されて何の痕跡もみつからなくなってしまったが、京都南部にあった巨椋が池は、その名残りなのであった。また、当時の鎌倉でも海進があったことは、海岸線が現在よりも数百メートルも内陸部に及んでいた事実からも明らかである」
図表1に見るように平安時代が終り、室町時代、鎌倉時代を経て江戸時代に入ると太陽活動低下による寒冷期となりました。太陽黒点が消失したマウンダー極小期(1645-1715)が含まれる小氷河期(1300-1900)に、享保、天明、天保の三大飢饉が起きましたが、1783年の浅間山噴火による寒冷化も影響したと言われています。
拙著の『CO2温暖化論は数学的誤りか』(理工図書、2010、135-146頁)には中島陽一郎著『飢饉日本史』(雄山閣出版、平成八年新装版発行)から詳しい引用を行っていますが、寒冷化に関した記述を抜粋して次に示します。
● 享保飢饉(1732)
「飢饉の前ぶれとしての異常気象は、前年の冬から始まっていた。しかし享保17年(1732)の春はとくにひどく、5、6月になるまで、長雨は昼も夜もシトシトと降り続いてやまず、いつまでもゾクッとする肌寒い日が続いた」
● 天明飢饉(1782-1787)
「天明3年(1783)の8月、京都および畿内の諸国は、すでに真夏だというのに、まるで冬のように寒かった。長雨は、4月下旬から降り始めて、8月になってもやまず、冬か秋かのような肌寒い日が続き、ひとえものをきることは稀であった。大雨のために、蝦夷、奥羽、関東、九州など、あちらこちらの河川が氾濫した。天明6年(1786)の5月から6月までは幾日も雨が降りつづき、例年なら夏のひどく暑い時期なのに、どういうわけか天明6年の夏は涼しいくらいだったから、江戸の市民は夏の盛りに袷を着てすごした。7月には大雨がふりつづいたので利根川が大氾濫し、上野(群馬県)と武蔵(東京都、神奈川県、埼玉県)はことごとく洪水の被害をこうむった。溺死者はおびただしい数にのぼり、とても正確な数はわからないほどだった」
● 天保飢饉(1833-1839)
「まず例によって、飢饉の前ぶれである気候不順は天保元年(1830)から始まった。3年後の天保4年(1833)に、飢饉の本場である東北の風水害をはじめとし、陸奥(大部分は青森県、一部は岩手県)に寒冷、出羽(山形、秋田両県)に大洪水をもたらした。天保飢饉を実際に体験した栃木県河内郡の一老農の日記には次のように書かれている。春とは名ばかりで、気候不順が続く天保4年(1833)の4月のことであった。その頃は霧の深い日が毎日のように続いて肌寒く、5月はもちろん袷を着たほか、普通の年ならもう暑い6月になっても、やはり寒い日が続くため袷を手放さずに着るほど、天候は相変わらず不順の日が続いた。天保4年(1833)の12月23日の夜から大雪が降りつづき、江戸市内でも3尺余り(約1メートル)積り、凍死者が出たり、道ばたの木がたくさん大雪のために折れたりした。この雪はなかなか消えなくて、翌天保5年(1834)の2月まで残雪は残っていた」
寒冷期に異常気象が多い
ここで注目すべきは、上記の三大飢饉に関する記述から「寒冷期に異常気象や大雨・長雨が多い」ことで、CO2温暖化説を信奉する学者たちの「CO2温暖化で海水温が上昇し、大気中の水蒸気量が増えて豪雨や豪雪になる」という主張と矛盾します。この主張については、物理学者のD.Hoytや海洋学者のR. Stevensonが「水はCO2の下向き赤外線に不透明」という物理法則に違反していると批判しています。
http://www.warwickhughes.com/blog/?p=87
http://21sci-tech.com/articles/ocean.html
実際、S. Fred Singer、Dennis Avery共著 山形浩生・守岡桜共訳『地球温暖化は止まらない』(東洋経済新報社、2008年、203-205頁)は、欧州の小氷河期(1300-1900)について次のように述べています。
「1300-1550年 小氷河期第1期
中世温暖期の最も重要な利点の一つは、気候が比較的安定していたことだ。人間と社会はこれにうまく適応できた。小氷河期最大の問題の一つは気候が不安定だったことだ。考古学者Brian Faganは、イギリスとオランダの冬の気温の変動は、20世紀前半より小氷河期の非常に寒い数百年間の方がおよそ40-50%大きかったという。
事実上これに適応するのは不可能で、人々は苦しまざるをえなかった。
小氷河期の気候は予測不可能でしばしば荒天となり、温暖で非常に乾燥した夏になる年もあれば、非常に寒冷で湿潤な夏の年もあった。そして北海とイギリス海峡の暴風雨と風は著しく増加した」
また、地質学者のG. Lingenは、『地球寒冷化』というウエブ論文の中で、最近世界各地で以下のように洪水が相次いでいる状況について、太陽活動が低調で寒冷だった小氷河期の1315年、1404年、1421年に、ノアの洪水を思い出させるような大規模な洪水が起きたので、寒冷化の兆候かも知れないと述べています。
2013年1月 南ア、ジンバブエ、モザンビーク、東オーストラリア
2013年2月 ペルー、チリ、ボリビア
2013年4月 アルゼンチン
2013年5月 中国
2013年6月 ドイツ、インド、カナダ、ニュージーランド
2014年1月 英国
Gerit J.van der Lingen “Global Cooling”
http://scienceandpublicpolicy.org/images/stories/papers/originals/global_cooling.pdf
一方、1988年にチェコの気象学者のV. Buchaは、図表2に示すように太陽活動が低下すると偏西風が蛇行し、熱波、豪雨、豪雪、雹嵐などの異常気象が起きると発表しており、上述した「寒冷期に異常気象が多い」という事実をうまく説明できます。
1980-1990年代は太陽活動が活発で温暖化が進行し暖冬が続いたので、CO2温暖化説を信奉する学者たちによる次のような温暖化予測がメデイアを賑わせました。
- CO2温暖化で雪が降らなくなり、冬季オリンピックは開催できなくなる
- 雪を見たことの無い子供たちになる
- 現在よりも夏が1か月長くなる
- 東京で最高気温は40℃を超え、真夏日が連続して50日以上も続き、熱中症による死者が6500人に達する
- 猛暑が10月中旬まで続き、京都の紅葉の見頃はクリスマスの時期になる
- 夏場は北極海氷が無くなり、シロクマ君が絶滅する
ところが、気象庁が暖冬を予想していた2005/2006年冬に「平成18年豪雪」が発生し、CO2温暖化説の信奉者に衝撃を与えました。それ以降、次のように世界各地で大雪が降るようになったので、ラトガーズ大学のJ. Francisは「CO2温暖化で北極海氷が溶け、北極上空と中緯度との気温差が小さくなり、偏西風が弱くなって蛇行し易くなったためだ」と説明しました(SCIENCE, Vol. 344, 250-253 (2014))。
しかしながら、図表2のBucha説によれば、2006年以降の太陽活動の低下で偏西風が蛇行し、以下のように大雪・洪水・熱波などの異常気象が起きているのであって、J. Francisの「CO2温暖化で大雪」説は誤りと考えられます。
2006年冬 日本、欧州で大寒波
2010年冬 米国・欧州で大雪
2010年夏 日露で熱波 パキスタン、インド、中国で洪水、ブラジルで大寒波
2012年夏 米国で熱波、中国、欧州で洪水
2013年夏 日本で熱波
2014年冬 日本、米国東部で大寒波
2014年夏 日本、米中西部、東南アジアで洪水、米加州で干ばつ
2015年冬 日本、米国東部で大雪
2016年 仏独で洪水
2017年冬 欧州・ロシア・中東で大雪
2017年夏 欧州・ロシア・米アリゾナ州で熱波
2018年冬 北米・欧州・中国・日本・中東で大寒波
米国では、2014年1月6-7日にかけて猛烈な寒波が襲来し、南部アトランタで過去最低に近いマイナス14-16℃を記録してナイアガラの滝も凍りつき、空の便も大きく乱れて数千便に運休や大幅な遅れが生じました。更に1月21日には、米北東部で大雪予報が発令され首都ワシントンで15cm以上、ニューヨークで30cm程度の積雪が予想されたため、連邦政府機関が閉鎖されました。
米国CNNの気象専門家のB. Millerは、「CO2温暖化で北極の海水温が上昇し海氷が溶けて偏西風が蛇行したことが原因である」と述べ、独ポツダム気候変動研究所のD. Coumouも「北極圏の温暖化で偏西風が蛇行して北極の厳寒気が北米に流れ込んだのが原因」と説明しました。
同年1月8日、オバマ前政権のJohn Holdren前大統領補佐官(科学技術担当)は、ビデオメッセージで「この記録的寒波は、CO2による地球温暖化が起きていない証拠だという話を信じないでほしい。むしろCO2温暖化により北極で回転している極渦と呼ばれる厳寒気が北米大陸に流れこんだことが原因である」と呼びかけましたが、これにはJames Inhofe上院議員を中心とした共和党内の「CO2温暖化懐疑論」が高まるのを抑える目的があったと言われています。
J. Francis説に対してはCO2温暖化説を信奉する学者たちの間でも反対が多く、2014年2月14日にK. Trenberthら5人の学者はScience誌で公開書簡を発表し、「他の観測や気候モデルを用いた研究ではJ. Francis説は支持されない」と批判しました。
Jason Samenow, Scientists: Don’t make “extreme cold” centerpiece of global warming argument
https://www.washingtonpost.com/news/capital-weather-gang/wp/2014/02/20/scientists-dont-make-extreme-cold-centerpiece-of-global-warming-discussions/
著者も2019年11月16日にJ. FrancisとJohn Holdrenにメールを送り、「V. Bucha (1988) 説によれば、2006年以降に太陽活動が低下したことが偏西風蛇行の原因である」と指摘して、北極海氷減少が原因と主張する彼らの考えを批判しましたが、反論はありませんでした。