「17世紀の危機」と世界史


皇學館大学教育学部教授

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はじめに

 現在、地球環境に温暖化という危機が迫っております。このままいきますと、海面上昇、水不足、陸上の生態系の大きな変化など深刻な事態が予想されます。ところで、過去には逆のパターンがありました。地球規模の寒冷化です。過去2000年の間にも、実は3回あったのです。535年、14世紀そして17世紀です。図を見てください。この図は屋久杉の年輪分析から得られたもので、ほぼ世界的な気候変動を反映していると見られています。見ていただくと、1300年以降と1600年以降の気温の落ち込みが著しいことがわかります。とりわけ後者は「小氷期」と呼ばれる程の寒さです。そこで今回は、この17世紀を取り上げてみましょう。歴史上「17世紀の危機」といわれているものです。


過去2000年の平均気温
出典:安田喜憲『森のこころと文明』NHK出版、1996年

危機の原因

 地球寒冷化の原因は色々あります。535年の場合は、スマトラ島付近の火山の大噴火による噴煙によって、太陽光線が妨げられたものです。エーロゾル現象といわれます。14世紀および17世紀は太陽活動の低下によるものです。とりわけ17世紀には太陽黒点の著しい減少が観測されており、明らかに太陽のエネルギーが減っているのです。イギリスのロンドンでは、テムズ河が氷結し、その氷の上でパーティや店開きなどもした絵が残っております。またアルプスの氷河が大変発達し、それによって押しつぶされてしまった村も存在します。


氷結したテームズ河の風景
出典:桜井邦明『太陽黒点が語る文明史』中公新書、1987年

危機の諸相

 この寒冷化は、当然のことながら温暖化とは違った影響をもたらしました。異常に湿気の多い夏と寒い冬が周期的に訪れ、そのために穀物の収穫に大きな影響を与えました。世界各地で凶作がもたらされ、穀物の値段が上がり、貧しい人々には手に入りづらくなりました。死者が増え、困窮した人々は、よりよい条件を求めて移住したり、あちこちで一揆や反乱を起こします。民衆の怒りは時の国家にも向けられますし、国家は国家で農業ばかりでなく、工業も商業も衰退する中で、租税収入が滞り、財政難におちいり、長期にわたる戦争を引き起こします。イギリスでは、1642年にイギリス革命が勃発して、国王チャールズ1世を処刑してしまいますし、ヨーロッパの中・東部では三十年戦争が起き、人口減少などドイツをはじめとして多くの地域が荒廃します。ヨーロッパではペストの流行がそれに拍車をかけたようです。新しい信仰を求めてピルグリム・ファーザーズと呼ばれるピューリタンの一派が、イギリスからアメリカへ船出をしたのも、この寒冷化のただ中でした。しかし、この寒さと飢えで半数以上がなくなりました。
 次に、日本を見ますと、先の図で、17世紀の急激な寒冷化の始まりが、江戸幕府の成立と一致しているのは興味深いことです。江戸時代というと飢饉がよく起きたイメージがあると思いますが、少なくとも江戸時代前半の飢饉の原因はこの寒冷化にあるといえます。   
 また、中国では、まさにこの危機のまっただ中で、明が滅び清が満州から勃興してくるという大事件か起きます。さらに、意外だと思われるかもしれませんが、熱帯地域と思われる東南アジアについても、気候の寒冷化は厳しい乾燥化をもたらし農作物の不良、飢饉、伝染病をもたらしました。

世界史の変化

 ところで、17世紀に先立つ16世紀は、大航海時代といわれ、コロンブスのアメリカ大陸「発見」以降、ヨーロッパのみならず世界中で交易が盛んになった時代でした。先の図を見ていただけば、気温は現在の平均ぐらいで温かく、さらにスペイン領ペルーと世界の産出量の3分の1を誇る日本の銀が世界の経済を支えたのです。しかし、17世紀に入りますと、この銀の産出量も激減し、世界経済は今日でいう金融危機に陥ります。先の工業・商業の不振はここにも起因します。実は、「17世紀の危機」とは、気候の寒冷化と金融危機によるダブルパンチだったのです。
 こうして、かつてはバラバラにとらえられていた世界の歴史は、「17世紀の危機」というグローバルで同時代的な視野から見直されるようになりました。たとえば、1641年の日本の鎖国、すでに見ました1642年のイギリス革命、1644年の明から清への王朝交替。これらはほとんど同時期です。まだ仮説段階ですが、この3者とも形は違いますが、それぞれが「17世紀の危機」への対応策だったと考えられます。たとえば日本は銀の輸出を制限・禁止する措置に出ます。

おわりに

 先の三十年戦争を終結させた1648年のウェストファリア条約は、今日の国際会議の枠組みを作ったものでした。「17世紀の危機」を経過していく中で、近代社会の基礎が出来上がっていったのです。イギリスは革命によってその先頭を切りました。ガリレイ、ニュートンの科学革命もまさに17世紀です。日本の江戸時代ももはや封建社会ではなく、すでに近代化をはらんだ時代だったのです。

<参考文献>

安田喜憲『気候変動の文明史』NTT出版2004年、桜井邦朋『太陽黒点が語る文明史』中公新書、1987年、深草正博『グローバル世界史と環境世界史』青山社、2016年。