コロナ危機と温暖化対策の行方(4)
経済(経世済民)は贅沢ではない
手塚 宏之
国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)
気候変動問題は幸福な世界の落とし子
第3部「コロナ危機の教訓」の冒頭でも紹介した環境活動家の少女、グレタ・トゥーンベリさんは、昨年9月の国連気候変動サミットで、各国首脳たちを前にして「あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よくそんなことが言えますね。」といって経済偏重の政治を叱責した。経済より地球環境を優先させるべき時が来ている、という警告である。
この発言の背景には、21世紀に入って世界経済がリーマンショックやユーロ危機などの様々な危機を克服し、持続的に成長を続けてきたという事実がある。世界が国連気候変動枠組み条約に合意し、世界が地球温暖化問題に対処しはじめたのは今から28年前の1992年のことである。それから約30年、世界のGDPは1990年の11兆ドルから2018年には85兆ドルへと、実に8倍近く拡大した。2000年以降の18年間だけでも2.5倍に成長している。また世界の株式時価総額も、2000年から18年までの18年間に約2.3倍にも膨らんでおり、この21世紀の初めの20年は、人類の経済史の中でも最も大きな富が創出された「幸福な20年間」だったと見ることができる。ベストセラーになっているハンス・ロスリングの「FACT FULNESS」注1) では、この20年間に世界がいかに「よくなっているか」について、様々な指標やデータを使って論証しているが、その背景にあるのがこの世界規模の富の創出である。この力強い経済成長を背景に、過去20年間に世界の貧困人口比率は半分に減り、平均寿命は延び続け、飢餓人口も減り、災害による死者数も減り続けている。つまり京都議定書、パリ協定という気候変動対策の実施枠組みは、奇しくもこうした長く続く力強い経済成長を背景にした「幸福な世界」の中で議論され、取り組まれてきたのである。
しかし2020年、コロナ危機で世界の様相は一変してしまった。既述してきたようにコロナ感染症対策として世界が一斉に導入した経済封鎖は、莫大な社会負担をもたらし、民間企業や各国政府は巨額の債務を負う事態に追い込まれ、豊かであったはずの先進国ですら、街には失業者や生活困難者が溢れている。感染が周回遅れで広がり始めた南米やアフリカの途上国、最貧国での影響拡大はこれから顕在化し、どこまで拡大するか見通せない状況である。コロナ危機が一旦収束してからも、ワクチンや治療薬が開発されない限り、第二波、第三波が来ることは必至とされており、そうした警戒を抱きながら、おずおずと手探りで経済活動を再開し始めたというのが2020年5月時点の世界の現状である。多くの専門家が、これは20世紀の世界大恐慌並みの深刻な不況をもたらすと懸念している。
「経済」という言葉の語源は中国の古典にある「経世済民」からきており、その意味するところは「世をおさめ民を救う(世の中を治め人民を救う)」である。今、世界はその「経済」がコロナショックによって危機に瀕しているのである。21世紀の初めの20年間は、「経済」は贅沢を象徴する言葉として響いたかもしれないが、2020年以降しばらくの間、それは人々を救う命綱を意味することになるだろう。その中で「経済は贅沢である」というこれまでの暗黙の前提で組み立てられてきた気候変動対策の立ち位置は、大きく変貌を迫られることになるのではないだろうか。「環境と経済の両立」は、温暖化対策を進めていく上での原則として内外で叫ばれてきたスローガンであるが、その「経済」が危急存亡の危機に直面している今、従来と同じ価値観で、環境政策だけを今までどおり続けることはできなくなるかもしれない。
炭素価格は贅沢
一例を示そう。「炭素排出に価格をつけて」化石燃料の使用を抑制し、再エネ普及や省エネなどのグリーン投資拡大を図るというカーボンプライス政策は、繁栄を続けてきた2019年までの世界を前提とした「コストペナルティ」政策である。社会の必需品であるエネルギーのうち、その8割を占める化石燃料にコストペナルティを課して、再エネなどのクリーンなエネルギーへの転換を後押しするというものだが、それによって目の前のエネルギーコストが「多少」上昇することによる負の経済インパクトは、「贅沢な経済」の中で吸収され、長期の環境メリットが享受できるとして暗黙のうちに容認されてきた。例えば日本では、再エネ導入促進策として、東日本大震災直後の2012年に固定価格買取制度(FIT)が本格的に導入され、その費用は電気料金に一律に課される賦課金で賄われている。現在(20年度)その賦課金は2.98円/kWhであり、国民負担は総額で2.4兆円に上ると試算されている。このFIT制度によって、20年間という長期にわたる確定利回りの投資機会を見出した再エネ事業者や投資家、大量の太陽光パネルを提供してきた主に中国の太陽光パネルメーカーは潤うことになり注2) 、国内外に一定の「経済効果」があったのは事実であろう。一方で、この再エネ(太陽光、風力、地熱、バイオマス)による発電電力の総量は、年間約1000億kWh前後とみられ、これによるCO2削減量は約0.5億トン弱である(大手電力会社の電力排出係数を使って試算)。これは日本の温室効果ガス排出総量の4%弱にすぎない。日本の再エネ普及政策は、毎年2兆円を超える「カーボンプライス」を電力料金という形で国民に課して、4%のCO2削減を達成していることになるが、その費用対効果、つまり0.5憶トンのCO2削減が費用を負担している日本国民にもたらす便益の計算は見たことがない(再エネ事業関連の利益はあるにしても、0.5億トンのCO2削減による環境便益という面では、少なくとも気温上昇や自然災害の抑制効果は識別不能だろう)。一方で2.98円/kWhのFIT賦課金は、日本の平均的な3人家族が電気代(370kWh)を通じて毎月1100円、年間13,000円の負担を背負うことを意味している。この負担はコロナ対策支援金一家族3人分30万円の4%に相当する(コロナ支援金は一回限りだが課金は毎年続くのでFIT買取期間の20年間累計で80%にもなる)。コロナ危機以前にもこのFITによるカーボンプライスの国民負担は問題になっていたのだが、コロナ危機で収入を絶たれ、生活に困窮する人たちが急増する中、生活必需品である電気代として徴収されているカーボンプライスの意義が問われることになるのではないだろうか。
これは日本の例であるが、深刻なコロナ経済危機に直面している世界各国で、はたしてこうしたエネルギーコスト上昇を招くカーボンプライスの導入・強化による気候変動対策を、コロナ対策と同時に進めていくという論法が通じるかどうか、はなはだ疑問である。とりわけ一人当たりの所得水準が低い途上国においては、コロナ危機以前から温暖化対策に対する費用負担の意志は低く、国連の場でも先進国の資金支援を前提として対策を行うというスタンスを取り続けてきた。世界が今、気候変動がもたらすとされる将来の大災害以前に、コロナ危機という「いまそこにある危機」に直面している中で、どのような気候変動対策が社会に受け入れられ、実行可能となるか、再考を要する事態になっているのではないだろうか。
割引率の幻想
ちなみに厳しい温暖化対策を直ちに実施することが、気候変動で引き起こされる将来の被害損失を予防・回避することに繋がり、経済と両立することが可能であると唱えた、有名な「スターンレビュー」注3) では、不確実な将来の損害を見積もるのに0.1%という極端に小さな割引率(時間選好率)を使って計算している。この点について、環境経済モデルで18年にノーベル経済学賞を受賞したウィリアム・ノードハウス教授は、非現実的な想定だとした上で、不確実な将来の災禍の現在価値はもっと大きく割り引かれるべきで、割引率は1.5%程度を想定すべきだと主張している注4) 。将来の温暖化影響には不確実性が大きく、また未来の世代は今まだ存在しない新しい科学技術をもって、より巧みに温暖化被害を食い止めることができるかもしれない。例えば100年後に気候変動の結果発生する100兆円の被害を現在価値に換算すると、スターンレビューの0.1%を使えば90兆円だが、ノードハウス教授の主張する1.5%の割引率を使えば23兆円に割り引かれる。一方でコロナ危機による現下の莫大な経済ダメージは、既に「起きてしまった」ものであり、その深刻な影響は当面、間違いなく拡大していくと考えられている。まさに割引率ゼロで「そこにある危機」なのである。このように被害が確実に起きている後者と割引率の想定に疑問の残る前者を経済の視点で等価に比較して、直ちに両者の対策を講じることは理論的にも正しくないだろう。
コロナ危機下の環境と経済の両立
結局ポストコロナの世界における経済は、従来の「贅沢品」から、社会生活を維持するために必須の「必需品」になるため、気候変動対策には、従来のようなスローガンではなく言葉の真の意味で「環境と経済の両立」が求められることになる。それには、当面の気候変動対策が、コロナ危機がもたらす世界恐慌なみの経済危機に対処し、克服するための短期、中期的な施策を邪魔したり、逆効果をもたらすものとならないように、慎重に配慮していく必要がある。脱炭素にむけた対策は、その短中期の費用対便益が、より厳しく問われることになり、また財政を疲弊させた各国政府の温暖化対策支援策も、経済再建に確実に寄与するものに厳選されていかざるをえなくなるだろう。幸い、コロナ感染の拡大を止めるためにやむなく実施した外出自粛、都市封鎖という壮大な社会実験を通じて、人々はリモート・テレワークや電子決済といった、人の移動を伴わない社会、経済活動の可能性を見出した。そうした電子、通信技術を活用した新たな社会経済の行動様式は、エネルギー消費を従来よりも抑えて同じ経済価値を生み出すことを可能とするかもしれない。そうした「新しい行動様式」を定着させていくための支援策は、経済復興を進めながら環境対策も進めるWin-Winの政策になるかもしれない(ただし、5Gに代表される高度なリモート通信技術は、それ自体が莫大な電力エネルギーを常時消費するため、正味での省エネ効果がどうなるかについては精査を要する)。
それでもワクチンや治療法の確立などによりコロナ対策が整い、感染への恐怖心が薄れれば、人や物の移動は以前の水準に近いところまで戻る可能性は高いのではないだろうか。どんなに仮想現実の技術が進んだとしても、人々が肌感覚で旅の旅情を味わうという喜びや、人と人の接触を前提とした親密なコミュニケーションに人生の喜びを見出すことに変わりはないだろう。既に人間関係が出来上がっている組織においては相互信頼関係があるため、短期間であればテレワークのような間接的なコミュニケーションで当面の業務を遂行することは可能だが、新入社員の教育や新しい取引関係など、そうした信頼関係が未だ醸成されていないビジネスシーンでどこまでテレワークに頼って仕事が進められるかについては未知数のところが多い。ルーチン業務をこなすには形式知の共有で事足りるが、創造的な組織運営には「場の共有」による暗黙知の形成が不可欠という研究もある注5) 。コロナ以前の水準まで戻るわけではないかもしれないが、それでも人の移動や都市の賑わい、職場における「場の共有」はいずれ戻ってくるように思われ、「新しい生活様式」によりエネルギー消費が激減することを期待するのは楽観的すぎるのではないだろうか注6) 。
本シリーズの第1部「コロナ危機は温暖化対策の光か影か?」で論じたように、企業や政府は今後しばらくの間、コロナ危機で積みあがった莫大な借金を返済していくことに当面注力せざるを得なくなる。その返済の原資は今後の利益や税金であり、税金が基本的に収入や利益、付加価値に課税されるものであるとすると、結局社会全体で利益を拡大していくことで初めて、積みあがった負債を解消していくことができるのである。従って多くの企業にとって利益を追求することは贅沢ではなく、持続的(サステイナブル)な社会、事業活動継続に必須の条件となる。そうした中で、「環境に良いがコストは高い」技術や製品への投資や出費は、当面従来の勢いを失う懸念も出てこよう。それでも企業はESG経営の大きな流れの中、無理のない範囲で、コストパフォーマンスに優れ、経済的なメリットが期待できる環境投資は続けることになるだろう。また将来の成長機会や収益拡大を期待できる革新的な環境技術の開発のための研究開発投資は続けられるものと期待したい。ポストコロナの世界では、当面経済が集中治療室から回復してくるまでの間、企業や政府がとるべき気候変動対策は、補助金やカーボンプライスのような人為的な市場提供や価格操作に頼ることなく、新たな付加価値とコスト競争力で国民に受け入れられ、自然体で市場を獲得できるような環境製品やサービスを創出することに注力し、加えて既に日本でも毎年顕在化している自然災害の被害を低減するための強靭な社会インフラ整備や、食料安定供給・自給体制の整備といった、短期的にも確実にメリットのある適応対策に、限られた資源をむけるべきではないだろうか。
- 注1)
- ハンス・ロスリング「ファクトフルネス(FACTFULNESS)」日経BP社(2019年)
- 注2)
- 世界の太陽光パネル生産シェアに占める中国の比率は2018年時点で72.8%に上るとされている。
https://solarjournal.jp/solarpower/31599/
- 注5)
- 野中幾次郎「知識創造の経営~日本企業のエピステモロジー」(1990)日本経済新聞社
- 注6)
- ワクチンや治療薬という根本的な解決策ができた暁には、それまでの我慢の反動として人々がそうした活発な外出活動をはじめ、リバウンドが起きることは十分に予想される。