コロナウィルスと欧州グリーンディール


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 今や、欧州各国は新型コロナウィルスとの戦いに躍起である。3月4日、欧州委員会が2050年カーボンニュートラル目標を含む欧州気候法案を提示し、「EUの本気度を示すものであり、米国や中国に行動を促す」と胸を張っていたのが遠い昔のように思われる。コロナウィルスは気候変動対策のリーダーを自認する欧州にどのような影響を与えるだろうか。

 コロナウィルスが深刻化する前から欧州域内に不協和音はあった。いつものことながら石炭依存の高いポーランド、チェコ等の東欧諸国はひたすら野心引き上げをプッシュする欧州委員会、西欧、北欧に抵抗してきた。ルーマニアのバセスク前大統領は2月のインタビューで「EU目標のために自国のインフラ計画を犠牲にはできない。欧州グリーンディールは西欧と東欧の間に深い亀裂をもたらす。経済へのインパクト次第でいくつかの加盟国はEU離脱を考えるかもしれない」と警告していた注1) 。エネルギー産業、鉄鋼、化学等のエネルギー多消費産業、自動車産業の労働者から成る労働組合連合会IndustriAll Europe のトリアングル事務局長は、「欧州グリーンディールは欧州全体で1100万人の雇用に影響を及ぼす恐れがある。2030年、2050年に向けて野心的な温暖化目標を口にするのはたやすいが、エネルギー産業、エネルギー多消費産業、自動車産業等がどうやってそこに到達するかの絵姿が示されていない。2050年カーボンニュートラルを達成するためには欧州の産業界は年額2500億ユーロを負担せねばならない。その金はどこから来るのか?」と強い疑問を呈していた注2)

 そこに新型コロナウィルス問題が急浮上した。欧州の産業は麻痺状態に陥っており、第二次大戦以来最大の雇用、経済危機が発生しようとしている。 そうした中で元々欧州グリーンディールに批判的であった東欧諸国が声をあげはじめた。チェコのバビシュ首相は3月17日に「当面、欧州グリーンディールのことは忘れてコロナ対策に注力すべきだ」と発言した注3) 。ポーランドのコワルスキー国有資産副大臣は3月19日、「石炭火力発電による低電力価格を可能にするため、排出量取引市場(ETS)の執行を停止すべきだ」と発言した。チェコ選出のザラディル欧州議会国際貿易委員会副委員長は3月17日、「EUは欧州グリーンディールを再検討すべきだ。あまりに高コストであり、コロナ収束後の欧州経済では実行できない」とツイートした。

 コロナ危機が日を追って深刻化する中で東欧以外からもそうした声があがりはじめた。3月21日にはドイツ・ババリア州のゼーダー首相が「苦境にある経済を救済するためには、再エネ賦課金と炭素税を停止すべきである」と主張した注4) 。ゼーダー首相はメルケル政権の連立与党キリスト教社会同盟(CSU)党首でもあるだけにその影響力は大きい。更に大きな影響を持つと思われるのはドイツの基幹産業である自動車産業が悲鳴をあげはじめたことである。4月1日にドイツ自動車工業会(VDA)はメルケル首相、アルトマイヤー経済相、ショイアー運輸大臣に対し、EUの自動車CO2排出規制強化の撤回に向けたドイツ自動車業界の働きかけを支持するよう求めた注5) 。今年の自動車売上が12-15%低下することが見込まれる一方、CO2排出規制に対応できなければ150億ユーロの罰金支払いが発生することになる。コロナ危機に苦しむ自動車産業に雇用保障等の経済支援をする一方で、自動車産業から150億ユーロもの大金をブラッセルに払いこむのは理に合わない。ドイツ経済の屋台骨である自動車産業からこのような声があがっている以上、ドイツ政府も何らかの対応をせざるを得なくなるだろう。

 もちろんコロナ危機によって温暖化防止への取り組みを緩めることへの反対も強い。フランスのマクロン大統領は「欧州中央銀行の7500億ユーロの景気刺激策はコロナ危機と気候危機の両方に対応できるようにすべきだ」と発言しているし、欧州議会環境公共衛生委員会のカンファン委員長は、「コロナ危機を理由に欧州グリーンディールを遅らせてはならない」と主張している。

 欧州でも米国でも、まずはコロナ危機を収束させるのと同時に企業の倒産や失業防止等、瀕死の経済の救済措置に専心しなければならない。第二次大戦以降最大の危機である。今、危機に瀕している企業、家計を救うためだけでも巨額な財政需要を求められるだろう。そしてコロナ危機が収束した後には巨額の財政資金を投入した各国政府と資金の余裕を失った企業が残される。即ち「コロナ前」と「コロナ後」とでは経済を取り巻く様相は一変しているはずである。昨年12月のCOP25の際、ビジネスヨーロッパは「2030年目標の90年比40%減を追求するだけでも年間2700憶ユーロの投資が不足する。目標を5%引き上げるごとに800憶ユーロ近くの追加投資が必要になる。それを負担するのは民間企業だ。2030年は「明日」の問題であり、2030年目標を90年比50-55%減に引き上げることには多くの抵抗があるだろう」とコメントしていた。このハードルはコロナ危機によって体力を消耗したEU各国政府、企業にとって昨年末の予想をはるかに上回ることになるだろう。

 コロナ危機によって欧州が温暖化防止重視の姿勢を転換するとは思わない。ただコロナ後、高い理想を実現するための体力が大きく低下しているであろうことは間違いない。それによって欧州グリーンディールの中身や実施スピードにどのような影響が出るのかはわからない。何より欧州の関係者自身がそんなことを考えている余裕がないであろう。

注1)
https://www.euractiv.com/section/energy-environment/interview/basescu-european-green-deal-risks-pushing-two-or-three-countries-towards-eu-exit/
注2)
https://www.euractiv.com/section/energy-environment/news/eleven-million-jobs-at-risk-from-eu-green-deal-trade-unions-warn/
注3)
http://www.thegwpf.com/czech-pm-urges-eu-to-ditch-green-deal-amid-coronavirus-crisis/
注4)
http://www.thegwpf.com/bavarian-prime-minister-calls-for-suspension-of-carbon-tax-green-energy-subsidies/
注5)
https://www.cleanenergywire.org/news/german-car-industry-calls-eu-drop-tighter-emission-limits-light-crisis