電力システム改革が残した宿題


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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(産経新聞「正論」からの転載:2020年3月23日付)

4月に迫った発送電分離

 本年4月、日本の電力供給が大きな転換点を迎える。東日本大震災以降進められてきた電力システム改革の最終段階である「発送電分離」が行われるのだ。

 電気事業には一般的な製造業と同じく、作る(発電)、送る(送配電)、売る(小売り)という3つの段階がある。発電技術の進歩や消費者志向の多様化に伴い、発電および小売り事業については1990年代から自由化が段階的に進められてきた。多様な事業者が参入し、独自の技術やサービスで競争することが消費者にメリットをもたらすと考えられるからだ。

 しかし、送配電事業は、自由化して市場に委ねれば、街中に電線や電柱が乱立し、国民負担が増すことになりかねない。そこで発電、小売り事業の公正な競争を促すため、送配電事業は切り離され、規制の下に置かれる。

 では、この電力システム改革の最終段階を乗り越えれば、わが国の電力供給は、改革前よりも効率的に、強靱になり、多様化する国民の価値観に応えていけるのであろうか。残された宿題は多い。先行する諸外国の自由化もバラ色だったわけでは決してなく、長期的にみて自由化で電気料金引き下げに成功したといえる事例はない。

 わが国は、福島の原子力発電所事故を起こした東京電力の扱いや原子力政策の見直しという難題を先送りにして自由化を先行させた。今後、脱炭素化や人口減少・過疎化などへの対応も求められる。市場原理の中で複数の難問を解いていかねばならないのだ。

 発電事業の中でも最も難しいのは原子力事業の扱いだ。エネルギー安全保障および低炭素化の要請に対応するため、政府は当面の間、原子力発電を活用することとしている。筆者の試算でも、2050年に13年比80%のCO2削減という目標を達成するには、再生可能エネルギーを最大限導入しても足りず、一定程度の原子力を必要とする。

自由化下の原発のあり方は

 しかし、自由化市場において原子力事業にチャレンジする事業者はいなくなるというのは、諸外国の経験からも明らかだ。大規模かつ超長期の投資を可能にするため米英では政府の債務保証や35年にわたる固定価格保証制度を設けている。自由化市場となじまない、事業の特殊性をカバーする環境整備を行って原子力発電を維持し、エネルギー安全保障や低炭素化というエネルギー政策の公的使命と、自由化という競争政策を両立させたのである。

 わが国は前者を後回しにしたため、これから原子力事業にどう向き合うかを考えなければならない。原子力事業が正常運転をしている状況でも難しい課題であるのに、わが国の原子力事業は大きな不透明性の中に置かれたままだ。

 原子力規制委員会が創設され規制行政の形は整ったが、その適切性を評価する機能が欠如している。司法判断の揺れも大きい。

 こうした不透明性が電力会社の経営体力を奪い、安定供給に必要な電源投資や長期的なエネルギー転換に取り組むことを難しくしている。

 送配電事業には今後、人口減少・過疎化や再生可能エネルギーの大量導入への対応、災害対応力の向上が求められる。発電と送配電設備は一体的に設備投資を検討すれば効率的だが、発送電は分離された上、太陽光や風力発電のポテンシャルは自然条件に依存する。人口減少等による需要の変化や発電設備の増減、その稼働率や老朽具合を考慮しながら効率的な設備投資を確保するという柔軟性を、規制下で保てるか。発送電分離を先行的に行った欧州等でも模索が続いている。

エネルギーは「社会の血液」

 小売り全面自由化により、規制の下での電力価格より安価なメニューを提示する事業者が多く登場した。しかし、大幅な事業効率化や革新的技術によって価格引き下げに成功したというより、本業での顧客接点を活用し事業エリアを限定することで営業効率を高めている事業者もある。原資なき価格競争や、儲かる所だけ選ぶクリームスキミングの弊害も指摘される。非対称規制を長く続ければ、市場原理にゆがみをもたらすことにもなりかねない。小売り事業者の淘汰も起きるであろうが、消費者へのケアも欠かせない。

 安穏とした事業環境に置かれれば、緩みや無駄が生じやすい。競争環境で、国民生活・経済の基盤であるインフラのスリム化が進むことへの期待は大きく筆者もその点でシステム改革の意義を否定するものではない。しかし、事業を監視する規制主体もバラバラになる中で、トータルでの効率性が確保されるのだろうか。「改革ありき」で議論が走り、国民に市場原理導入の負の側面が十分に認識されないままにスタートしてしまったことも事実だろう。

 エネルギーは社会の血液だ。長期的なビジョンを持ち、国民のための電力システム構築に向け、今こそ、これまでの評価と将来設計を議論すべきだろう。