EUグリーンディールの提唱する国境調整メカニズムの影響と問題点(その4)
手塚 宏之
国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)
前回:EUグリーンディールの提唱する国境調整メカニズムの影響と問題点(その3)
4.日本のとるべき対処策
以上、EUがグリーンディール政策の目玉として導入を検討している「国境調整メカニズム」について、その考え方と、現時点で想定される方式やその問題点について述べてきた。最後に本章では、こうしたEUの動きに対して、日本の政府や産業界がどう対処していけば良いかについて、いくつかの考察を述べておきたい。
4.1 分野限定的、地域限定的な導入も不可
筆者が昨年末のCOP26で面談した欧州経団連(Business Europe)の考えでは、「国境調整メカニズム」導入の是非や可否をめぐっては、欧州内でも様々な意見や立場の違いがあるということであった。輸入品との競争を意識する鉄鋼などの素材産業は、国境調整税が必要という立場をとっているが、自動車や電子製品のように、むしろ世界市場への輸出を志向する産業では、自由貿易に竿を指す国境調整税ではなく、排出枠の無償配布やFIT賦課金減免といった国内事業活動への炭素価格補填措置の継続を強く求めているということであった。また措置導入時の要となる製品のCO2原単位計算については、自動車や携帯電話のように何千もの部品や素材を組み合わせて作られる複雑な工業製品については、使われている部品や素材の調達先がEU域外を含む無数の国や地域にまたがり、それらすべての正確なCO2原単位を把握して、自動車一台、携帯電話一台当たりの製造にかかわって排出されたCO2量の合計と、それに伴って負担した炭素価格を算定するのはきわめて困難であり、そうした製品について輸入関税のような「国境調整メカニズム」を課すのは事実上不可能だろうということであった。
実際のところ、EUで検討される国境調整メカニズムは、CO2排出原単位が高く、かつEU-ETSで域内の製造工場ごとに排出原単位やベンチマークが確定している上に、単一のプロセスで作られる比較的シンプルな製品である、鉄鋼やセメントといった素材産業に限定してまずは導入されることになるだろうという見通しであった。
鉄鋼の場合、日本からEU市場への輸出は限定的な数量にとどまり、実際に国境調整措メカニズムの対象となるのは、鉄鋼については、EUへの輸出の多いロシア、ウクライナ、トルコといった近隣諸国と、鋼材輸出が多いインド、中国製の鋼材となり、日本への直接的影響はないので安心してよい、ということであった。
しかし、これは本当だろうか? 確かに日本から遠いEUへの鋼材輸出は、特殊なパイプ製品など限定的であり注20) 、かつ数量も限られているので、国境調整メカニズムの対象となることを回避することはできるかもしれない。しかし、EUが環境政策を理由に近隣諸国やインド、中国と国境調整メカニズム導入を廻って通商戦争を始めたら、国際的な鉄鋼流通市場は大きく混乱をきたし、日本の鋼材輸出の重要な市場であるアジア市場に波及することは不可避であり、間接的に影響を受けることは必至だろう。
またEUとしては、先行する鉄鋼、セメントに続き、化学製品や自動車部品など、比較的構成がシンプルな製品群に国境調整メカニズムを広げようとするのは間違いなく、その影響は広がっていくものと考えるべきだろう。従って、最初にEUが導入する措置が、製品や地域限定的なものであったとしても、日本の政府、産業界としては他人事として傍観するのではなく、将来の悪影響波及を考えて、制度設計の妥当性、WTOルール上の適格性、計算手法の恣意性など、あらゆる問題点について、EUと導入の是非論を戦わせて、少なくとも国際的な合意や納得が得られる形での制度以外の導入には徹底抗戦するべきだろう。その場合、まず直接的な影響を受けることになると想定されるロシアやトルコ、インド、中国といった、当初EUがターゲットとして想定しているという当事国に加えて、米国やカナダ、豪州といった自由貿易を支えている国々と、連携・協調してEUに対峙することが重要である。
4.2 日本国内の炭素価格の実態の「見える化」を
次に、日本自身が準備すべき対策として早急に取り組むべきは、日本国内で現行の政策の下で、様々な工業製品に課されている明示的、暗示的な炭素価格の「見える化」を進め、EUとの国境調整の対象として比較衡量されることが想定される「日本の炭素価格」についての公式の算定ルールを明確化した上で、それを内外に示しておくことである。
すでに筆者が本サイトに寄稿した拙文「炭素価格を巡る論考」①~③(2016年)において解説したように、日本では明示的な炭素価格は、地球温暖化対策税として、CO2トンあたり289円が課されているということになっているが、実際には化石燃料の使用に伴うCO2排出への課税という意味で、石油石炭税の本則として石炭、天然ガス、石油の使用に課税がされており、それに加えてガソリン等については揮発油税も課税されている。
筆者が環境省の「カーボンプライシング小委員会」に参加して感じるのは、様々な立場の専門家委員の方々がそれぞれ前提としている、現状の日本のカーボンプライスには大きな隔たりがあるということである。実際同じ日本政府でも、経済産業省が18年にとりまとめた「長期地球温暖化対策プラットフォーム」の報告書では、「我が国のカーボンプライス水準を求める手段として、化石燃料総コストを、燃料輸入額、炭素従量諸税収の合算として計算し、これをエネルギー起源CO2量で除して、我が国経済全体で見た平均的なCO2排出のコスト、すなわちカーボンプライスを求め(ると)、(中略)カーボンプライスは、24,801円/CO2トンとなり、うち炭素従量諸税が3,692円を占める(2014年度)」とされており、定義によって幅はあるものの40ドル近い炭素価格が想定されている。
一方、環境省が同じ2018年にまとめた「長期低炭素ビジョン」では、「既存のカーボンプライシングとして「地球温暖化対策のための税」があるが、これは税収を省エネルギー対策や再生可能エネルギー普及などに充てることで一定の削減効果を発揮している。(中略)税率(289 円/CO2t)は既に大幅削減を実現している諸外国の炭素税率の水準と比べて極めて低く、冒頭で述べた、世の中の全ての主体に対して排出削減の経済的インセンティブを与える効果(価格効果)は極めて小さい。このため、経済・社会全体を脱炭素化に転換させるには不十分と考えられる」とされており、日本の炭素価格をCO2トン当たり289円と想定した評価が記載されている。
これらは、日本の現行のエネルギー諸税を見た評価であるが、それだけではなく、既述のように電力の使用に対しては、再エネ導入による電力の低炭素化を促進するためのFIT賦課金として、19年度で1kWhあたり2.95円もの「炭素価格」が課されている。これをCO2削減トン当たりの炭素価格に換算すると2900円に上るとの試算もある注21) 。
また、日本では政府の地球温暖化対策計画の一環として、産業界の自主的な取り組みである「低炭素社会実行計画」が重要な柱として位置付けられているが、その中で産業セクターごとに掲げられた、温室効果ガス排出削減のための取り組みのとして行われている投資も、通常の経済合理性を上回る投資負担分については、実質的に企業が負担している「炭素価格」としてカウントされるべきだろう。
これらをすべて、EUの「国境調整メカニズム」の比較・相互調整対象となる炭素価格として位置付けるのであれば、例えば鉄鋼を例に示せば、1トンの鋼材を日本で製造する場合に鉄鋼メーカーが負担している炭素価格は、そこで使用された天然ガスや重油、ガソリン等に課されている「炭素価格」を合算し(免税とされている原料炭は除く)、さらに製鉄所が外部から購入して使用する電力注22) について負担しているFIT賦課金による「炭素価格」を加え、また耐火物や石灰、黒鉛電極といった鉄鋼製造に必要な副原料や消耗品の製造時に課されている同様の諸エネルギー関連課税やFIT賦課金に起因する「炭素価格」を加えて、さらにはCO2削減対策として通常の投資回収を下回る経済効果しか期待できない省エネ、省CO2投資を行った場合には、そうした投資による償却費増分を「炭素価格」として上乗せするといった形で、包括的な「炭素価格」負担の計算手法を確立し、いざEUとの間で炭素価格の国境調整を行うという暁には、同じ1トンの鋼材生産に伴って日本の鋼材が国内で負担した「総炭素価格」を示して、EU域内で鋼材生産に伴って負担されている(様々な減免措置後の)炭素価格との相殺を図る道を開いておくことが肝心かと思われる。
このように日本国内において実際に政策的に課されている実質炭素価格の総額を「見える化」して、公式化するという頭の体操は、国内で今後、炭素価格制度の導入・強化をめぐる政策議論をしていくにあたっても、その出発点を明確にするためにも必要不可欠なものであろう。
4.3 世界のEU化にはブレーキを
最後に、EUの「国境調整メカニズム」が抱える今一つの問題について注意喚起しておきたい。欧州委員会が提案している「国境調整メカニズム」は、目下のところ、EUへの輸入品にEU域内と同等の炭素価格を課すことで、EU域内産業の「域内競争力」を維持するということに主眼が置かれている。実際3月4日に欧州委員会が掲示したパブリックコメントの募集要項でも、「国境調整メカニズム」がカーボンリーケージ対策として必要であるとしているものの、それは、環境規制の緩い域外の国や地域から、炭素排出の多い製品が域内に流入したり、EU企業の製造拠点がEUから、より規制の緩い海外に移転することで、結果的に世界のCO2排出が増えることを回避するための措置と位置付けられている。
しかし、そうした措置を取ったとしても、仮にEUが世界で最も厳しい温暖化対策を行うと仮定した場合、EU域内で生産活動をする企業の製品価格は、国際価格より高くならざるを得ない(だからこそ国境調整が必要なわけである)。そうすると、EU域内市場では良いとしても、そうしたEU企業の製品は、国際市場においては価格競争力を失うことになり、当然、その是正措置を求める声が上がってくることになるだろう。
筆者の関わる鉄鋼セクターでも、確かにEUはネットで輸入超過市場であり、18年実績で4,462万トンもの鋼材が域外から輸入されているので、輸入品に対する「国境調整メカニズム」による価格調整の必要性を唱えるのは理解できないでもないが、実は同時にEUから域外に2,850万トンの鋼材が輸出もされている。この輸出材の競争力をどうやって維持するかが問題になるわけである注23) 。
実際EUのグリーンディール政策は、気候変動対策だけではなく、EUの経済成長を促すも戦略としても位置付けられていて、実際EU経済の国際競争力を考慮することが求められている注24) 。(パブリックコメントでは、そうしたインパクトに対する考え方ついても意見を求めている)そうしたEU産業の輸出競争力強化のための対策として、EUとして何ができるか、どういう動きに出てくるかについても考察しておく必要がある。
そうしたEU産業に対する、輸出競争力維持・強化のための支援策として先ず考えられるのは、「逆国境調整メカニズム」であろう。EU域内でEUの炭素価格を負担して生産された製品について、域外の、より規制ゆるい(炭素価格の低い)国や地域に輸出する場合には、域内で負担した炭素価格と、輸出先の市場で同等の製品に課されている炭素価格の差分を、輸出時に政府が還付(ないしは賦課免除)して、公平性を保つというものである。
しかし、この方策には、本論の2章で示した「国境調整メカニズム」の具体策にかかわる様々な技術的問題が、全く同じように当てはまることになり、実行は極めて困難となるだろう。さらに、国際通商ルール上、輸出品に対して政府がコスト補填をする形になるこの対策のハードルは、輸入品に対して内外無差別的な課税をするというハードルよりさらに高いものとなるだろう。既述のようにベンチマークや原単位計算手法、FIT賦課金免除など、国や地域で様々な異なる制度が施行されている中で、炭素価格負担について正確なアップル・ツー・アップル(等価)の比較検証が難しい現実を踏まえると、EU域内の輸出企業に対して、恣意的に有利な輸出補助金を出していると国際的に非難されないような炭素価格還付制度を設計・導入することは、至難の業ではないだろうか。
そうすると、EUとして域内産業の輸出競争力を維持するために採用できる今一つの施策は、EU域外の市場に対しても、EU域内と同等の野心的な気候変動対策を導入し、高い炭素価格を課すように求めるということになる。
実際3月4日に公表されたパブコメ募集の公示では、C.のLikely environmental impactsの項目の中で、この国境調整メカニズムが「間接的に、貿易相手国が(EUと)同等の野心的な政策を採用することを促し、さらなる世界的な排出削減に貢献するはずである」と記載されている。こうなることによって、世界に先駆けてグリーン化を進めるEU域内産業が、グリーンビジネスにおいて世界市場をリードし、国際的な輸出競争力も維持・拡大できるという期待が示唆されているとも読むことができる。
つまりEUとしては、「国境調整メカニズム」を導入することで、諸外国がそれを受けて、温暖化対策をEU並みに強化する方向で対応していくことを期待しているというわけである。それによってはじめて、EU域内市場で、高い炭素価格に支えられて普及することになるグリーン製品や脱炭素技術を、世界市場に展開するチャンスが生まれてくることになる。しかし中国やインドといった新興国を含むEUの主要貿易相手国が、EUに同調して自発的にEU並みの炭素価格を自国産業に課し、EUの環境商品に国内市場を提供するというようなことは、現実的だろうか?
例えば、国連のグテーレス事務総長が昨年12月のCOP25の初日に、2050年カーボンニュートラル、2030年2010年比▲45%を慫慂するステートメントを行った後、COP会場内で行われたサイドイベントで、インド、中国等の主要途上国は、このグテーレス発言を厳しく批判している。インドの交渉官は「炭素中立性を語る際、衡平性の観点が置き去りにされている。途上国は彼らの持続可能な開発を達成するためのスペースを必要とする。緩和行動の結果が衡平なものであるためには、途上国が成長し、持続可能開発を達成することが必要である。先進国が累積排出量の面で最大の排出国であり、率先して削減をすべきである」と述べている注25) 。
ということで、世界各国、とりわけ新興国や途上国がそうしたEUの野心的な気候変動対策に追従する政策を、自発的に採用するということは考えにくい。実際に起きるのは、EUとして一方的に、世界がEU並みの気候変動対策を実施するように求める、という事態であろう。相対的に緩い気候変動対策を掲げている貿易相手国に対して、EUと同等の厳しい環境政策や高い炭素価格制度を導入するように、様々な外交手段や政治的キャンペーンを駆使して、政治的圧力をかけてくるということである。これは、いわば気候変動問題に関して、世界をEU化しようというイニシアチブである。こうした行為は、受ける国にとっては一種の内政干渉、主権の侵害行為とも受け止められかねず、国際的な反発や対立を招きかねない。
そもそもパリ協定は、すべての国が国情を踏まえて、共通の温暖化抑止目標に向けて、自発的に温暖化対策に取り組むという「自主的取り組み」の枠組みであり、国内対策の強度や使うべき政策手段については、各国の主権に任されている「善意の枠組み」である。
国連の下で各国の義務的な削減目標を設定し、達成できなかったら国際的なペナルティを課すという「京都議定書」型のトップダウンの枠組みが機能しなかったのは歴史が証明している。実際、世界各国は、その発展段階や地理的状況、産業構造や周辺諸国との関係、国内の政治状況など、様々な事情により、気候変動対策のプライオリティや、実際に採る施策や対策が多様なものとなっているのが実情である。パリ協定はNDC(自国決定貢献)の設定という形で、そうした異なる多様なアプローチを容認することで、様々な考え方や立場にある国々を包括し、世界全体で取り組みを進めるという国際枠組みを維持している。
そこにEUが、「国境調整メカニズム」の世界展開という形で、EU域内で採用する気候変動対策と同等の野心度、同等の炭素価格を、世界各国が採用するように強要するというような挙に出ると、京都議定書を米国が脱退した前例を見るまでもなく、パリ協定という「善意の枠組み」から離脱しようという国を誘発しかねない。あるいは離脱するまでいかなくても、パリ協定に自発的に真摯に取り組むのをやめてサボタージュする国は出るかもしれない。
つまり、EUが「国境調整メカニズム」を国内産業対策から一歩進めて、輸出競争力対策に拡大し、世界全体にEUルール下のグリーン市場を作ろうという動きを強めてくると、「パリ協定」そのものを支えてきた各国の自主性、自発性が脅かされることに繋がり、協定そのものを瓦解させるような事態を招きかねないのである。
こうして見ると、これからしばらく繰り広げられるであろうEUの「国境調整メカニズム」の是非や、ありかたをめぐる議論は、EU域内や周辺諸国の気候変動問題にとどまらず、今後の世界の貿易・通商、気候変動対策、国際関係の枠組みを包含した、より大きな視点から、その対応策を立てていく必要があるのではないだろうか。日本としては、産業界、政府ともにこの問題を、一部の通商問題として矮小化してとらえるのではなく、将来にわたり影響が大きい世界的、かつ長期的な外交問題として位置づけ、米国、カナダ、中国、インドといった主要交易相手国はもとより、経済的にも外交的にも日本との関係が深いアジア太平洋地域の諸国を中心に諸外国と緊密に連携し、上記のような問題意識を共有しながら連携してEUに対峙していくための仲間づくり、体制作りを進めておく必要があるのかもしれない。