EUグリーンディールの提唱する国境調整メカニズムの影響と問題点(その1)


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)

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1.EUグリーンディールの概要

 昨年(19年)12月11日、欧州委員会(European Commission)の新委員長に就任したばかりのフォン・デア・ライエン委員長は、環境分野におけるEUの新たな包括政策として「EUグリーンディール」を発表した注1) 。これは同女史が委員長に就任する以前から提唱し、何よりも優先する政策としてきた看板政策である。

 そこでは、2050年までにEUが気候中立(ネットゼロ排出)となるという目標を公式化する「気候法(Climate Law)」を、欧州委員会として2020年3月までに提案するとしていて、実際3月4日には、欧州委員会から法案のドラフトも発表されている注2)

 またグリーンディール政策では、EUの温室効果ガス削減目標について、2030年までに90年比40%削減するという現行の目標から、少なくとも50%から55%削減に引き上げるとした場合の影響評価を、欧州委員会が2020年夏までに示し、それを実施するために必要となる政策変更の全貌を2021年6月までに検討して提示する、としている。

 こうした気候変動政策の変更・強化を行うにあたっては、EU域内経済に対して効果的な「炭素価格」を課すことで、消費者やビジネスの行動変化を促すことになるとしており、そのために同委員会は現行のEUのエネルギー税指令を、新たな環境目標に合わせたものに変更することを提案することになるという。それらの政策を欧州議会、欧州閣僚委員会(European Council)で最終的に決定するに際して、従来EUで議決に求められていた満場一致方式ではなく、多数決で採決することを提案することになる、とも提案している。温暖化対策の深堀りを志向するEU委員会の提案が、化石燃料、とりわけ石炭の使用を制限するために、化石燃料の利用に高い炭素価格を課すことを目指すのは明らかであり、そうした提案に対して、エネルギー供給の大半を国産の石炭に依存しているポーランドをはじめとした、旧東欧のメンバー諸国から強い反発や抵抗が起きることを見越して、加盟国間の合意形成プロセス(採決方式)をコンセンサス方式から多数決に変更してまで強行しようというわけである。ここにはフォン・デア・ライエン委員長の強い意志が示されており、その是非をめぐって、今後EU加盟国間で厳しい政治的駆け引きが繰り広げられるものと思われる注3)

 さらにEUグリーンディール政策では、そうした野心的な目標を掲げて厳しい削減政策を進めていくに際して、EUと同等の炭素排出規制を課していない国や地域との貿易について、いくつかの産業セクターで「国境調整メカニズム(carbon border adjustment mechanism)」を導入することを提案するとしている。EUの交易パートナー国がEUと同等に高い野心の気候変動対策を取らない場合、EU域内の生産活動が、規制の緩い国に移転してしまう、あるいは炭素制約の緩い国で生産された、炭素排出のより大きな輸入製品に置き換わることで、いわゆるカーボンリーケージをもたらし、地球規模での削減につながらないだけでなく、パリ協定の目標に向けたEUと域内産業の努力を挫折させることになるので、こうした「国境調整メカニズム」が必要になるというわけである。具体的に国境調整関税とは明記されてはいないが、これは事実上、EU域内に輸入される製品に、炭素価格負担の差額分の関税を課すと言っているに等しい。

 欧州委員会はこの「国境調整メカニズム」によって、輸入品の価格を、その炭素含有量(carbon content)をより正確に反映したものとすることができるとした上で、「こうした措置はWTOルールやその他EUが課されている国際的な義務に準拠するように設計されることになる」としている。一方でこの「国境調整メカニズム」は、既存のEU排出権取引制度(EU-ETS)の下で、カーボンリーケージリスク対策として導入されている措置に「代わる」ものとなる(だろう:would be an alternative)とされており、そうした既存の措置の例として、一定量の排出枠の企業への無償配布と、電力料金の高騰に対する補償措置を挙げている注4) 。これらはそれぞれ、欧州排出権取引制度、欧州再エネ普及目標の導入時に、それによるコスト増がもたらす国際競争力の低下を懸念した産業界からの、強い要請によって導入された緩和措置である。この「代替」案は、EUの既存の政策の下で、既にカーボンリーケージ対策として産業界が受けているこうした補償措置がある中で、それらを維持したままでさらに国境調整を行って輸入品に関税をかけると、補償の二重取りにつながるという環境NGOからの指摘を受けて挿入された項目といわれている(このフレーズだけwould beとして、ややあいまいな表現になっているのは、この部分については未だ産業界や環境NGO等の関係者と調整の余地があることを示唆しているものと推察される)。

 要するにEUは、EUグリーンディール政策の下でゼロエミッションを実現するために、極めて野心的な排出削減政策を掲げて、域内産業ならびに消費者に高い「炭素価格」を課して行動変更や社会変革を促すとともに、同等の炭素価格が課されていない輸入品に対しては輸入時に差額を課税して、いわゆる環境ダンピング輸入を認めないと言っているのである。これが今後国際的に様々な波紋を呼び、EU域外の国々との間で大きな摩擦を招くことは想像に難くない。EUのこの計画を受けてすでに、米国のロス商務長官は、「EUの炭素関税がどのようなものになるかによって、我々(米国)は対抗措置を講じる、もしそれがデジタル課税のように、原則、保護主義的なものであれば報復する」と強く警告している注5)

 EUはこの国境調整メカニズムについて、2020年春までに暫定的な影響評価を行い、その結果をもとにパブリックコメントやステークホルダーとの調整を図った上で、本格的なインパクトアセスメントを実施し、最終的には2021年以降に実施に踏み切る、というスケジュールを立てているということであるが、3月4日に発表され、招請されたパブリックコメントの背景説明の中には、具体的な制度の案や、輸出入に与える影響評価に関する具体的な記述は見られない。いずれにせよ今年、2020年には、この国境調整をめぐる議論がEUの内外で本格化し、国際的な議論を呼ぶことは間違いなく、影響を受けることが懸念される産業界にとっては大きな正念場になる。

 本稿では以降、EUが本格的な導入を検討するこの国境調整メカニズムを廻っての、課題と問題点について、現在想定できる範囲で解説していくことにする。

次回(その2)につづく。

注1)
https://ec.europa.eu/info/publications/communication-european-green-deal_en
注2)
“Proposal for a REGULATION OF THE EUROPEAN LARLIAENT AND OF THE COUNCIL establishing the framework for achieving climate neutrality and amending Regulation (EU) 2018/1999, Brussels, 4.3.2020 COM(2020)80 final
注3)
「EU、温室効果ガス50%削減に引き上げ 30年目標」2019年12月11日日本経済新聞電子版
注4)
欧州委員会ECは20年3月4日にこの「国境調整メカニズム」についてのパブリックコメントを開始しており、その背景説明の中でも同じ説明を繰り返している。
注5)
US Threatens Retaliation Against EU Over Carbon Tax, Financial Times, 26 January 2020