IPCC報告書の読み方:意図せざるバイアス


公益財団法人 地球環境産業技術研究機構システム研究グループリーダー(IPCC WG3 第5次、第6次評価報告書代表執筆者)

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 IPCCの1.5℃特別報告書(SR15)が2018年10月に承認、公表された。また、第6次評価報告書(AR6)も2021~22年の承認、公表に向けて執筆作業も始まっている。気候変動緩和を扱うWG3も第一回執筆者会合が4月初旬に開催されたところである(計4回の執筆者会合が予定されている)。本稿では、特別報告書を含め、今後も出版されてくる第6次評価サイクルにおけるIPCC報告書をどう読むべきなのかなどについて述べたい。

 IPCC報告書は”Policy relevant but not policy prescriptive”を原則としている。政治的に中立を保つというわけである。よって、2℃目標にすべきであるとか、1.5℃目標にすべきであるとか、具体的にどのような対策、政策を導入すべきであるといったことは言わないことになっている。政策は気候変動問題だけで決定できるものではないので、これは正しい方針である。しかし、実はこの原則が歪みをもたらしてきていると筆者は考えている。COPなどの政治的な場で2℃目標に言及があると、IPCCはpolicy relevantなイシューとして、2℃を中心としたシナリオを中心に検討を行うこととなる。本来は、より現実的な排出削減目標である2.5℃や3℃といった水準の場合のシナリオもあわせて検討を行って、代替的な選択肢を幅広く提示し、それぞれのリスク・便益、そして実現の障壁、課題を示すことが重要なはずだが、2.5℃や3℃といった水準はpolicy relevantな目標ではないということで取り上げないことが正当化されやすくなっている。特に、ページ制限がきつくなってくると、政治的に言及がなされている目標水準が中心になり、他の目標水準は落とされる傾向がある。そうして出来上がった報告書は、IPCCがあたかも2℃目標(もしくは1.5℃目標)を推奨しているかのようにも一見読めるような報告書になってしまう。そうすると、メディア等によって、IPCCが2℃目標を推奨したといった記事がでるようになり、政治もそう信じてしまう。科学(IPCC)、メディア、政治の不思議なループができてしまっている。

 なお最近では、科学(IPCC)が揃う前に政治が目標を概ね決めてしまい、それを科学が追従、後追いするといった関係も見られる。IPCCはIntergovernmental Panelの名称が示すように政治関与の組織でもあるため、先に政治的に決まった目標を否定的には書きにくいという側面もないわけではない。第5次評価報告書(AR5)後、当時のIPCC議長は、(CO2限界削減費用は2050年に100~300$/tCO2、2100年では1000~3000$/tCO2程度(いずれも25~75%タイル)の推計結果にも関わらず、GDP年成長率の低下分のみを強調して)2℃目標はアフォーダブル(安価)に達成可能とした。しかし報告書には対策費用はアフォーダブルであるという記載はない。SR15でも、IPCCビューローの説明資料では1.5℃は”not impossible”としている。こちらはAR5よりはずいぶんましだが、それでも報告書では「実現可能性については、様々なレベルでの実現可能性があり、1.5℃が実現可能か不可能かは一概に言うことはできない」といった記述と比べると、誤解を招きかねない意訳に変わっている。こういった微妙なニュアンスの違いが、IPCC報告書の本当の中身から離れ、メディアの報道を歪め、政治の誤った認識を醸成してきた可能性は十分にある。

 さらに問題の構造が複雑なのは、IPCCが原則、査読論文を引用して記載することとなっている点である(国際機関の報告書等は除かれる)。例えば、AR5で大変重要な引用がなされた統合評価モデル(IAM)のシナリオ分析は、国際的なモデル比較プロジェクトの成果が多く引用された(図1)。国際モデル比較プロジェクトでは、IAMの比較評価を行うために、シナリオのコーディネーションを行う。ところが、ここでも2℃といった政治目標が打ち出されると、2℃(450 ppm CO2eq.程度)を中心としたシナリオ分析が実施される(以前は550 ppm CO2、等価GHGでは650 ppm CO2eq.程度(おおよそ2.5~3℃程度)が分析のベンチマークだった)。そうすると、プロジェクトの統合論文や、各IAMの分析論文など、多くの論文がそのコーディネーションがなされた気温水準や、分析のフレームワークに沿った形で公表される。IPCCはそうやって作成された査読論文を引用することとなる。査読論文を引用しているため、一見、学術性が高いように思えるし、それに携わっている研究者の大多数もバイアスを生じさせようとしているわけではないが、結果的にはバイアスが生じることとなる。

図1 AR5で引用されたモデル分析シナリオの国際モデル比較プロジェクト別の引用数

図1 AR5で引用されたモデル分析シナリオの国際モデル比較プロジェクト別の引用数
(出典:IIASAシナリオDB)
注1:全体で1184のシナリオ引用があるが、そのうち、1119は国際モデル比較プロジェクトによるもの。
注2:図中凡例の赤字は欧州委員会関連のモデル比較プロジェクト(残りは米国主宰のプロジェクト)

 第4次評価報告書(AR4)ではシナリオとして評価された2℃目標相当のシナリオはわずか6シナリオ(全シナリオ中3%程度)だったが、AR5では3分の1程度が2℃シナリオとなった。AR5では1.5℃相当シナリオの引用はなかった。しかしSR15に向けて多くの1.5℃相当シナリオが分析された。多くのIAM分析者は、AR4当時、2℃は現実的でなく、分析に値しないと考えていたからである。また、AR5当時、1.5℃は現実的でなく、分析に値しないと考えていたからである。

 恐らく今度のAR6では、政治的な情勢を受けて、厳しい排出削減水準である2℃、1.5℃のシナリオの論文が多くなり、AR6でも必然的にそれが中心となった記述がなされるだろう。ただ、実際の社会は2℃や1.5℃ができるように大きな変化が起こったのだろうか。確かに再生可能エネルギーの価格は大きく低下した。しかし、依然として世界の温室効果ガス排出量は増大している。以前のIPCCがまとめた成り行きシナリオの見通しの範囲内で、どちらかと言えば示していた幅の上位付近を推移している。現実とIAM分析シナリオのギャップが大きくなるばかりである。そのため、IPCCでも「現実的な対応戦略」を描くことの必要性が強調されるようになってはきている。ただ、査読論文は、新規性は重要視されるが、何よりも瑕疵がないこと、不透明性がないことが査読の最優先評価事項である。ページ制限の厳しい査読論文で「現実的な対応戦略」を書き込み、査読を通ることは実は容易ではない。単純な仮定の下でのモデル分析の方が査読論文は通りやすい傾向がある。

 ”Policy relevant but not policy prescriptive”の原則が間違っているとは思わない。原則的に査読論文を引用するという方針も間違っているとは思わない。これら原則がなければもっと偏った記述になる危険性があるからだ。他方、これら原則によって、IPCCの記述に歪みが生じてきていることもよく理解して、IPCCの報告書を読むことが大切だ。IPCC執筆者の一人として批判は甘んじて受けるつもりだが、これはIPCCの枠組みの問題であるので、IPCC執筆者であっても個人の力では、その歪みを排除した報告書にすることはほとんど不可能に近いということも理解頂きたい。