北海道停電が示す日本の6重苦


国際環境経済研究所理事・主席研究員

印刷用ページ

(産経新聞「正論」からの転載:2018年9月14日付)

 9月6日未明、北海道内全戸停電という未曽有の事態が発生した。一旦送電が復旧した後もなお電力供給は綱渡りを続けており、電力不足が生活・経済のあらゆる場面に影響を与えている。電力不足で設備の洗浄が十分にできないため、せっかく搾乳した生乳を全て廃棄処分にしているという酪農家の方の話には、胸が詰まった。

安定性を揺るがす3つの変化

 「インフラ中のインフラ」である電力が途絶することの影響は甚大だ。今回も室内で発電機を使用し一酸化炭素中毒で亡くなるという痛ましい事故が起きたが、真冬であればさらに多くの人命が失われる事態となっただろう。電力供給に関するリスク管理は幾重にも施しておくべきであったのに、こうした事態に陥った原因はどこにあるのだろうか。技術的な原因分析は今後の調査に委ねるとして、構造的な要因を考えてみたい。

 現在、電力ネットワークの安定性を保つことが、これまでにないほど難しくなっている。理由は、原子力発電所の長期停止、自由化の進展、再生可能エネルギーの導入拡大という3つの環境変化だ。

 福島第1原発事故を契機に引き上げられた安全基準への適合審査に数年を要しており、必要な設備投資も1基あたり1000億円以上にも膨らんでいる。通常の安全規制と同様、設備を稼働させながら新しい基準への適合を進められれば余裕もあっただろうが、原発の代わりに火力発電所を動かす燃料費も負担しながら、莫大な安全対策投資を行うのはしんどい。

 停止期間が長引く間に地元の首長が代わり理解獲得に時間がかかるケースや、停止を求める訴訟も頻発している。原子力事業の予見可能性が失われていることで、他の発電事業の将来予測も立てづらくなっている。

需要減、温暖化対策も急務

 そして、一昨年4月から電力小売りの全面自由化が行われた。消費者の選択肢が増えたことは歓迎すべきだが、発電や小売り事業を市場原理に委ねた上で、供給の安定性を維持するのは大いなるチャレンジだ。基本的に自由化とは、規制の下で余剰設備を抱え込んだ産業のスリム化を進めるために行われるものだ。電力事業でも自由化が進めば稼ぎの悪い設備の廃止が続き、国全体として発電能力に余力がない状態になってしまう。

 再生可能エネルギーの導入が進むから良いではないかと思われるかもしれない。しかし、再生可能エネルギーが増えても、火力発電所などの発電設備はある程度維持し続ける必要がある。なぜなら、電気はためることができないので、必要とされる瞬間に必要とされる量を発電せねばならないのに、太陽光や風力発電の発電量は太陽や風次第だからだ。発電量を人間がコントロールできる従来型の発電所を確保し続けること、中でも火加減調節を素早く行える発電所を一定程度維持しておかなければ、ネットワーク全体の安定性が保てなくなってしまうのだ。

 これらの3つの環境変化は既に確実に進行している。さらに、ここから加速する変化要因として、インフラの高経年化、人口減少・過疎化や省エネによる需要の減少への対応、温暖化対策の必要性の強まりという3つを指摘したい。

社会の強靱性確保が問われる

 高度成長期に急拡大した送電線などのインフラが更新時期を迎える。設備のメンテナンスをしっかりと行わなければ、事故が頻発するだろう。インフラの持続可能性の問題だ。しかし、人口減少などによってこれから電力需要は減少する可能性が高い。いまある設備を単純に更新してしまえば、その投資回収はおぼつかないだろう。

 加えて温暖化対策の要請が強まり、低炭素化を進めていかねばならない。火力発電への投資は資金調達が困難になるのは確実だ。実は北海道電力は、泊原発停止の長期化への対応と老朽火力の設備更新を図る必要性から、石狩湾に天然ガス火力発電所を建設中で、来年2月の竣工を予定している。

 しかし地震発生前には、需要減少のなか投資回収をどう見込んでいるのか、温暖化対策の観点からなぜ今、火力発電所の新設なのかと、強い批判にさらされていた。北海道の特殊性から、火力発電所の新設が進められていたが、全国的に見れば火力発電所の建設が今後、進むとは考えづらい。

 さらに、北海道電力は本州との連系線の増強も進めており、今年度内にはそれが完成する予定だった。事業環境の変化を踏まえれば、むしろ特殊に投資を行って対策を進めていたのに、それが間に合わなかったのは不運としか言いようがない。

 北海道電力の対応を後から批判するのはたやすい。しかし「6重苦」ともいえるこれら制度変更や環境変化が、電力ネットワークの安定性を損ないつつある現実を直視し、重要設備については自家発電設備を導入するなど、社会の強靱化も進めておくべきではなかったか。北海道大停電は電力インフラのあり方だけでなく、日本社会の強靱性をいかに確保するかという大きな問いを投げかけている。