第14話「環境外交と原子力外交」


在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使

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 一連の動きに共通するのは、主権国家を律する国際ルールに基づき、より良い国際秩序を構築していくべきとの考えである。現在から見るといささか楽観的と言えなくもないが、それが冷戦直後のユーフォリア、時代精神であった。環境外交、原子力外交がひときわ輝いた時期であったと言えよう。
 なお、環境、原子力以外の分野を見ても、国際貿易におけるウルグアイ・ラウンド妥結による世界貿易機関(WTO)設立や、開発援助におけるミレニアム開発目標(MDG)策定の動きも、この流れに位置づけられようが、ここでは立ち入らない。

(「弱み」:「内的脆弱性」と「外的脆弱性」)
 環境外交、原子力外交に共通する「弱み」は、「内的脆弱性」、「外的脆弱性」とも呼びうるものである。

(既存の国際枠組みに内在する「内的脆弱性」)
 ここでいう「内的脆弱性」とは、既存の国際枠組みに脆弱性が内在することを指す。
 環境外交ではUNFCCC、原子力外交ではNPTが中心となって国際枠組みが形作られている。両条約は、締約国を明確に二つのカテゴリーに区分し、それぞれ異なる権利義務を設定するという、二分法(dichotomy)を基礎においている点に大きな特徴がある。
 すなわち、UNFCCCでは、条約が作成された1990年代初頭の各国の経済状況を踏まえて締約国を附属書Ⅰ国(先進国)と非附属書Ⅰ国(途上国)に区分した。また温暖化対策において両者の責任を差別化するため、「共通だが異なる責任(common but differentiated responsibilities)」という基本概念が導入された。この先進国と途上国の義務の差異は、先進国にのみ排出削減義務を課す京都議定書により更に強化された。筆者が拙著で名付けた、「リオ・京都体制」の誕生である。
 一方、NPTでは1960年代後半の条約作成時点で既に核実験を行っていた「核兵器国」とそれ以外の「非核兵器国」が区分された。非核兵器国に対しては原子力の軍事利用を防ぎ、平和的利用に限定することを担保するため、核兵器の製造、取得の禁止や、IAEAによる包括的な査察受入など様々な義務が課された。その一方で、核兵器国にはそうした広範な義務はなく、他国への核兵器の譲渡禁止や、核軍縮についての交渉義務にとどまっている。
 いかなる国際条約も歴史的経緯とは無縁ではなく、UNFCCC、NPTも例外ではない。上述のような二分法に基づく構造も、条約作成当時の国際環境においては一定の合理性があったのであろう。しかしながら、本来、平等であるべき主権国家を異なる権利義務の下に置く国際枠組みは本質的な脆弱性を抱える。国際環境の変化に伴い、当初は合理的と思われた区分もむしろ不公平なものと受けとめられるようになると、その脆弱性が顕在化し、ひいては国際枠組みそのものへの信頼性を揺るがすことになる。
 環境分野では、中国、インドなど「途上国」の大口排出国が登場するようになった国際環境の変化の中で、先進国のみに義務を課す「リオ・京都体制」に対し、公平性、実効性の観点からの強い疑問、不満が噴出した。結局、京都議定書については、米国は署名したものの加入を見送り、カナダは一旦加入したものの最後は脱退し、日本、ロシア、ニュージーランドは京都議定書にとどまるも同議定書の下での削減目標(第2約束期間)設定を見送るという、いわば四分五裂の状況となった。2020年からの将来枠組みとしてパリ協定が採択、発効した現在は、「リオ・京都体制」から「リオ・パリ体制」への移行期である。新たな枠組みは、UNFCCCに内在する脆弱性を依然として抱えつつも、京都議定書の教訓を踏まえて、先進国・途上国の区分を際立たせない緩やかな基本設計となっている。

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パリ協定を採択したCOP21(出典:IISD/Earth Negotiations Bulletin)

 原子力の世界におけるNPTは、上述の通り、非核兵器国に対し原子力の軍事転用を禁じ、それを担保するためのIAEAによる包括的な査察受入義務を課している。加えて、IAEAの査察も追加議定書の普遍化努力により、強化されてきた。締約国(先進国)への排出削減義務を課しつつも遵守メカニズムが十分とは言えなかった「リオ・京都体制」以上に強力な法的拘束力を持つ国際枠組みと言える。「リオ・京都体制」が、抜本的な改変を余儀なくされたのに比べ、この「NPT・IAEA体制」ともいうべき原子力の世界における国際枠組みは相当な強靭性を保ってきた。
 しかしながら、それはこの「NPT・IAEA体制」が脆弱性を内包していないことを意味しない。インド、パキスタン、イスラエルは当初よりNPTに未加入のままであるし、北朝鮮はNPT「脱退」を表明、IAEAからは実際に脱退し、またIAEAの査察を拒否して現在に至っている。また、NPTの枠外で核兵器禁止条約を進める動きや、IAEAに核軍縮面での更なる役割を求める声が出てくる背景には、非核兵器国が負う義務に比べて核兵器国による核軍縮が不十分であるとの、現行の「NPT・IAEA体制」に対する不満があるためとも言えよう。

(外部環境・要因に左右される「外的脆弱性」)
 環境外交、原子力外交はまた、その成否が安全保障、エネルギー、経済全般等を含む外部環境・要因に大きく左右されるという点で「外的脆弱性」を有している。
 環境外交におけるCOPや、原子力外交におけるNPT運用検討会議、IAEA総会など、これらの定期フォーラムが持つある種の華々しさとは対照的に、そこでの交渉の成果が、世界の温暖化対策や核軍縮・不拡散の現実の進展に与える影響は非常に限られている。例えば、UNFCCCが出来るはるか前の1970年代のオイル・ショック後に省エネ対策が進んだように、世界のエネルギー情勢の動向次第で、温暖化対策は前進もすれば後退もしてきた。また、2008年のリーマン・ショック後に世界のCO2排出が減り、2011年の福島第一原発事故後に日本のCO2排出が増えたように、マクロ経済や原発の稼働状況にも大きく左右される。核・原子力の世界では、実際の核軍縮を決めてきたのは、国連における軍縮の議論ではなく、二大核兵器国である米露間の交渉である(もちろんこれは米露両国にとっての原子力外交ではあるが)。また、核不拡散(ないし拡散)の歴史を紐解いたとき、核不拡散の成否は、当該国の安全保障環境、脅威認識、国内の政治体制など様々な要因に影響され、国際ルールや国際社会による外交努力が及ぼす影響力は限定的であるように思われる。
 COPやNPT運用検討会議、IAEA総会などの関連フォーラムは、その時々の国際社会の状況を映し出す鑑ではあっても、それ自体が国際社会をリードする牽引役としての役割には大きな限界があることは認識しておく必要があろう。

米国の環境外交と原子力外交

 米国は近年まで世界最大のCO2排出国であり、また世界最大の核兵器国でもある。当然のことながら、米国は環境外交、原子力外交における最重要のプレーヤーであり続けてきた。これまで触れてきたUNFCCC、京都議定書、NPT、IAEAなど、環境、原子力の両分野の国際枠組みの形成について、米国の役割抜きに語ることはできない。
 前出の拙著で述べた通り、超大国である米国は、自国の行動の自由を制約する国際枠組みに入ることには、制約を上回るメリットがない限り基本的に慎重である。だが、その慎重姿勢が時として揺らぐことがある。この米国外交の「揺らぎ」が曲者であり、新たな国際枠組みの構築に向けたダイナミズムを生み出す原動力となる一方、途中で米国の動きが失速した場合には、国際社会は梯子を外され、振り回されることにもなる。
 前出の拙著では、環境の分野において「リオ・京都体制」が米国外交の揺らぎに翻弄されてきた、過去四半世紀における3つの節目の動きを紹介した(184-186pp)。最初の2つは1990年代におけるUNFCCCと京都議定書を巡る対応であり、3つ目はオバマ政権の登場である。この1990年代とオバマ時代の両時期における、米国の環境外交と原子力外交を振り返ってみたい。

(1990年代の米国の環境外交と原子力外交)
 ブッシュ(父)政権からクリントン政権に至る1990年代は、前述の通り、環境外交と原子力外交が大きな展開を見せた時期であったが、米国外交はその原動力となった。環境面では、ブッシュ(父)政権はUNFCCCを締結し、クリントン政権は米国自身のCO2削減目標を掲げて京都議定書の署名に踏み込んだ。核・原子力の世界では、ブッシュ(父)政権はソ連(当時)との間で第一次戦略兵器削減条約(STARTⅠ)に調印し、クリントン政権はCTBTに署名した。また、この時期に顕在化したイラク、北朝鮮の核問題を受け、NPT無期限延長、追加議定書作成による「NPT・IAEA体制」の強化にも取り組んだ。

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写真左:STARTⅠに署名するブッシュ(父)大統領とゴルバチョフ大統領(出典:米国務省ウェブサイト)
写真右:COP3の機会に記者会見を行うゴア副大統領(出典:IISD/Earth Negotiations Bulletin)