第8話「原子力技術の光と影」
加納 雄大
在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使
年の瀬のウィーン
毎年11月中旬になると、ウィーンの市内のあちこちでクリスマス市が開かれる。ウィーンのクリスマス市は13世紀末に神聖ローマ帝国皇帝アルブレヒト1世が地元の商工業者に12月に市場で店を出す権利を与えたのが始まりとされる。
クリスマス市が立ち、クリスマスに向けた準備が見られる様になると、今年もあとわずかという雰囲気になる。もっとも、外交の街、ウィーンではクリスマス休暇直前まで様々な行事が目白押しであり、世界各地から訪れる人々が引きも切らない。
原爆被害常設展示コーナーの設置
クリスマス市がウィーンの街中に立ち始めた頃の11月17日、ウィーン国際センター(VIC: Vienna International Centre)の広報コーナーの一角に新たな常設展が誕生した。広島・長崎への原爆投下から70周年を機に開設された、常設原爆展「核兵器のない世界に向けて(Towards a World Free of Nuclear Weapons)」である。戦争被爆の実相を伝える証として、広島・長崎両市の協力により提供された、爆発による高熱で形の変わったガラス瓶など計4点の被爆資料や被爆当時の市街地のパノラマ写真が展示されることとなったのである。
同日開催された記念式典には、日本から松井一實広島市長が出席したほか、ウィーンに拠点を置く各国代表部大使、国際機関の幹部職員等100名以上が参加した。式典では、松井広島市長が挨拶を行い、長崎市と共にこの常設原爆展を開催できることをうれしく思う、今年は広島・長崎への原爆投下から70年の節目の年であり、原爆と戦争の経験を後世に受け継ぐための努力は未来の平和実現のために非常に大切であると述べた。また、日本政府を代表して挨拶を行った北野充ウィーン代表部大使からも、この原爆展は、核兵器による惨禍に対する理解を促すことにより、核軍縮・不拡散のための普遍的な努力の基盤をつくる、未来志向のものであると述べたところである。
筆者自身が広島と長崎の原爆資料館を訪れたのは1984年と1989年。それぞれ高校生、大学生の時であった。展示品と写真を見るにつけ、訪れた当時の記憶が蘇ってきた。
事実が伝えるメッセージは重い。既に常設展が設置されているNY、ジュネーブに加えて、原子力外交の街、ウィーンにおいて戦争被爆の実相を伝える常設展示が出来た意義は大きい。この展示は、原子力技術の軍事利用が如何なる結末をもたらし得るかを訴えることで、核兵器の無い世界を目指すべきとのメッセージを、原子力外交に関わる各国関係者のみならず、将来世代に伝えるものになるであろう。早速、翌18日には、国際センターの見学ツアーの一環で、ウィーン日本人学校の生徒達が同コーナーを訪れたところである。
持続可能な開発のための保健・医療分野における原子力技術の活用
常設原爆展開設の前日の11月16日には、在ウィーン国際機関日本政府代表部の会議場で、日本政府代表部主催による国際保健と放射線医療に関するワークショップ(“Global Health and Radiation Medicine: Challenges and Opportunities in the Era of Sustainable Development Goals”)が開催された。
9月の国連総会で採択された国際的な新たな開発目標(持続可能な開発のための2030アジェンダ)を今後如何に実施していくかは、国際社会全体にとっての課題である。なかでも国際保健は重要な柱であり、放射線医療分野での専門的知見を有する国際原子力機関(IAEA)が如何なる貢献をなし得るかについて、日本とIAEAの専門家による議論が行われた。
ワークショップではまず、日本の渋谷健司・東京大学教授が基調講演を行った。渋谷教授は、来年のG7伊勢志摩サミット、第6回アフリカ開発会議(TICADⅥ)に向けた日本政府への提言作りの作業をリードする国際保健の専門家である。基調講演において渋谷教授は、原発事故後の福島での自身の活動にも触れつつ、人々があまねく保健サービスを受けられるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の実現のため、様々なプレーヤーが連携して取り組むことの重要性を訴えた。また、途上国の保健課題において、がんなどの非感染症疾患の比重が高まる中、IAEAの役割に強い期待が示された。
続いて、IAEAからのコメンテーターとして、アブデル・ワッハーブ医療部長とエンヴェレム・ブロムソンがん対策部長がIAEAの取り組みの現状について説明し、更に質疑応答が行われた。
一連のやりとりでは、保健・医療分野でIAEAが果たす役割に強い期待が示された。一方、福島事故後に強まった放射線が健康に及ぼす影響についての懸念を如何に克服するか、また「核の番人」のイメージが強いIAEAの保健・医療分野での役割についての認知を如何に高めるかといった、対外発信面での課題が指摘された。このほか、IAEAが保健・医療分野での増大するニーズに応えるため、リソース配分や他の開発援助機関とのパートナーシップをどう進めるかといった実施上の課題も取り上げられた。