第8話「原子力技術の光と影」


在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使

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 IAEAが行う技術協力において、保健・医療は、食糧・農業、原子力安全・核セキュリティと並んで各国のニーズが高い分野である。
 上述の国際保健ワークショップが開催された次の週には、今後2年間(2016-2017)のIAEAの技術協力計画を検討する技術支援協力委員会(TACC: Technical Assistance and Cooperation Committee)が開催され、続いて開かれた定例のIAEA理事会で最終的に承認された。新たな計画では、保健・医療分野は全体の24.7%を占め、特に中南米・カリブ地域では第1位、アフリカ、アジア太平洋、欧州の各地域でも第2位の優先分野である。
 一方、この技術支援協力委員会及び理事会に提出された、IAEA内部の評価機関による報告書では、IAEAが開発課題に取り組むにあたり、他の国際機関や援助機関、民間セクターとの一層の連携が必要との指摘がなされている。これまでIAEAは、一定レベルの原子力関連インフラが自前で整備出来る国々を主な対象として、人材育成や規制枠組みの構築などソフト面での支援を中心に行ってきた。しかしながら、新たな開発目標の下、アフリカや中南米の低中所得国や小島嶼国に対して原子力の平和利用の恩恵を及ぼしていくとすれば、IAEAのみではカバーしきれない、インフラ整備の支援まで視野に入れた取り組みが必要になってくる。“Atoms for Peace and Development”を推し進め、IAEAが開発分野で存在感を示していくためには、他のプレーヤーとの連携を一層進めるなど、IAEA自身にも変革が求められる。
 2016年のG7伊勢志摩サミット、第6回アフリカ開発会議(TICADⅥ)を念頭においた、国際保健における日本の取り組みは進んでいる。12月16日には、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の達成や公衆衛生危機対応を含む強靭で持続可能な保健システムの構築に向けて,各国政府関係者や国際機関代表,専門家が議論を活発に交わした国際会議が東京で開かれた。同会議に先立ち、安倍総理大臣が、「世界が平和でより健康であるために」と題する論考を寄稿し、国際保健で日本が貢献していく決意を改めて示したところである。東京での国際会議にはIAEAからも、エンヴェレム・ブロムソンがん対策部長が参加した。IAEAがなし得る貢献の余地は大きい。

地球温暖化問題と原子力

 毎年この頃は、国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)が開催され、地球温暖化問題に対処するための国際交渉が大詰めを迎える時期でもある。このCOPでの交渉こそは、「会議は踊る」とも言われたウィーン会議の現代版と言って良いかも知れない。
 11月30日からパリで開催されたCOP21は、京都議定書に替わる新たな国際枠組みに合意する場として位置づけられていたこともあり、冒頭に各国首脳が参加するセッションが設けられるなど、例年以上に注目を浴びるものとなった。かつて、コペンハーゲンCOP15から、カンクンCOP16、ダーバンCOP17に至る気候変動交渉に携わった筆者としても、ある種の感慨と関心を持って交渉を見守った。
 COP21は予定が一日延長された12月12日、新たな枠組みである「パリ協定(Paris Agreement)」を採択して閉幕した。同協定採択から間もない本稿執筆時点では、交渉結果についての論評が十分出揃っておらず、気候変動交渉から離れて久しい筆者にCOP21及びパリ協定について包括的に論評する知見は無い。敢えて若干のコメントをするとすれば、以下の通りである。

採択された協定は発効しない限り「絵に描いた餅」でしかない(1997年に採択された京都議定書が発効したのは8年後の2005年である)。もちろん暫定適用など、正式発効を待つことなく実施に移す動きは出てくるであろうが。協定発効に向けた今後の取り組みの成否が、COP21の最終的な評価を定めると思われる。
パリ協定は、国連気候変動枠組条約締約国55ヶ国以上の締結に加え、締約国全体の排出量の55%以上がカバーされることを発効要件としている(協定第21条1)。先進国の温室効果ガス排出量のみをベースにその55%以上がカバーされれば発効するとした京都議定書と大きく異なり、より包括的な枠組みになったと評価できる。一方、55%以上のカバレッジを要するということは、裏返せば、(途上国のみならず米国抜きでも発効が可能となった京都議定書と異なり)45%以上の排出量を占める国々が締結に反対すれば発効し得ないことを意味する。国別排出量で1位、2位、3位の中国、米国、インドをはじめとする大口排出国が締結しない限り、パリ協定の発効は不可能であろう。逆に言えば、これら大口排出国の締結が可能となるように、同協定の規定振りも細心の注意が払われたと思われる。
特に、米国のパリ協定への対応が、中国、インドなどの主要排出国の対応を左右することから、決定的に重要である。その観点では、協定最終案における先進国の排出削減及び途上国の緩和行動に関する条項(協定第4条4)につき、最後のタイミングで、先進国の排出削減に係る表現が当初の“shall”から途上国の行動に係る表現と同じ“should”に修正されたのは、米国の参加を確保していく上で決定的に重要だったと思われる。周知の通り、米国は京都議定書に署名したものの、先進国のみに排出削減義務を課した同議定書には終に参加しなかった。パリ協定の米国の参加は、行政府による署名、議会の承認という一連のプロセスを見極める必要がある(もっとも、今回の協定の規定内容であれば議会承認は不要との見方もある)。このプロセスが2016年の大統領選挙、2017年の新政権発足の影響を受けるか否かも注意する必要があろう。

 その他、パリ協定に関連する様々な論点については、将来枠組みの検討プロセスの初期段階である3年前の2012年段階で、国際環境経済研究所における筆者の連載寄稿「環境外交:気候変動とグローバル・ガバナンス」で論じている。当時は京都議定書第一約束期間の最終年であり、同議定書のようなトップダウン型の将来枠組みを志向する議論が多い時期であったが、筆者(そしておそらく多くの日本側交渉関係者)が想定していた将来枠組みのイメージ図は以下の通りである。今回採択されたパリ協定と比べ、当時の見通しをどう評価するかは、読者の判断に委ねたい。


(出典:拙著「環境外交:気候変動交渉とグローバル・ガバナンス」221ページ)

(出典:拙著「環境外交:気候変動交渉とグローバル・ガバナンス」221ページ)

 原子力発電はCO2を排出しないことから、地球温暖化問題への対応と密接な関係がある。かつて日本が温室効果ガスの排出削減目標として、2020年までに1990年比マイナス25%の削減目標を掲げた際には、それを実現するため、原発の大幅な新増設を柱としたエネルギー政策(基本計画)が策定された(それが、福島第一原発事故を機に見直しを余儀なくされたのは周知の通りである)。
 各国政府の気候変動交渉関係者や環境NGOが集まるCOPの現場では、原子力関係者の集まるIAEA総会と異なり、原発に対するイメージは決して良くない。しかしながら、各国とも自国のエネルギー政策と表裏一体の形で排出削減目標を設定しており、多くの主要排出国の目標には原発貢献分が組み込まれている。COP21に先立ち日本が提出した新たな排出削減目標も、福島事故後の紆余曲折を経て、原発をベースロード電源に再び位置づけた新たなエネルギー政策が基礎になっている。