リスク情報の活用はなぜ進まなかったのか?

-原子力産業界を束ねる新組織への期待-

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4.日本版NEI設立の失敗

 以上から分かるように、リスク情報の活用が進まなかった原因のひとつとして、我が国には米国のようにワンボイスにまとまった産業界が規制側と透明性を確保しながら建設的な意見交換をしようとするプラクティスがなかったことを上げてよいであろう。もちろん、そのような意見交換の素地があったとしても、そこでどのような議論が行われ、どのような制度設計がなされるかが肝心であるが、その問題は他に譲る注1)として、ここでは以下、入口論としての組織論に特化して論じることとする。
 さて、過去に我が国では米国NEIのような組織の必要性について認識されていなかったのだろうか? 実はそうではない。そのことについて以下に述べる。
 第2章で述べた動きと時期的には並行する形で、日本版INPO(Institute of Nuclear Power Operations、米国原子力発電運転協会)や日本版NEIの必要性への認識が産業界内で高まり、検討が開始された。そして平成17年、前者に対応する組織として「日本原子力技術協会(JANTI)」が設立され、また、同年度中には後者に対応する組織として「日本原子力協会」が設立される予定となっていた注2)。JANTIについては、1F事故後、安全確保に向けた各電力の取組みへの関与をより強化することを掲げ、原子力安全推進協会(JANSI)へと改組されて現在に至っている。
 一方、平成17年度中に設立するはずであった日本版NEI:「日本原子力協会」は結局、日の目を見ることはなく(一説には、日本原子力産業会議が同18年に日本原子力産業協会に名称変更したことがこれに対応するという見方もあるが、実態が全く伴っていないので、それは結果として正しくない)、その後も明確な動きはなかった。この原因については、あくまで筆者の憶測だが、その必要性について産業界の意見が一本化できなかったからではないかと思っている。当時、規制当局との意見交換は実質的に電力の業界団体である電気事業連合会(電事連)が担っており、あえて日本版NEI(以下、本稿においてはJNEIと称する)を新設する必要性を感じないという意見もあったに違いない。今でこそ1F事故の原因のひとつとして、規制側が電力の意向に強く影響を受けていた(いわゆる”Regulatory Capture”)という指摘がなされ、意見交換における透明性の確保に配慮がなかったことが明確な問題点として認識されているが、当時の関係者が米国流のやり方を我が国にはなじまないと考えたり、もっとあからさまに(規制への電力意向反映が)やりにくくなると思ったりしても不思議はない。また、電事連はあくまで電力の組織であり産業界のワンボイスとは言えないが、NEIにおいてプラントメーカーが重要な一翼を担う米国と異なり、我が国でのメーカーの存在感は規制との関わりという観点で表面上希薄であり、またそのことにメーカーも強い問題意識を持っていなかったため、現状変更への意欲は弱かったと考えられる。こうしてJNEIはその必要性を認識されながら設立に失敗した。

5.透明で建設的な対話を目指して

 今日的視点でJNEIの必要性やあり方について改めて考えてみたい。
 現在、規制庁と電力との相互理解がうまくできていると考える人はあまりいないだろう。既設プラントの再稼働が最優先事項である電力は規制庁の意向を丸飲みすることができるなら、それが許認可取得の近道と考え、可能な限りそのように対応しているように見受けられる。但し、これは後々禍根を残すことにもなりかねず、決して電力の本意ではないはずだ。現状、経営的観点からこうせざるを得ない電力のスタンスは理解できるが、再稼働が進みもう少し状況が落ち着いてきた時点で、安全性の維持・向上と整合する、より適切な規制のあり方に向け、規制庁と対話を開始することの必要性が高まってくることは間違いないと思われ、その場合、JNEIの存在が強く望まれる。では、JNEIはどのような組織であるべきだろうか?
 過去の失敗に鑑み、電力のコミットメントは必須である。その点では、1F事故以前のように電事連に再びJNEIの役割を期待することが近道かもしれない。しかし事故原因のひとつとして批判を浴びたやり方の復活ととらえる人もいるであろうし、また、電力だけの集団に委ねることが本当に適切な選択であろうか? 1F事故の記憶が生々しい現在であれば心配はないが、安全性の維持・向上とはコストを伴うものであるから、電力としてのインセンティブを維持するのは必ずしも容易ではない。一方、プラントメーカーは安全性の維持・向上をビジネスとして電力に提案するインセンティブを有している。その意味ではやはり、JNEIのあるべき姿は電事連のような電力のみの団体ではなく、メーカー等産業界のメンバーを対等の立場で組み入れ、規制庁に提案できる説明性の高い安全性の維持・向上の仕組みを産業界全体の総意としてまとめあげることのできる組織ではないだろうか。前章で述べた過去の轍を踏まないためには、こうしたJNEIのあり方について産業界のメインプレイヤーである電力、メーカー間でしっかりとした合意が形成され、設立に向け明確なコミットメントが示されなければならない。
 さて、JNEIの設立と言っても、現時点でまったく新しい組織を立ち上げるのは現実的ではないだろう。そこで母体となるふたつの候補を上げる、ひとつは日本原子力産業協会(JAIF)であり、もうひとつはNRRCである。
 JAIFは原子力産業に関係する多くの組織が会員として名を連ねており、形式的な受け皿としてはNRRCより適切と言える。しかしながら、過去に一度失敗した経緯があり、またJNEIとして必要な機能を保有させるためには相当の人材を常勤職員として投入する必要があると思われ、実現のハードルは高い。一方、NRRCは電力中心の組織ではあるが、今後、規制側との交渉においてキーテクノロジーとなるであろうPRAやリスク情報の活用に関する知見や人材を有している。現在は研究開発が主たる活動内容であるが、元NRC委員のアポストラキスNRRC所長は、将来的には規制への提言を行うことも視野に入れたい旨、意思表明している。JNEIとなるためには、「電力会社の研究所」という枠を超えた組織へと脱皮することが必要であろう。

6.終わりに

 冒頭述べた通り、1F事故の反省を踏まえ各電力はリスク情報の活用を推進していくことを宣言している。一方、規制庁は重大事故シナリオの選定に当たってPRAの結果を示すことを電力に要求したり原安委が策定した安全目標(案)に独自の目標(放射性物質放出量)を加えて公表したりしているが、他方では電力の確率論的考えを拒否したり安全目標についてどのように活用していくのかを明確にしていなかったりと、リスク情報活用に関するスタンスは曖昧である。本稿で述べてきたJCO事故以降1F事故までの状況と官民の思いが逆であるが、同じように相互理解への道のりはまだ遠い。
 前章で述べた通り、JNEIの必要性に関しては、新規制制度が施行されて以来、ますます高まっていると感じている。今後の我が国での電力事業が置かれるであろう経営環境に鑑み、原子力を継続的に利用していくためには、リスク情報を活用して真にリスク低減に効果的な方策を規制側と産業界が共有し、より適切な規制のあり方を社会に対し開かれた形で議論することが不可欠であり、その機能の一翼を担うのがJNEIであると考える。こうした認識が我が国原子力界で共有され、関係者の取組みが強化されていくことを筆者は願ってやまない。

注1)
澤昭裕、「続・原子力安全規制の最適化に向けて-原子力安全への信頼回復の道とは-」、政策提言、21世紀政策研究所 (2015.04).
注2)
鈴木達治郎、他、「原子力安全規制における米国産業界の自主規制体制等民間機関の役割とその運用経験:日本にとっての示唆」、社会技術研究論文集Vol.3, 11-20 (2005).

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