リスク情報の活用はなぜ進まなかったのか?

-原子力産業界を束ねる新組織への期待-

印刷用ページ

1.はじめに

 福島第一発電所(1F)事故の反省を踏まえ、確率論的リスク評価(PRA)等から得られるリスク情報の活用を推進していくことが各電力会社より表明されている。また電力共通の技術課題に取り組むため、電力中央研究所(電中研)に原子力リスク研究センター(Nuclear Risk Research Center, NRRC)が設立された。筆者が前稿にて述べた通り、PRAは、今後の原子力発電所の安全性維持、向上に大変重要な役割を果たすと考えられるので、こうした気運の高まりは非常に望ましいことだと言える。但し、一方では、以前にもJCO事故等を受け、国内でリスク情報活用を推進しようと様々な取組みがなされたが、結局、遅々として進まなかったことを忘れてはならない。もちろん、当時とは事情が大きく異なるが、今一度、その過去を振り返り、そこから何か学ぶべきことはないのかを考えてみたい。

2.JCO事故後の取組みについて

 PRA手法の研究は、米国TMI事故の検証においてその有効性が認められて以来、わが国でも盛んに行われてきており、改良型軽水炉の安全設計の一部やアクシデントマネジメント(シビアアクシデントへの拡大防止、影響緩和)策の有効性評価等において実用化された実績がある。このように少しずつではあるが、PRAはその技術レベルに応じて実用に供されてきたのであるが、平成11年9月に発生したJCO事故や平成14年に明らかとなったいわゆる東電問題(炉心シュラウドのひび割れに関する自主点検の不正等)を受け、その重要性に新たな光が当てられることとなった。
 旧原子力安全委員会(原安委)は、JCO事故後、「リスクに関わる情報を考慮に入れた安全管理の重要性」(平成12年版原子力安全白書)等に鑑み、安全目標の検討に着手した。また、東電問題の発覚直後から、「リスクインフォームド型規制」(平成14年版原子力安全白書)の導入についての検討を開始した。これらの成果は以下の文書に取りまとめられている。

「リスク情報を活用した原子力安全規制の導入の基本方針について」(平成15年11月)
「安全目標に関する調査審議状況の中間とりまとめ」(同12月)
「平成15年版原子力安全白書」
「発電用軽水型原子炉施設の性能目標について -安全目標案に対応する性能目標について-」(平成18年3月)

 さらに、平成16年、「リスク情報を活用した安全規制の導入に関するタスクフォース」を設置して、国内関係機関の取組みをフォローし、同19年には、「リスク情報を活用した安全規制の導入に関する関係機関の取組みと今後の課題と方向性 -リスク情報のより一層の活用と進展に向けて-」と題した報告書をとりまとめて提言を行っている。
 こうした動きを受け、当時の規制官庁である旧原子力安全・保安院(NISA)でも検討が開始され、平成17年2月、総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会の下に「リスク情報活用検討会」を設置し、基本的な考え方等についての審議が行われた。その成果は以下の文書にまとめられている。

「原子力安全規制への『リスク情報』活用の基本的考え方」(平成17年5月)
「原子力安全規制への『リスク情報』活用の当面の実施計画(平成17年5月、同19年1月改訂)
「原子力発電所の安全規制における『リスク情報』活用の基本ガイドライン(試行版)」(平成18年4月)
「原子力発電所における確率論的安全評価(PSA)の品質ガイドライン(試行版)」(平成18年4月)

 以上の通り、当時のリスク情報活用に向けての動きは、国の規制主導で始められた。これに対する民間サイドの動きとしては、上記の原安委タスクフォースやNISA検討会に参画して意見を述べるとともに、原子力学会をはじめとする学協会においてPRA手法やリスク情報活用に関する各種規格・基準の検討、策定が進められた。さらに、原子力学会では標準委員会の下に産官学のメンバーからなる「リスク情報関連規格体系化ワーキンググループ」を設置し、「リスク情報活用の本格導入に向けた関連規格の体系化に関する今後の課題と提言」(平成21年)と題する技術レポートをまとめている。タイトルこそ「関連規格の体系化」となっているが、内容はリスク情報活用促進に係る課題と国内各機関に対する提言そのものであり、原安委が基本方針を提示してから5年以上を経てなかなか進まない状況をなんとか打開しようとした思いが見て取れる。

3.官と民ですれ違った思い

 以上、述べてきた通り、JCO事故や東電問題を受けたリスク情報活用の動きは、官・学を中心に着々と環境整備が進められたわけであるが、結局、実機プラントでの安全管理への適用という観点では、若干の例外を除き、広がりを見せることはなかった。その原因について筆者は以下のように考えている。
 まず、最初に気付くのが規制する側の国と直接に規制を受ける側の電力会社(以下、電力という)の温度差である。当時は、官主導で始まり、アカデミア(学協会)がこれに呼応する形で活動を活発化させた。一方、電力をはじめとする産業界は国の検討会や学協会の委員会に委員を派遣することにより、間接的に意見表明を行ってはきたが、積極的に主導することはなかった。この理由については、推測の域を出ないが、PRAによって今までの決定論的評価に基づく規制では見逃されてきた安全上重要な知見が明らかとなり、それらに基づいて追加的な規制をかけられることを恐れたから、或いはそこまでではないにせよ、何のメリットもないままリスク情報関連の説明を規制からいろいろ求められ手間だけが増えることを懸念したからではないかと思われる。一方、国側の文書を見る限り、リスク情報によって安全規制にメリハリをつけようとする意志を読み取ることができ、決して「厳しいとこ取り」の規制を志向したわけではなかった。事実、原安委の中では、JCO事故や東電問題を受けどんどん規制強化が進んだ結果、電力に過剰な負担を強いることとなり、かえって安全を損ねることになるのではないかとの懸念があり、そうしたことから米国で安全性と稼働率の向上という両面での成功を収めている「リスクインフォームド型規制」の検討が始まったと聞いている。つまり、産業界側にも取り組むべきインセンティブがあり得たのである。しかし、相互理解は進まず、官と民の思いはすれ違ってしまった。
 その点、リスク情報活用先進国の米国では、だいぶ事情が異なっている。TMI事故の後、米国でも電力が重い規制に苦しんだ時期があったが、その後、長い時間をかけて官民とも真にリスクを低減するために重要な安全対策に資源を集中させる努力を積み重ねてきた。そこで見逃してはならないのは、産業界の声をワンボイスにまとめて発信しようとした取組みである。1987年にその目的でNUMARC(Nuclear Management and Resource Council)が設立され、さらに他団体も結集する形で1994年に現在のNEI(Nuclear Energy Institute、米国原子力エネルギー協会)が設立されるに至った。NEIの設立以降は、規制当局のNRCと民間代表のNEIが双方にとって有意義な仕組みを構築しようと協議を重ねる形がすっかり定着した。

4.日本版NEI設立の失敗

 以上から分かるように、リスク情報の活用が進まなかった原因のひとつとして、我が国には米国のようにワンボイスにまとまった産業界が規制側と透明性を確保しながら建設的な意見交換をしようとするプラクティスがなかったことを上げてよいであろう。もちろん、そのような意見交換の素地があったとしても、そこでどのような議論が行われ、どのような制度設計がなされるかが肝心であるが、その問題は他に譲る注1)として、ここでは以下、入口論としての組織論に特化して論じることとする。
 さて、過去に我が国では米国NEIのような組織の必要性について認識されていなかったのだろうか? 実はそうではない。そのことについて以下に述べる。
 第2章で述べた動きと時期的には並行する形で、日本版INPO(Institute of Nuclear Power Operations、米国原子力発電運転協会)や日本版NEIの必要性への認識が産業界内で高まり、検討が開始された。そして平成17年、前者に対応する組織として「日本原子力技術協会(JANTI)」が設立され、また、同年度中には後者に対応する組織として「日本原子力協会」が設立される予定となっていた注2)。JANTIについては、1F事故後、安全確保に向けた各電力の取組みへの関与をより強化することを掲げ、原子力安全推進協会(JANSI)へと改組されて現在に至っている。
 一方、平成17年度中に設立するはずであった日本版NEI:「日本原子力協会」は結局、日の目を見ることはなく(一説には、日本原子力産業会議が同18年に日本原子力産業協会に名称変更したことがこれに対応するという見方もあるが、実態が全く伴っていないので、それは結果として正しくない)、その後も明確な動きはなかった。この原因については、あくまで筆者の憶測だが、その必要性について産業界の意見が一本化できなかったからではないかと思っている。当時、規制当局との意見交換は実質的に電力の業界団体である電気事業連合会(電事連)が担っており、あえて日本版NEI(以下、本稿においてはJNEIと称する)を新設する必要性を感じないという意見もあったに違いない。今でこそ1F事故の原因のひとつとして、規制側が電力の意向に強く影響を受けていた(いわゆる”Regulatory Capture”)という指摘がなされ、意見交換における透明性の確保に配慮がなかったことが明確な問題点として認識されているが、当時の関係者が米国流のやり方を我が国にはなじまないと考えたり、もっとあからさまに(規制への電力意向反映が)やりにくくなると思ったりしても不思議はない。また、電事連はあくまで電力の組織であり産業界のワンボイスとは言えないが、NEIにおいてプラントメーカーが重要な一翼を担う米国と異なり、我が国でのメーカーの存在感は規制との関わりという観点で表面上希薄であり、またそのことにメーカーも強い問題意識を持っていなかったため、現状変更への意欲は弱かったと考えられる。こうしてJNEIはその必要性を認識されながら設立に失敗した。

5.透明で建設的な対話を目指して

 今日的視点でJNEIの必要性やあり方について改めて考えてみたい。
 現在、規制庁と電力との相互理解がうまくできていると考える人はあまりいないだろう。既設プラントの再稼働が最優先事項である電力は規制庁の意向を丸飲みすることができるなら、それが許認可取得の近道と考え、可能な限りそのように対応しているように見受けられる。但し、これは後々禍根を残すことにもなりかねず、決して電力の本意ではないはずだ。現状、経営的観点からこうせざるを得ない電力のスタンスは理解できるが、再稼働が進みもう少し状況が落ち着いてきた時点で、安全性の維持・向上と整合する、より適切な規制のあり方に向け、規制庁と対話を開始することの必要性が高まってくることは間違いないと思われ、その場合、JNEIの存在が強く望まれる。では、JNEIはどのような組織であるべきだろうか?
 過去の失敗に鑑み、電力のコミットメントは必須である。その点では、1F事故以前のように電事連に再びJNEIの役割を期待することが近道かもしれない。しかし事故原因のひとつとして批判を浴びたやり方の復活ととらえる人もいるであろうし、また、電力だけの集団に委ねることが本当に適切な選択であろうか? 1F事故の記憶が生々しい現在であれば心配はないが、安全性の維持・向上とはコストを伴うものであるから、電力としてのインセンティブを維持するのは必ずしも容易ではない。一方、プラントメーカーは安全性の維持・向上をビジネスとして電力に提案するインセンティブを有している。その意味ではやはり、JNEIのあるべき姿は電事連のような電力のみの団体ではなく、メーカー等産業界のメンバーを対等の立場で組み入れ、規制庁に提案できる説明性の高い安全性の維持・向上の仕組みを産業界全体の総意としてまとめあげることのできる組織ではないだろうか。前章で述べた過去の轍を踏まないためには、こうしたJNEIのあり方について産業界のメインプレイヤーである電力、メーカー間でしっかりとした合意が形成され、設立に向け明確なコミットメントが示されなければならない。
 さて、JNEIの設立と言っても、現時点でまったく新しい組織を立ち上げるのは現実的ではないだろう。そこで母体となるふたつの候補を上げる、ひとつは日本原子力産業協会(JAIF)であり、もうひとつはNRRCである。
 JAIFは原子力産業に関係する多くの組織が会員として名を連ねており、形式的な受け皿としてはNRRCより適切と言える。しかしながら、過去に一度失敗した経緯があり、またJNEIとして必要な機能を保有させるためには相当の人材を常勤職員として投入する必要があると思われ、実現のハードルは高い。一方、NRRCは電力中心の組織ではあるが、今後、規制側との交渉においてキーテクノロジーとなるであろうPRAやリスク情報の活用に関する知見や人材を有している。現在は研究開発が主たる活動内容であるが、元NRC委員のアポストラキスNRRC所長は、将来的には規制への提言を行うことも視野に入れたい旨、意思表明している。JNEIとなるためには、「電力会社の研究所」という枠を超えた組織へと脱皮することが必要であろう。

6.終わりに

 冒頭述べた通り、1F事故の反省を踏まえ各電力はリスク情報の活用を推進していくことを宣言している。一方、規制庁は重大事故シナリオの選定に当たってPRAの結果を示すことを電力に要求したり原安委が策定した安全目標(案)に独自の目標(放射性物質放出量)を加えて公表したりしているが、他方では電力の確率論的考えを拒否したり安全目標についてどのように活用していくのかを明確にしていなかったりと、リスク情報活用に関するスタンスは曖昧である。本稿で述べてきたJCO事故以降1F事故までの状況と官民の思いが逆であるが、同じように相互理解への道のりはまだ遠い。
 前章で述べた通り、JNEIの必要性に関しては、新規制制度が施行されて以来、ますます高まっていると感じている。今後の我が国での電力事業が置かれるであろう経営環境に鑑み、原子力を継続的に利用していくためには、リスク情報を活用して真にリスク低減に効果的な方策を規制側と産業界が共有し、より適切な規制のあり方を社会に対し開かれた形で議論することが不可欠であり、その機能の一翼を担うのがJNEIであると考える。こうした認識が我が国原子力界で共有され、関係者の取組みが強化されていくことを筆者は願ってやまない。

注1)
澤昭裕、「続・原子力安全規制の最適化に向けて-原子力安全への信頼回復の道とは-」、政策提言、21世紀政策研究所 (2015.04).
注2)
鈴木達治郎、他、「原子力安全規制における米国産業界の自主規制体制等民間機関の役割とその運用経験:日本にとっての示唆」、社会技術研究論文集Vol.3, 11-20 (2005).

記事全文(PDF)