放射線と放射性物質(その6) 現代文明と放射線
二瓶 啓
国際環境経済研究所主席研究員
紫外線照射により変異させて作ったある種の微生物を用いて目的の直鎖状ポリリン酸を作り、それを他種の微生物に投与して培養する。培養菌体を超遠心で濃縮して加水分解し、反応液を透析してペーパー・クロマトグラフィーで展開、代謝生産物によって異なるスポットの位置を、印画紙を重ねて放射線による感光発色で確認する。発色が悪い場合には0.3mCi (1千万Bq超) を用いて実験したこともある。14Cなど他の放射性同位元素も実験に用いたし、実験は何度も繰り返した。
それこそ至近距離で毎日小一時間、放射性物質とのご対面である。相手は厚さ1cmこそないものの、ガラス製フラスコの中であり確かにβ線被ばくの心配は少ないが、ガイガーカウンターをフラスコに近づけていくと、始めガリガリ音がして針が動いているが、そのうちザーッという雨音のように変わり、遂にピーという警報音に変化して針が振り切れる。
ゴム手袋で被ばくの問題がないのではなくガラス容器の中にあるから被ばくが少ないのであって、ハンフォードの事故ではないが、飛び散った液に知らずに直接触るかも知れない。そういうことのないように、ゴム手袋をして実験台の周囲をガイガーカウンターでチェックしながら実験する。
今思うと制動X線にはしっかり被ばくしているはずである。作業量が私より多い指導教官はポケット線量計を身に着けていた。彼がどのくらい被ばくしていたかは聞いていない。既に80歳近い年齢で、震災前まで東北地方の学校で元気に研究を続けておられたが今も健康である。
心配していては実験にならないし手元が狂ってかえって危ない。高線量の放射性物質を含む廃水や濾紙などは別の容器に入れて保管し専門業者に処理を委託した。しかし、フラスコやビーカーにわずかに残る汚れを洗った水は回収の対象ではなかった。存在が明らかできちっと管理が出来てさえいれば、たとえ百万Bq以上の放射性物質であってもまったく恐れる必要はない。全国各地の研究所や一部の病院などでこのようなことが行われ、医学や科学の発展に貢献しているのである。
社会人2年目の秋に、仕事の関係で上司の指示で受けた放射線取扱主任者の試験にその時の経験が役立ち、今回の解説にも役立っている。そういえば翌年夏に、万博が開催されていた大阪で合格者の資格講習を受けた。受講もソコソコにソ連館のスプートニクや、大混雑のアメリカ館に展示されていたアポロ宇宙船が持ち帰った月の石を見に行ったことを思い出した。これらの成果がもたらされる過程で、米国でもソ連でも多くの人命が失われている。
何ごとも科学技術の発展と成果は、その技術がもたらすあらゆる危険を想定し制御してこそ初めて成り立つのである。技術開発に「想定外」という言葉で逃げるような想像力の欠如や慢心があってはならない。そもそも技術開発とは未知の領域に踏み込む行動であって、想定外という言葉を使う人間に科学技術を扱う資格はないし科学技術者とは言えない。
改めて放射線被ばくについて整理し解説のまとめとしたい。
将来の自らの健康や子孫のために、放射性物質をなるべく体内に取り込まないようにすることはもちろん大切である。しかしながら、常に宇宙線や40Kなど自然由来の放射能や健康診断のX線に曝されていることを考えると、私たちのからだには放射線被ばくを含む様々なストレスに対する修復機能が働いているはずであり、放射線に対してだけ過敏になることなく冷静に行動するべきである。放射性物質そのものよりも、過剰な心配によるストレスがかえって健康に問題を起こすかもしれない。
いずれにしても、政府が立ち入りを制限している地域以外では、放射性物質にあまり神経質にならずに、もうすこし大らかな気持ちで行動してよいと思う。この解説がこれからの読者諸氏の行動に参考になれば幸いである(完)。
引用文献:
連載を通して引用した図表は、単位の換算表、放射性核種の一覧表および放射線・放射性物質の利用の表、放射線被ばく防止三原則の図を除き、主として下記ホームページの資料を引用させていただいた。過去の事故についての記述は原子力安全協会の資料を要約した。また、半減期や壊変形式など放射性物質の基礎データは、国立天文台編集、丸善株式会社発行の理科年表に掲載されている値を用いた。