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放射線と放射性物質(その6) 現代文明と放射線


国際環境経済研究所主席研究員


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 当時は数多くの大気圏内核実験が行われており、今より桁違いの放射能汚染の記録が残っている。財団法人日本分析センターのホームページに放射性降下物の経年変化を示す図があった。63年以降の全国の137Csの月平均降下量のグラフで縦軸は対数目盛(片対数グラフ)である。

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 このグラフを普通座標(線形グラフ)の目盛にすると上下に伸びて左端はページをはみ出る。また、60年代の数億Bq/km2から最近の数百Bq/km2までの百万分の一への変化を線形グラフにすると左端からすぐの所で直線的に低下しあとは値の見えない水平の直線になってしまう。初期の数年分のデータさえも数百倍の範囲で分布しているので全く分かりにくくなる。
 左端の値は5千万~6億Bq/km2(50~600Bq/m2)に分布している。大気圏内核実験のピークが61~62年であるから、そのころはもっと多かったはずである。私の幼児期から青年期までの被ばくが、今の比ではなかったことは確実である。それが健康状態にどのように影響しているかは全く分からないが、今のところ支障なく生活できている。

 グラフからは90年代以降の放射性物質の降下量は相当減少していることが読み取れるが、左寄りに小さな山と、中央やや右寄りのところに突出がある。前者は中国の核実験で3千万Bq/km2(30Bq/m2)程度、突出はチェルノブイリの事故時の降下量であり最大で2億Bq/km2(200Bq/m2)を示している。事故当時のソ連西部や欧州ではこれより桁違いに多い放射性物質が降っている。放射性降下物の量には季節変動があり春先に増える。黄砂などによる大陸からの移流である。2011年はこのグラフにチェルノブイリの時と同様の、場所によっては数百倍の、福島の事故によるスパイク状の傷が東日本を中心に突出することになる。

13. 汚染地域の厳しい現実

 ここで気をつけてほしいのは、このグラフはあくまで日本全体の平均的な低線量被ばくが、冷戦時は今よりも桁違いに多かった、という事実を示しているに過ぎない。私は、被災地以外の人達が過剰に放射線を心配する必要はないということを言うために引用したのである。

 後述するチェルノブイリの事故の立入制限区域と同様に、今回の事故で飛散した放射性物質が大量に蓄積して帰還困難区域・居住制限区域などに指定されている、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、飯館村、葛尾村、川内村などの汚染レベルはこれよりも桁違いに大きく、体内に取り込まれると排出されにくい90Sr(ストロンチウム)による汚染の心配があることも忘れてはいけない。

 (その5)で市街地の汚染の例として郡山市の状況を紹介したように、立ち入りが制限されていない地域でも広範囲に汚染が見られる。最も面積の多い森林の汚染は、独立行政法人森林総合研究所が昨年夏に国有林で調査を実施している注2)。それによると、137Cs蓄積量で川内村が138万Bq/m2、大玉村で8~12万Bq/m2、福島原発から100km以上離れた只見町でも2万Bq/m2となっており、特に落葉層に大量に蓄積しているとのことである。
 
 日本分析センターの資料から引用した月間降下量の図と対比してみると、今回の事故で降った放射性降下物は、只見町で冷戦当時の月間降下量の5年分、大玉村で20~30年分、川内村に至っては400~500年分が堆積してしまったことが分かる。これが福島県内での空間線量率が高い原因である。

 森林の除染は主として落葉の除去などの対策が取られていくと思われるが、道路や宅地、農地の除染が優先されるので、広大な森林面積を考えると残念ながら短期間でこの汚染問題は解消できない。また、落ち葉をすべて取り除いてしまうような、栄養塩類の収奪を伴う森林の除染は軽々に行うべきではない。川内村は除染が必要であるが、森林保全を考えると只見町はもとより、大玉村もやや高いものの除染は不必要と思う。
 チェルノブイリ事故の立入制限地域(Exclusive zone)をロシア政府は137Csで55.5万Bq/m2(15μCi/m2)以上の地域、3.7万Bq/m2(1μCi/m2)以上の地域を汚染地域に指定しているが、結果的に自然放射線レベルより低い地域まで汚染地域にしてしまったと言われる。

 いずれにせよ、このような厄介な問題を引き起こす原発事故はもう二度と起こしてはならない。

14.現代文明と放射能

 学生時代に経験した、他の一般の人達とはちょっと違う放射線に関わる話をする。大学は生物化学系の学科で、卒業実験で選んだテーマは微生物の進化の研究に関係する、各種微生物によるある種の無機高分子物質の生産と代謝を調べる研究であった。半年間放射性物質を非密封状態で扱うことになったが、指導教官は「β線なので保護メガネとゴム手袋を使えば心配ない」と言う。

 今もそうだと思うが、その研究室では放射性物質は鉛製の容器に入れて氷点下30℃の冷凍室で保管していた。重さが10kgほどある鉛容器を実験室に運び、その容器から32P(放射性リン酸)の水溶液が入った試薬瓶を取り出し、その小瓶のキャップのゴムの部分に注射針を刺して、一度に0.1mCi (0.1mlくらいの量)の液を取り出しガラス製のフラスコに注入する。0.1mCiといえば370万Bqである。

注2)
http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/hozen/pdf/111227_2-01.pdf