震災直後の東電による取引所取引の停止は「暴挙」か?


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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(「WEDGE Infinity」からの転載)

 河野太郎議員は、東日本大震災後に東京電力の要請で関東地域における卸電力取引所の取引が停止したことによく言及される。以下のブログ記事がその一例である。

2014年3月13日付ブログ記事 「ボッタクリをなくせ!

我が国の電力の卸市場が小さいのは、東京電力をはじめとする電力会社の嫌がらせによるところが少なくない。
例えば、3.11直後に東京電力が、東電管内の送電網を卸電力市場で取引された電力に対してクローズしたのは記憶に新しい。
東京電力は、計画停電をやらねばならないほど供給が逼迫していると言いながら、供給余力のある企業に対して送電網へのアクセスを拒否するという暴挙にでたのだ。

 その際、上記のブログ記事にもあるように、「嫌がらせ」「暴挙」のような穏やかでない言葉を伴うことが多いのだが、実際のところ何が起こったのかを改めて検証したい。

停止したのは託送業務の一部、電力消費全体の1%程度

 まず、最初に確認しておくが、東電は送電線の第三者利用、即ち託送を一切停止したわけではない。停止したのは、卸電力取引所(JEPX)で成立した取引の託送、つまり託送業務の一部であり、量的には電力消費全体の1%程度である注1)

 JEPXの取引の主力であるスポット市場は、翌日分の電力を取引する。手元に余剰の供給力がある事業者が売り入札を出し、供給力不足、もしくは供給力は不足していないが手元の供給力よりも安い電気が売りに出ていれば差し替えたいと思っている事業者が買い入札を出し、JEPXがそれらをマッチングさせて、取引が成立する。そして取引成立の後、電力会社の系統運用部門が行う託送可否判定というプロセスがある。成立した取引を送電網に流しても運用容量を超える等の問題が起きないかどうかをチェックするのである。

 東電がJEPXにおける取引の停止を要請したのは、震災後の非常事態への対応に忙殺される中で、託送可否判定業務を実施することは困難と判断したためだ。託送可否判定は、JEPXの取引に対してだけでなく、全ての発電計画の変更に対して行われる。電力会社も新電力も、自分の需要家の需要予測を変更したり、電源にトラブルがあったりすれば、それを補うために都度発電計画を変更するが(これを通告変更注2)という)、それを行うたびに、電力会社の送配電部門は託送可否判定を行って、計画変更によって系統上問題が発生しないかどうかを確認している。

注1)
ちなみに、議員はその点は正しく理解されている。2011年6月16日付の議員のブログ「脆弱な電力取引基盤」を参照。
注2)
通告変更の手続きについて詳細は一般社団法人電力系統利用協議会のルール本文4-67
http://www.escj.or.jp/making_rule/guideline/data/rule_japan140617.pdf

「給電指令時補給電力」とは?

 東日本大震災によって東京電力は、太平洋沿い・東京湾岸の火力発電所や内陸の水力発電所等、合計2,100万kWの発電能力を喪失した。これは東京電力の「電気の生産能力」の約3分の1にあたる。そのため東電の系統運用部門は、500~1000万kWとも言われる大幅な需給ギャップに直面し、計画停電によってこれを調整するという非常時の業務に忙殺されることとなった注3)。平時であれば、取引所で取引が成立する都度、あるいは新電力が発電計画を変更する都度、託送可否判定を行う要員を常時配置していたところが、それがままならなくなったのだ注4)。そのため、東電の系統運用部門は、JEPXに対して取引の停止を要請し、JEPXは、理事長判断としてこれを承認した注5)

 加えて東電は、新電力や自家発の保有者に対して、自らの電力需要にかかわらず電源をフル稼働してもらうよう要請した。絶対的に電気が足りないことは明らかなのだから、発電出来るだけ発電して欲しい、発電した結果余った電気は全て東電が購入する、としたわけである。このようにすれば、発電計画の変更、つまり通告変更も減少する。平時に託送可否判定のために配置されている要員を他の業務に振り分けることが出来る。

 発電した余剰の電気は全て東電が買い取る、と言うと、東電が電気を買い占め新電力に嫌がらせをした、と思われるかもしれない。JEPXの取引が停止したので、JEPXからの購入電力に普段依存している新電力が困ることは当然想定された。そうした新電力には、東電が「給電指令時補給電力」というスキームを使って必要な量を供給したのである。給電指令時補給電力とは、電力会社の系統運用部門の都合による給電指令等により、新電力に不足電力が生じる場合に、これを補うものとして予め要綱注6)に定めているもので、その単価は全電源平均発電単価注7)に基づく。当時の単価は11.66円/kWhであり、JEPXのスポット価格よりも割安である。

注3)
震災直後東京電力が実施した計画停電は大きな批判を浴びた。しかし、電力は需要と供給が常に「同時同量」でなければならず、そのバランスが大きく崩れればブラックアウトに至るため、計画停電は、制約条件の中で可能な限り安定供給を確保するための需給安定化方策とされる。世界中の系統運用者のマニュアルに掲載されており、先進国にも実施事例は相当数存在する。東日本大震災の1カ月前にはアメリカのテキサス州で実施されたし、2011年夏には韓国でも実施された。それ以前のものでは、2001年に自由化に失敗したカリフォルニア州で実施されたものが有名である。
注4)
加えて、地震により電源・送電設備が大量に被災・停止したため、系統構成(発電設備・送電設備の接続状況)が通常とは大きく異なるものとなり、託送可否判定に通常より時間がかかることが想定された。
注5)
JEPXが承認にあたってよりどころとしたのは、業務規程の第5条第3項による。「第5条3項:本取引所は,必要があると認めるときは,取引業務の全部または一部を臨時に停止する,もしくは臨時に行うことができる。」
注6)
例として東京電力の給電指令時補給電力要綱は
http://www.tepco.co.jp/corporateinfo/provide/engineering/wsc/hokyuuK2409-j.pdf
注7)
ちなみに、議員は再生可能エネルギー固定価格買取制度に関する議論で、全電源平均発電単価に基いて計算するため「回避可能費用が不当に安くなっている」「ボッタクリ」と批判しているが、この給電時補給電力の単価も全電源平均で計算されている。

 以上が、議員に「嫌がらせ」や「暴挙」と映った、震災後のJEPXにおける取引停止の経緯である。あの混乱を極めた状況の中で、人に「嫌がらせ」をするような余裕が無かったことは言うまでもないことだろう。議員の「供給余力のある企業に対して送電網へのアクセスを拒否する」という記述が、折角の供給余力を活かさなかったという趣旨であれば、それは違う。実際は、東京電力は供給余力を買いあさっていた。

「この機に乗じたビジネス」の是非

 しかし、河野議員とは別の観点から、今回の東電のとった措置を批判する余地はあるだろう。市場を重視する経済学者は不満に感じるかもしれない。あるいは、発電所を保有する事業者の中には、JEPXが開場していればもっと高く余剰電力を売却できたはずであるからこれを「暴挙」と捉える向きがあるかもしれない。東日本大震災のような非常時においても市場での取引を尊重すべきというのが世間のニーズなのであれば、批判を真摯に受け止め、今後より頑強な取引システムの構築に努めるべきであろう。どのようにすれば、あるいは、どれほどの運用コストをかければそうした頑強な取引システムが構築できるのか筆者にはアイディアが無いが、ニーズがあるのであればこれを震災の教訓として取り組めば良い。

 他方、非常事態下でもJEPXを開場し続ければ、市場価格が高騰することは容易に想像ができる。実際に、震災の1カ月前の2011年2月、アメリカのテキサス州は50年ぶりの寒波に襲われ、2006年以来5年ぶりの輪番停電を実施したが、そこでは市場は取引を継続し、通常10セント/kWhに届かない程度の卸電力価格が、3ドル/kWhまで上昇した注8)。だからこそ、先に述べた発電所保有者の不満はあり得るとは思うのだが、こうした事態に乗じて儲けることが「正義」なのか、という別の議論を喚起するのではないだろうか。

 数年前に話題になったハーバード大学サンデル教授の著書『これからの「正義」の話をしよう』は、冒頭で、米国のフロリダ州で実際に起こったこととして、甚大な被害をもたらしたハリケーンで被災した住民に、モーテルが通常の数倍の宿泊料を請求するなど、一連の「この機に乗じたビジネス」が「道徳的に正しいこと」か、という問題を提起している。市場を重視する経済学者は、価格は需要と供給によって決まるもので、「道徳的に正しい価格」など存在しない、道徳と価格は関係がないと主張するだろう。

注8)
3ドル/kWhは規制で定められた卸電力価格の上限である。なお、テキサス州ではこの上限価格でも適切な電源投資を促すには低すぎるとして段階的に上限を9ドル/kWhまで引き上げている。ちなみに、日本の卸電力価格は、変動範囲外インバランス料金が事実上の上限となっており、その水準は50円/kWh程度である。

 実際著書の中にも、そのような経済学者の主張が出てくる。「人々がたまたま慣れていたレベルの価格が、道徳的に不可侵などと言うことはない」といった主張である。しかし、著書によると、フロリダ州の司法当局には2000件以上の「この機に乗じたビジネス」に対する苦情が寄せられたそうである。フロリダ州には便乗値上げを禁止する州法があったため、中には裁判沙汰になり、罰金と賠償金の支払いを命じられたモーテルもあったとされている。

 長く電力供給の現場に身を置いた経験から考えると、どうしても電力という究極の生活財、生産財を市場原理のみに任せることが「正義」とは思えない。しかし「正義」ほど人によって考えるところが異なるものもない。だからこそ広く議論を喚起し、社会がどこまでの負担を受容しどこまでのメリットを求めるのか、着地点を探す必要があるのだろう。

 今後の電力システム改革による消費者メリットを最大化するために、冷静で現実的な議論が望まれる。「利権」「ボッタクリ」「言い訳」「暴挙」といった不必要に強い言葉を用い、勧善懲悪の単純化した議論にしてしまうことは、エネルギー政策に関する建設的な議論をかえって阻害してしまわないだろうか。生意気であることは重々承知ではあるが、現場で何が起きたかをお伝えしたい一念であるので、耳を傾けていただければ幸いである。

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