私的京都議定書始末記(その36)

-天津、豪・NZ、ワシントンそしてカンクンへ-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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天津AWG

 2010年に4回開催されたAWGのうち、ボン以外で開催されたのが10月の天津である。カンクンのCOP16に向けた最後のAWGであり、中国の主催という点でも色々な意味で注目を集めたAWGであった。
 
 北京には何度も出張で行った事があるが、天津は初めてである。天津はエコタウンにされており、環境汚染が深刻化している中国のモデル都市とされていた。10月3日に天津入りし、ホテルの窓から街を見下ろすと青空が広がっている。「さすがにエコタウンだけあるな」と感心したが、それは大きな誤りであった。会期中の前半は国慶節にあたり、市内の交通量も少なく、周辺の工場も操業を低下・停止させていたのかもしれない。10月4日の週の半ば頃、朝、カーテンを開けると青空は全く見えず、霧のようなものが立ちこめて遠くの建物が霞んで見える。国慶節が終わり、市内の交通量が通常に戻ったからだろう。環境省の南川次官は「昔の四日市にそっくりだ」と言っていた。AWGが終了し、北京の空港にバスで向かった際も大気汚染の状況がひどく、バスの回りは白く霞んでいてバスの中にも排気ガスっぽい臭いが入ってきた。日本代表団メンバーの中にはバスの中でマスクをかけている人もいた。

 

巨大な天津の国際会議場

 会場は巨大な天津国際会議場だった。その中をあちらこちらと移動しながら交渉、会議に参加していたのだが、アンブレラ会合等、交渉グループごとのクローズドミーティングの会場でしばしば壁の電気スイッチ等の工事をしているワーカーに出くわした。冗談半分に「あれはスパイかな」などと笑いあっていたが、そのうち「ある会議会場で飾ってある花瓶を誰かが誤って落としてしまった。すると割れた花瓶の中からマイクが出てきた」という噂が流れた。

 スパイ、盗聴云々の真偽のほどは全くわからないが、ホテルの作業室で仕事をしているとインターネットがぶつぶつ切れる、経産省スタッフが自分のソーシャルメディアを開こうとすると開けない、当時ノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏のニュースが流れると画面が真っ黒になるといったことは自分自身の目で見たことである。天津AWGでの議論自体は前からの繰り返しであり、ここに改めて記すまでもないが、上に述べたようなこともあり、忘れ難いAWGの一つである。

豪州・ニュージーランドへ

 11月初めには豪州・ニュージーランドにとんぼ返り出張をした。アンブレラ諸国の中で、カナダ、ロシアは日本と同じく第二約束期間には参加しないというポジションを明確にしていた。他方、ノルウェーは予想通りEUと同じ立場をとっていた(ノルウェーが何故アンブレラグループにいるのかとしばしば思う)。その中で豪州、ニュージーランドの立場は明確ではなく、事前の頭のすり合わせをしたかったのである。豪州のロバート・オーウェンジョーンズ局長、ニュージーランドのジョー・ティンダール大使と話をしたが、いずれもAWG-LCAでの交渉がどう決着するかわからないのに、京都第二約束期間を先に固めることはできないという立場であった。EUと日本・カナダ・ロシアの中間といったところだろう。

ワシントンで車中の対処方針会議

 2010年11月、ワシントンでMEFが開催された。COP16はその翌週の週末からである。例によって杉山地球規模課題審議官、森谷環境省審議官らと共に出席していたが、会場の国務省に向かう車の中で、杉山審議官から「COP16に向けた対処方針はしっかりしたものを作る必要がある。この3人で方向性をすり合わせよう」という提案があった。国際交渉に参加する場合、多くの論点があり、それらの背景説明と、交渉団としての対応振りを記したのが「対処方針」である。COPのような大きな会議になると結構分厚いものになるのだが、個々の細かい論点ではなく、京都議定書第2約束期間への対応を含む大きな方針のすり合わせである。

 京都第二約束期間の設定がCOP16の大きな論点になることは確実な状況だった。幸いなことにこの点について3人の認識はぴったり一致していた。「京都議定書第二約束期間の設定は全ての国が参加する公平で実効ある枠組みの構築にはつながらない。日本はいかなる状況の下でも京都第2約束期間には参加しない」ということである。「いかなる状況の下でも」というのは対処方針としては極めて強い表現である。EUが第二約束期間設定容認に舵を切った今、EUと途上国が一緒になって様々な曲球を投げてくる可能性もある。たとえば「25%目標をもっと下げてもいいから、とにかく第二約束期間に入れ」等である。色々なシナリオが考えられる中で、「いかなる状況の下でも」は、決してぶれないという決意の表れでもあった。この点を含め、いくつかの大きな点について三者ですり合わせを行い、その大方針を踏まえて対処方針が作成されたので、関係省庁間の調整もスムーズにいった。

首相官邸での対処方針説明

 COP16に先立ち、菅首相への対処方針説明も行われた。COP16では日本への風圧が高まる可能性が高い。メキシコのカルデロン大統領やバンキムン国連事務総長から総理あてに電話がかかってくることも否定できない。かつて日本が京都議定書批准に大きく踏み出したCOP6再開会合においても同様のことがあった。そうした事態に備えて首相にまで方針をあげておく必要があった。総理執務室には外務省、環境省、経産省、国家戦略室の幹部クラスが入り、経産省からは松永次官と私が陪席した。杉山地球規模課題審議官が対処方針の概略を説明した。温暖化交渉に関する菅首相の持論は、「90年基準とか2005年基準によって同じ排出量であっても、物差しの違いによって削減率が違って見えるというのはおかしい。もっと一人当たりの排出量を均等にしていくといった客観的な指標が必要ではないか」というものであった。ちなみに「一人当たり排出量均等化」というのは倫理的には理解しやすい議論なのだが、各国の国情や発展段階の違いを考えれば、現実には極めて難しい。厳密には相互に違いがあるとはいえ、一人当たりエネルギー消費均等化、一人当たりGDP均等化に相通ずる議論でもあるからだ。「インドの一人当たり排出量と先進国の一人当たり排出量が等しくなるまではインドが緩和努力を強いられることは受け入れられない」といった主張に塩を送る側面もある。先進国の一人当たり排出量を減らしていき、生活レベル向上に伴い途上国の一人当たり排出量が増加していけば、両者の格差は縮小していく、そういった長期的な方向性の議論だと思われた。したがって京都第二約束期間への参加の是非とか、コペンハーゲン合意のCOP決定化といった対処方針の議論は、菅首相の持論と必ずしもかみ合っているわけではなかったが、対処方針自体については了承された。

 総理説明から戻るともう夕刻であった。翌日の11月27日(土)にはカンクンに向けて出発である。私は対処方針の総論部分をベースに英文の発言要領を作り始めた。29日(月)にはAWG-LCAとAWG-KPのプレナリーが開催される。AWG-KPでいつ、どのような形で日本の立場を表明するかは決まっていなかったが、いつでも発動できるように準備だけはしておきたかった。オフィスのパソコンの前に座り、心を静めてから「Thank you, Mr Chairman, …」とパソコンのキーをたたき始めた。

カンクン到着

 11月27日、北米経由でカンクンに到着した。COP16の会場となるムーン・パレスは広大なリゾートホテルだ。太陽が燦々と輝き、空も海も青い。

広大なムーンパレス

 ホテルにチェックインすると腕輪のようなものを渡される。リゾートホテルによくあるやり方で、腕輪をスキャンしてもらえば広大なホテルのどこでも食事ができるという仕組みである。敷地内を自分の宿舎棟に向かって歩くと左側にプライベートビーチ、右側にはプールやプールサイド・レストランが並んでいる。部屋に入ると通常のバスルームに加えて部屋のど真ん中にジャグジーバスがある。全ての部屋が海に向かっており、バルコニーにはデッキチェアがあった。最終日まではそんな余裕はないだろうと思いながら、到着した日はジャグジーバスに入った。バリのCOP13の時も感じたことだが、「気候変動交渉で来るのでなければ、どんなに楽しいところだろう」と思った。

 日本政府代表団室と私の泊まる宿泊棟はメインビルディングや会議場を挟んで反対側にあり、結構な距離を歩く。交渉団の中には自転車をホテルから借りて会場内を移動している人もいたが、私は朝晩、会議場や代表団室からの行き帰りを歩くことを好んだ。テレビドラマの「SP」がはやっている頃であり、歩きながら、SPのテーマミュージックを聴くことを常とした。

 COP16で日本に対するプレッシャーが非常に強まることはわかっていた。そんなことでもして自分を奮い立たせていたのである。

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