EUの2030年40%削減目標は野心的か?(第3回)

「国家」ではないEUの掲げる目標は同等か?


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)

印刷用ページ

ウクライナはEUに入るか?

 最後に、EUが2030年目標達成のために取りうるいまひとつのウルトラCについて紹介しよう。記述のようにEUは、京都議定書の第一約束期間をコミットした当時の15カ国から、東欧諸国が新規加入してEU27になったのだが、その際に東欧諸国で90年代の社会改革に伴って積上げたGHG排出削減量約4億トンを、EUの90年比削減量として取り込んでいる。さらに2013年7月にクロアチアが加わって現状28カ国からなる連合体に拡大しているが、注目すべきはウクライナの動向である。歴史的にロシア経済圏に組み込まれ、エネルギーや主要産業がロシアの影響下にあるウクライナが、近年急速にロシア離れを図り、EUに接近していることは様々な場面で報道されているとおりである。もしこのウクライナが、2030年までにEUに新規加盟することになったら、何が起きるか?国連報告によると、ウクライナの90年度のGHG排出量は9.3億トン。これが2011年実績では4.0億トンまで減っており、90年比で実に5億トンの削減量を現状で持っている(削減率で言えば56.7%)。このウクライナがEUに加盟すれば、この5億トンの過去の削減量が自動的にEUにもたらされることになるのである。前述のとおり、EUの目標達成のために2011年から2030年までに必要となる削減量12億トンのうち、実に4割がウクライナの加盟で自動的に転がり込んでくる計算になる。もちろんEU加盟後のウクライナで、かつての東欧諸国のような社会・経済改革が進んで、エネルギー効率が大幅に改善されれば、さらに削減量の上積みが期待できる。これは現在のEU27の削減努力とは無関係にEUが手に入れることになる削減量であり、EUが掲げる2030年目標には、こうした「隠し玉」も控えていることを認識しておくべきである。
 以上、本稿で考察してきたことをまとめれば、EUは現在20億トンの余剰排出枠を持っており、これは2008年以降の経済危機で政府の想定以上に排出削減が進んだことによって積みあがった仮想的な削減量である。(経済危機がなければもっと排出していたであろう排出量よりも、結果的に少なくなった量の累積であり、「削減努力」を行った結果としての削減量ではない。)EUは90年を基準年としている限り、2030年目標達成のために、こうした過去の「結果としての削減量」を充当することができるのだが、2011年実績と2030年目標の差が12億トンであることを考えると、目標達成に必要な削減量の1.7倍もの規模の余剰排出枠を「結果としての削減量」として既に持っているわけである。この削減量は、過去に達成してしまった削減量であるから、「今」を起点としてみた時に「今後」の地球全体のGHG排出量を減らすものではないことを認識すべきであろう。これはあくまでEU内部の制度として、ETSの下で想定した排出枠上限を、経済危機のため下回って排出したことによる超過削減量を「排出権」として将来に持ち越せるという、人為的なルールに基づいて持ち越されているだけの、仮想的な削減量であり、今後の地球温暖化に対する追加的な抑制効果はないのである。また、仮にウクライナがEUに加盟すれば、さらに5億トンの(過去の)削減量がEUの削減実績として上乗せされる。これもEU加盟国の削減努力とは無関係に、外から持ち込まれる削減量なのである。
 こうした冷静な分析を通してみたとき、国連の気候変動交渉において、「国別に将来のGHG排出量を基準年(90年)からの削減率でコミットする」という、京都議定書型の目標設定が、いかにEUにとって数字を大きく見せる上で都合がよいものであるかが見えてくる。そもそもEUは日本や米国のように領土と国民が固定・確立した「主権国家」ではなく、人為的に作られたヴァーチャルな「国家の連合」であり、しかもその構成は変化を続けている。また京都議定書の基準年の90年という年は、旧共産圏の瓦解という欧州の構造改革が起きた年であり、それがまたEUにとってGHG排出基準年として大変好都合な年になっているのである。
 しかし冷静に考えれば、その後20年あまりが経った世界では、大きな構造変が起きており、中国が世界一のGHG排出国になるなど、新興国の台頭が著しい。地球温暖化問題は「今」起きている問題であり、「今後にむけて」地球規模で対策をとっていくべき課題である以上、その対策や目標については、「今」を起点として「今後」何をしていくかについての世界的な枠組みとして議論すべきである。2020年以降に世界が取り組む対策について、新興国の経済規模が遥かに小さかった30年も前の90年を基準にして、国別の削減量の多寡を論ずることは無意味であり、また「国」の概念が固定していないヴァーチャル国家EUの目標と、他の主権国家の目標を同等に扱うことも適切ではない。団体戦を戦うプレーヤーと個人戦を戦うプレーヤーが、同じ土俵の上で同じルールでゲームを戦い続けることはできないだろう。結局、「基準年比の国別削減目標」を掲げるという、EUがこだわり国連交渉の既成概念となっている方式にこだわる限り、2015年に全ての国を包含する国際的な合意が得られるチャンスは遠のくことになろう。基本的にゲーム理論で言うところの「囚人のジレンマ」の構造にある気候変動交渉において、本稿で論じたように様々な「隠し玉」を持った国別削減目標を掲げて交渉に臨み、他国の譲歩を迫るEUのアプローチは、ともすると交渉参加者全体の協力や協調関係を崩し、ひいては世界的な温暖化対策の遅れを引き起こすことに繋がりかねない。

蛇足の暴論:日本の目標設定への一案

 EUの余剰排出権(EUA)は、国連では「合法的」な削減量としてカウントされており、通貨的な価値も認められている。原発事故によってエネルギー政策が見通せず、2030年はおろか2020年の目標すら迷走を余儀なくされている現在の日本にとって、このEUの余剰排出権20億トンが5ユーロで取引されているということは大いなるチャンスかもしれない。
 暴論であることは承知の上での提案ではあるが、日本政府はEUに対して以下のアプローチをしてはどうだろうか?「EUが現状20億トンの余剰排出権の扱いに困っていることは理解できる。一方日本は、原発停止により削減目標設定の目処がたたず困っている。そこで、EUの余剰排出枠のうち、たとえば5億トン(日本の90年GHG排出量12.6億トンの40%に相当)を日本に売ってもらえないか。取引に必要なら、日本が試行中の国内排出権取引制度とEU-TESをリンクしても良い。ただし、それによってEUの排出権を日本国内で日本の削減量として償却に使えるようにさせていただく。」 これは余剰排出権を何とかして減らしたいと考えているEUによっては、願ったりかなったりのオファーではないだろうか?
 日本にとって5億トンのEU排出枠の調達コストは、現状価格5ユーロ/t-CO2で、約25億ユーロ(約3500億円)である。昨年から導入された地球温暖化対策税の最終段階(平成28年度以降)の税収予想は約2600億円であるから、ほぼ1年半分の温対税財源だけで、この購入費用をまかなえる計算になる。もちろん一気に買えば値段が跳ね上がってしまう懸念もあるので、EUが新設するMarket Stability Reserve制度にあわせて、2021年以降10年間毎年5000万トンずつ購入するのでもよい。この間、毎年地球温暖化対策税の14%を購入費用に向ければよいわけである。そして2030年までの10間に積みあがった5億トンのEU排出権を、30年度に一気に日本国内で償却すれば、日本は21年以降に追加的なコスト(税)負担なしで(もちろん追加的な排出削減もないが・・)「2030年に90年比40%の削減」が達成できることになる!もちろんこれは暴論であり、実際に実施できる方策ではないだろうが、EUが築き上げてきた制度がどういう性格のものであるか、よく理解いただけることと思う。地球全体のGHG排出量を「今から」抑制、削減していくために、本当は何が必要なのか、どういう政策や国際枠組みが有効となるのか、あらためて熟考すべきである。

注記:
本稿は2月上旬に執筆したものであり、その後ウクライナ情勢が大きく変化しており、本稿で想定しているようにウクライナがEUに参画する方向に動いていくかどうかについては予断を許さない情勢となっている。本稿はあくまで、ウクライナの参画を仮定すれば90年比で莫大なホットエアーがEUに持ち込まれる、という試算を紹介したものとご理解いただきたい。

記事全文(PDF)