私的京都議定書始末記(その20)

-本格交渉開始の前哨戦-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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米国新政権へのアプローチ

 2009年の年が明けた。その年から、新年には靖国神社にお参りに行くようになった。国際交渉は「武器を使わない戦争」のようなものであり、国のために戦うという点では、戦場にあるか否かを問わないと思っていたからである。2009年に交渉を妥結するというのがバリ行動計画で与えられたミッションであり、2009年を通して熾烈な外交戦が予想された。靖国神社で合掌しながら、悔いの無い戦いができるようお祈りをした。

 2009年を迎えて最初の課題は米国新政権とのコンタクトの確立であった。2008年11月の大統領選でバラク・オバマ氏が勝利し、2009年1月には8年ぶりの民主党政権が誕生した。オバマ新政権がブッシュ前政権に比して、排出量取引を含め温暖化対策に前向きであるという点は衆目の一致するところであったが、国際交渉においてどのような立ち位置を示すのかは未知数であった。各国が米国新政権の動向を、固唾を呑んで見守っていたといっても過言ではない。そうした中で1月末にクリントン国務長官が気候変動担当特使に任命したのはトッド・スターン氏であった。クリントン政権時代にはホワイトハウスで温暖化問題を担当し、京都議定書交渉にも参加したというベテランである。スターン特使は2月中旬に来日し、齋藤環境大臣を含む政府関係者と顔合わせをした。経産省も望月次官との朝食会を設けた。私はその両者に同席したが、スターン特使は着任早々ということもあり、まずはこちらの話をじっくり聞きつつ、慎重に言葉を選んで話をしていた。先方は覚えていなかっただろうが、私はブッシュ政権時代に、当時、弁護士事務所にいたスターン氏と会ったことがある。その際、彼は気候変動問題を解決するためには、E-8ともいうべき、主要先進国、途上国の協議フォーラムが必要であると語っていた。前回も今回も冷静で思慮深い話し方に強い印象を受けたものだが、その中でも明確だったのが「次期枠組みでは中国を含む全ての主要途上国の参加が必要」という考え方である。米国の京都議定書離脱の原因となったバード・ヘーゲル決議は依然、生きている。政権交代があったからといっても、国内政策はともかく、国際交渉においてはドラスチックなポジション変化はないというのが印象であった。

 私にとって有り難かったのは副特使としてジョナサン・パーシング氏が任命されたことだった。ジョナサン・パーシング氏と初めて会ったのはOECD代表部勤務時代、OECDの附属書Ⅰ国専門家会合の場であった。当時、国務省の気候変動担当の課長クラスであったが、言いよどむことなく、立て板に水を流すような早口で、しかし理路整然とした話し方は驚くべきものであった。そのまま発言を紙に落としてもスピーチ原稿として使えそうであった。他方、その早口はノンネイティブのノートテーカー泣かせでもあった。5年後、私が国別審査課長としてIEA事務局に勤務した際、彼は同じ局のエネルギー環境課長であった。その時、パーシング夫人に「彼は早口だね。ついていくのが大変だよ」といったところ、「そうでしょ。彼は若い頃、地元のラジオ局でDJをやっていたのよ」と言われ、思わず膝をうったものである。彼はIEAから米国に戻り、WRIにいたところ、今回の抜擢になったわけである。彼が副特使になる直前、WRIに彼を訪ねて、いろいろ話をしたが、久しぶりの政権参加にやる気満々の様子であった。

スターン特使(右)とパーシング副特使(左)

 米国政府の顔ぶれがそろい、オバマ政権誕生後、第1回の日米の実務者協議が行われたのは2月末である。杉山外務省地球規模課題審議官、森谷環境省官房審議官と共にワシントンを訪問し、スターン特使と彼のチームとの意見交換を行った。その際、日本側が強調した点は、「米国、中国を含む全ての主要排出国が参加する公平で実効ある枠組みを作ることが何よりも重要。そのために米国と密に連絡をとってやっていきたい」ということであった。京都議定書の際は、米国が離脱してしまい、現在に至るレジームの歪みをもたらすことになった。今回は「米国に逃げられてはならない」のである。更に「京都議定書のように米国以外の先進国だけが義務を負う枠組みは、全ての主要排出国が参加する公平で実効ある枠組みとは言えず、その単純延長は日本として受け入れられない」という点もレジスターした。スターン特使は米国の交渉ポジションはこれから固めていくとしつつも、個人的考えとして「一部の先進国だけが拘束される枠組みは奇妙である」と述べていた。

 またスターン特使から、全ての主要排出国が参加するフォーラムを近々立ち上げるという話もあった。ブッシュ政権下で生まれたMEM(主要経済国会合)と類似した考えであり、それが現在まで続いているMEF(主要経済国フォーラム)である。160カ国以上が参加する国連フォーマットでは意味のある議論ができない、主要プレーヤーで実質的な議論が必要という考え方は、政権交代があっても変わりなかった。4月末にワシントンで開催された第1回MEF会合にはクリントン国務長官、チューエネルギー長官等が出席し、杉山審議官等、各国の首席代表はオバマ大統領とも個別に会う機会が設けられる等、米国が本件に力を入れていることがうかがわれた。

第1回主要経済国フォーラムで挨拶するクリントン国務長官

 私は在任中、杉山審議官、森谷審議官と共にMEFに9回出席することになった。MEFに限らず、ドイツ主導のペータースブルク対話とか、COP16に向けてメキシコが主導した非公式対話、中国の解振華副主任との会談等、表舞台である国連交渉以外の少数国会合、非公式会合は原則としてこの杉山・森谷・有馬の3人+1名程度で対応した。以前の投稿で「気候三銃士」と書いたが、常に同じメンバーで対応することで、お互いの気心も知れ、他国のカウンターパートにとっても継続性を確保するものであり、このチームはよく機能したと思う。

日伯対話

 2009年の交渉カレンダーの幕開けは、日本とブラジルが共同議長を務め、2月初めに日本で開催した「気候変動に関する更なる行動のための非公式会合」(通称:日伯対話)であった。これは2004年から続いているフォーラムであり、気候変動の主要プレーヤーとなる国24-5ヶ国にUNFCCC事務局、両AWG議長が参加し、フランクな雰囲気で意見交換を行う。通常、年末のCOPが終了すると、翌年春まで国連交渉は行われない。その意味で、例年2-3月に開催される日伯対話は、前年末のCOPの結果を踏まえ、主要国がその年の交渉にどう臨もうと考えているかを探る絶好の機会であった。特に2009年はCOP15での交渉妥結を目指す大事な年であり、各国の出方が注目された。

 大事なのは会議の場だけではない。むしろ会議の合間、後に行われる各国代表との昼食、夕食の場で本音がちらほらと見えるケースが多い。その意味で今でもよく覚えているのが中国のスーウェイ国家発展改革委員会局長との夕食会である。防衛省に異動した大江博審議官に代わって着任した宮川真喜男審議官主催の夕食会であったが、その際、将来枠組みについての議論になった。日本の考えは、「京都議定書には歴史的役割はあるものの、義務を負う国のカバレッジは今や全排出量の4分の1程度しかなく、今後の温暖化問題に取り組むツールにはなり得ない。LCAにおいて、全ての主要国が参加する新たな枠組みを作ることが不可欠。京都議定書の優れた要素は新たな枠組みの中に活かしてゆけばよい」というものであった。これに対し、G77+中国の論客であるスーウェイ局長は薄笑いをうかべながら、「LCAで交渉中の枠組みがどのようなものになろうと、京都議定書はずっと残る。京都議定書締約国は第二約束期間を設定することを義務付けられており、そこから逃れることはできない。日本が京都議定書第2約束期間に参加しないと、国際的な非難を浴びて大きなコストを払うことになるだろう」と述べた。「それではLCAの成果として何を想定しているのか」と聞くと「LCAでは京都議定書に参加しない米国に義務を負わせることと、先進国の枠組み条約上の義務である資金援助、技術移転をきちんと履行させることが重要。もちろん途上国も行動するが、それはあくまで自主的なものであり、先進国からの資金、技術援助が前提」という。

 要するに「何があろうと京都第二約束期間を設定させ、現在の枠組みを維持する」ということである。バリ行動計画ができた時から予想されたことではあったが、交渉成果について彼我の認識が大きく乖離していることが改めて明らかになった。それはそのまま、COP15での合意がいかに難しいかを予見させることでもあった。

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