乾いた雑巾はまだ絞れるか?

-日本の事務所ビルにおける冷暖房需要に対する地球温暖化の影響評価-


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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University College London (UCL), Built Environment,
Master of Science in Environmental Design and Engineering, Dissertation (修士論文),
“Assessment of the impact of climate change on current and future requirements for heating and cooling of office buildings in Japan“

 気候変動交渉の場で頻繁に議論される「2℃目標」。産業革命前と比較して、全球平均の年平均気温の上昇を2℃以内に抑えるべきとする目標であり、この目標を達成することを前提とすると、2050年の世界全体のCO2排出量は2000年比50〜85%削減、そのためには先進国(京都議定書で削減義務を負う、いわゆる「附属書Ⅰ国」)は80%の削減を、排出量が急増する新興国・途上国も3割の削減をしなければ、全体で半減することは不可能であると言われている。そもそも、この2℃が目標値となった経緯にも議論はあるのであるが(1996年にEU閣僚理事会がこれを採用して以降定着した。IPCCがこれを推奨したと思っている方も多いが、IPCCは大気中のCO2濃度等に応じて様々な予測を集めたに過ぎない)、この2℃目標を受けて2008年、日本は国際社会において、2050年までにCO2排出量を1990年比60-80%削減すると宣言している。しかしながら、福島第一原子力発電所事故によって、日本のエネルギー政策は大きな転換点を迎えた。CO2排出量を削減する最も有力な手段と考えられていた原子力発電所のほとんどが停止しCO2排出量は増加に転じ、7月19日に開催された、2020年までの新たな温室効果ガス削減目標を検討している経済産業省と環境省の合同審議会は、数値目標を出すことを諦め、省エネなどの具体的な行動計画を国際社会に示すことを提案する意見が多く出されたという。(http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/130720/cpd1307200501001-n1.htm
 オイルショック以降省エネを進めてきた日本はしばしば「乾いた雑巾」と表現され、どれほどの削減余地が実際にあるのか、はっきりとわからない点が多い。そうした中、非常に有益な示唆を含む論文と出会ったので紹介したい。ロンドン大学に在学する日本人研究者(渋谷俊彦氏)と鹿児島大学曽我准教授とのコラボレーションによる研究である。

 本研究は、近年、エネルギー消費が急増している日本の事務所ビルを取り上げ、気候変動に関する政府間パネル (IPCC)による予測シナリオに基づき、将来の気温上昇によって日本の事務所ビルのエネルギー消費及びCO2排出量がどの程度変化するかを予測したものである。エネルギー使用量削減に関連する緒政策や法政令・規則を概観した後、代表的な事務所ビルモデルを用いて、冷暖房需要の変動をコンピュータシミュレーションしている。分析にあたっては、鹿児島大学の曽我和弘准教授が作成した最新の気象データを使用し、基準年(1981-2000年)、50年後(2031-2050年)及び100年後(2081-2100年)の三つの年代ごとに、また、気象条件の異なる札幌、東京、那覇の三都市ごとにそれぞれ分析を試みている。

 コンピュータシミュレーションでは、広く知られた省エネ施策・技術が、実際にどの程度冷暖房需要の減少に資するかを計算している。具体的には、照明・機器の高効率化(内部発熱の減少)、空調設定温湿度の変更(例:夏期28℃、冬期20℃)、躯体の高断熱化(例:Low-E 複層ガラス、壁面・屋根等への断熱材増加)、庇の設置及び躯体蓄熱を活用した夜間外気冷房について、それぞれの省エネ効果を測定している。結果として、上述の施策・技術を適切に組み合わせることで、50年後及び100年後に、三都市全てにおいて、目標である70%の電力消費量が削減できるという結果が示されている。ただし、その削減量については年代、都市間で明確な差があることも定量的に述べられている。例えば、東京では、基準年で59%の冷暖房需要の削減が可能であるにもかかわらず、温暖化に伴い冷房需要が急増することから、50年後には54%、100年後には45%しか削減できないことが明らかになった。すなわち、同地域では、現時点で十分な削減量が見込めたとしても、将来的に同水準の削減を達成するためには、今後、一層の取り組みを検討する必要があるということである。

 日本は「乾いた雑巾」に例えられるように、これまで十分に省エネに取り組んできており、エネルギー消費削減余地は乏しいとよく言われる。しかしながら、現在でも1981年以前に建設された事務所ビルが相当数存在し、それらの多くが十分な省エネ対策を施していない可能性を考慮すれば、大きなエネルギー消費の削減余地があることを示してくれている。もちろんコスト負担に関する分析も行われている。必要とされる施策・技術購入に要するコストは、それらを導入しなかった場合に要するエネルギーコスト(電力料金)を下回るだけでなく、最も経済的な発電方式とされる原子力発電による電力量単価よりも下回ることが示されている。すなわち、現時点で一般的とされる省エネ施策・技術は、それだけで事務所ビルにおけるエネルギー消費量削減目標を達成するほどのインパクトがあるだけでなく、経済的にも十分な競争力を有するとの結果が示されたのである。

 しかし残念ながら、エネルギー消費量の削減イコールCO2排出量の削減ではない。本研究では、仮にCO2排出原単位が現行よりはるかに小さい1990年の水準(0.376CO2kg/kWh。東京電力管内の原単位)を維持したとしても、CO2排出量を70%削減することは困難であるとの結果が示された。今後原子力発電への依存度が引き下げられ、CO2排出原単位(1キロワット時の電気を発電したときのCO2排出量)が悪化(増加)する可能性もある。というより、可能性が高い。今後の電源構成をどう定めていくのか、エネルギー政策の議論が年末に向けて本格化していく。
 気候変動が実際のエネルギー消費量にどの程度影響するのか、すなわち、気候変動によりエネルギー消費量が増加し、現時点での想定を上回るCO2削減量が必要とされる可能性があるなか、実際にどの程度の削減が可能か、そしてその削減可能量は国家目標に対してどの程度の割合なのかを定量的に示した本研究は非常に貴重であり、示唆深い。最新のコンピュータシミュレーションを通じて、一連の省エネ施策・技術によるエネルギー消費量の潜在的な削減余地の大きさ及び経済優位性を定量的に示し、今後、これまで以上に需要側と供給側の双方でCO2削減に向けた取り組みを行っていく重要性を明確に訴えているという点で、一読に値する内容であると考える。

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