第6話(3の3)「ポスト『リオ・京都体制』を目指して(1)」


在ウィーン国際機関日本政府代表部 公使

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 一方、世界全体での議論は、様相が全く異なる。
 日本と対照的な事例として、バングラデシュを例にあげる。同国は本年6月に筆者が二国間オフセット・クレジット制度の協議のため訪れた国である。
 同国の人口は2010年現在で約1億5000~6000万人。人口増加は年率1.6%で、2050年には約2億人になると見込まれている。一人あたりGNIは約700ドルで日本(約42000ドル)の約60分の1、一人あたりCO2排出量は約0.3トンで、日本(約10トン)の約30分の1である。電力供給能力は需要の6割程度で極めて逼迫しており、地方で電気が通じるのは一日数時間程度といわれている。電力の多くは国内産天然ガスによるガス火力であり、日本などの支援により高効率のコンバインドサイクルのガス火力発電所も建設されているが、エネルギー源多様化の観点から、石炭火力、ひいては原子力発電の可能性も探求されている。
 バングラデシュのような国のエネルギー・ミックスはどのように考えれば良いのであろうか。過去のトレンドをみる限り、人口増は推計通りとみておいた方が良いだろう。また、経済成長では、バングラデシュ人が日本人や米国人、欧州人と同程度の生活水準を享受することを否定する理由はない。一人あたりGDPが今の数十倍になり得るということである。エネルギー需要は当然増える。バングラデシュ人も日本人同様、電気も一日24時間通じることを期待するであろう。省エネや再生可能エネルギーの普及は出来るだけ進めるべきだが、日本と同程度までは難しいだろう。天然ガス利用が今以上に増え、石炭火力も活用されるのがあり得るシナリオである。
 これを茅恒等式上で考えると、(b)人口が増え、(c)一人あたりGDPも増える。(d)GDP単位あたりのエネルギー利用や(e)エネルギー単位あたりのCO2排出は、今後の省エネ、再生可能エネルギー、化石燃料利用の更なる効率化にも左右されるとしても、かなり不透明である。恒等式の右側に劇的なCO2削減要因は見あたらないように思える。
 日本とバングラデシュの事情を比較してみると以下のようになる。各要素の方向性を++(大いに増加)、+(増加)、+-(横ばい)、-(減少)、--(大いに減少)で表現している。

    CO = 人口 ×GDP/人口 ×エネルギー/GDP ×CO/エネルギー
日本 (--?)(-)  (+-)    (--?)   (--?)
バングラデシュ(?)(++) (++)    (-?)    (-?)

 バングラデシュは世界で特殊な国ではない。日本の方が世界の中では特殊である。2010年時点の人口大国トップ10は、中国、インド、米国、インドネシア、ブラジル、パキスタン、バングラデシュ、ナイジェリア、ロシア、日本であり、日米露以外は途上国である。これが2050年の予想では、日本、ロシアと入れ替わりにフィリピン、コンゴ民主共和国が入ると言われ、先進国は米国のみになる。いずれの国々も、経済成長やエネルギー・ミックスを巡る問題は、日本よりはバングラデシュの事情に近い。
 2050年までの気温上昇を2度以下に抑えるためには、世界全体のCO2排出を現在の半分にするべきであると言われる。一方、世界人口は2050年までに現在の約70億人から約90億人以上になると見込まれている。その内訳は、アジアで約10億人、アフリカで約10億人増える見込みである。途上国の人々は、先進国の人々と同様、食料、水、薬といった基礎生活物資のみならず、家電製品、車など生活を快適にする様々な財・サービスを欲する。先進国で享受されているような生活を途上国の人々が送ることを、先進国の人々が否定することは出来ないであろう
 世界全体における温暖化対策の各要素の方向性を茅恒等式上で表現すると以下のようになる。

CO = 人口 ×GDP/人口 ×エネルギー/GDP ×CO/エネルギー
(--)  (++) (++)     (--?)    (--?)

 「世界全体でのCO2排出半減」を「世界人口増」及び「一人一人が豊かになる世界」とを如何に両立させられるか。前述の日本やバングラデシュに加えて、中国、米国、インド、インドネシア・・と国毎の恒等式を足し上げていった先に、この世界全体の恒等式を成立させることはできるのか。これが根本的な問題である。
 省エネ、クリーンエネルギーを目指すという方向性自体は世界全体と日本国内とで異なるものではない。しかし、「人口減少・低成長」社会の日本と、「人口20億増・高成長」の世界全体ではマグニチュードが全く異なる。電力アクセスが所与のサービスか、これから確保すべき基礎サービスかで出発点が異なる。ポスト3/11の日本の課題は「節電」だが、バングラデシュの例にあるように、世界の途上国の課題は「無電化地域の解消」である。また、日本国内では脱原発依存を巡って様々な議論が交わされているが、当面の火力依存増止むなしという点では概ねコンセンサスがある。「人口減少・低成長」社会の日本で火力依存増が不可避なら、「人口20億増・高成長」の世界全体ではどうすれば良いのか。中国、インドは増大するエネルギー需要を満たすため原発を推進すべきなのか。それとも、脱原発に舵を切って、今以上に化石燃料の利用拡大を容認すべきなのか。それは、世界のエネルギー価格、環境、経済に如何なる影響を与えるのか。
 エネルギー・ミックスは、日本だけではない、世界全体が直面する課題である。特に、アジア、アフリカなど今後の人口増を抱え、持続可能な経済成長を至上命題とする国々にとっては切実である。この認識なくして、如何なる国際枠組みの構想も十分な説得力を持ち得ない。