塩崎保美・日本化学工業協会技術委員会委員長に聞く[前編]

温暖化問題とエネルギー問題は表裏一体。政府には現実的な解を求めたい


国際環境経済研究所理事、東京大学客員准教授

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化学産業は自動車、電機・電子、医薬品、化粧品など他産業に原料や素材を提供し、まさに私たちの暮らしと産業を支えている。震災直後の影響や対応、また、今後の温暖化対策への取り組み、エネルギー政策について、日本化学工業協会の技術委員会委員長を務める住友化学の塩崎保美常務執行役員に聞いた。

――東日本大震災直後、事業活動に具体的にどのような変化がありましたか。

塩崎保美氏(以下敬称略):東北地方、あるいは被災地に近い地域の会社、例えば鹿島のコンビナートなどでは、プラント停止など、非常に大きな被害がありました。プラントのほか、港湾設備も非常に影響が大きかったと聞いております。震災から時間の経過とともに、道路が順次回復していき、港湾が回復し、生産活動もそれに伴って回復しています。現時点ではほぼ回復してきていると聞いています。当社は幸いにして、生産活動そのものについてはあまり影響がありませんでした。

――御社への影響が小さかったのは東日本には拠点が少なかったからでしょうか。

塩崎:一番北は青森県三沢市に工場がありますが、直接大きな被害はありませんでした。千葉県市原市、袖ヶ浦市の工場も、地震の影響はありましたが、幸い被害はありませんでした。部分的に影響を受けたのは、被害を受けた会社から原料を購入して製品を作っている工場でした。原料が来なかったために、一時的に生産をダウンさせるなどの影響はありました。

――海外からのクレームはありませんでしたか。

塩崎:住友化学の場合は、部分的にですが、包材など被害のあった地域から納入しているものが届かなかったため一時的な減産がありました。しかし、それはごく一部の製品に限られており、クレームには至りませんでした。
 よくサプライチェーンと言いますが、どちらかと言えば化学は素材産業ですので、かなり上流側に位置しています。最下流が自動車、家電などの組み立て産業になります。その間にいろいろな部品メーカーがあります。我々は部品メーカーに素材や部材を供給しているケースが多く、震災で被害を受けた化学会社から部品メーカーへの供給が一部滞ったという話は聞いております。

――業界としてのサポート体制は機能しましたか。

塩崎:被害を受けた工場からの要請を受けて、生産できなくなってしまった素材の生産をできるだけ増やすなど、サプライチェーン全体への被害の波及を最小限にとどめるための対応をしました。

塩崎保美(しおざき・やすみ)氏。社団法人日本化学工業協会技術委員会委員長。京都大学大学院工学研究課修士課程修了後、1973年4月に住友化学工業(現在の住友化学)に入社。レスポンシブルケア室部長、執行役員などを経て2010年4月に常務執行役員、2012年4月に顧問就任、現在に至る

ハードだけでは限界。これからのリスク対応にはクライシス・マネジメントが必要に

――東日本大震災に伴い、原発事故が起きたことをどう思われますか。

塩崎:難しいですね。難しいというのは、原子力発電所自身は建設時点における国の基準を満たして造られていて、想定される災害への対策も講じていたわけです。しかし、それを超える災害が襲い、非常に困難な状況に陥ったのだと思います。原子炉については専門家ではありませんので詳細に語ることはできません。我々製造メーカーは、軽々しく「想定外」とは言ってはならないと思っていますが、今回の場合は、想定をしていた事象を超えるような事態が発生してしまったということでしょう。

――震災や原発事故に関する国の情報発信については、どのような印象を持たれましたか。

塩崎:今回のことは前代未聞で、これまで経験がないことでした。しかも、被害があまりにも大きかったため、情報収集体制が混乱を極めたのではないかと思います。当事者の東京電力にしても、当然、情報発信も必要ですが、現場をどう収拾するかが非常に急を要することでした。それを同時にやっていかなくてはならなかったわけですから、大変だったと思います。

――リスク管理はとても難しいことだと思います。今回の震災を契機に、業界として、もしくは御社として見直されたことはありますか。

塩崎: 当社はリスク対策の重要項目として、地震対策と津波対策について、長期的な取り組みを実施しています。従来、私どもは法律などで定められた対策はもちろん、自主的な地震対策としてかなり長期間にわたってリスク評価を実施し、その結果を踏まえて優先順位を決めて、順番に対策を講じてきました。津波については、従来の想定に対して設備が浸水することによるトラブルがないか確認を進めています。こうした見直しは一部完了しましたが、今も継続しています。

――企業にとって、新たな対策にはコストがかかりますが、避けては通れませんね。

塩崎:リスクに対して何もかもハードで対応しようとすると、莫大な資金がかかります。ある程度のところまではハードで、それ以上のことが起こった時にはクライシス・マネジメントで対応するという方針が正しいと思います。

 たとえば、工場の地震対策はハードの問題としてきちんと実施します。また、津波などによる水害に対しても、やらなくてはいけない対応が何かをもう一度検討し直し、水に濡れないようにする対策が必要だと考えています。たとえば、地面近くにある発電機やモーターなどの回転機器は水に濡れないように高い位置に設置しないといけません。人命第一を前提に、具体的な水リスクへの対応を現在検討しているところです。

温暖化対策とエネルギー計画を現実的な方向に練り上げてもらいたい

――今夏は節電要請がありましたが、化学業界または御社はどのように乗り切られましたか。

塩崎:化学業界では、一部、生産調整を強いられた企業もありました。幸い、ほとんどの会社は多かれ少なかれ自家発電設備を持っています。これらを最大限活用すると共に、新規に自家発を導入したところもありました。さらに、地域や関係会社同士のグルーピングで電力の供給をやりくりしたり、自家発の電力を電力会社に供給するなどの対策も実施しました。従来は、電力会社からの購入と自家発電のどちらが経済的かを勘案しつつ電気を使っていましたが、この夏は経済的なことよりもプラントの稼働を優先させ、自家発電設備をフルに動かしました。燃料が石油系ですのでコスト増が負担になりましたが、供給責任を果たすという意味で実行しました。

――原子力発電所の再稼働の問題が議論されています。来年は今年よりも電力需要がさらに厳しくなるという見方もありますが、どのような見通しを立てていますか。

塩崎:今年の冬あるいは来年の夏に対しては、国で検討されていますが、安全を確認して原子力の再稼働をしていくべきではないかと思います。ライフラインをできるだけ立て直していくことが大事でしょう。政府には、ぜひ、そういう方向で考えてもらいたいと思います。また国民の皆さんには、そういうところを勘案しながら意見を出してほしいと思います。当社では、小さい研究所では自家発電もなく研究体制へのしわ寄せがあったところもありましたが、工場はそれぞれ自家発電設備を持っていますので、積極的に活用して乗り切るつもりです。

――先ほどもお話に出ましたが、自家発電はコスト増になりますね。

塩崎:これも一つの試練です。エネルギー危機という意味では、1972年~73年にオイルショックがありました。消えてしまった産業もありますが、あの危機を省エネ技術で乗り越えて、日本はたくましく生き残ってきたわけです。日本としては省エネ世界一、化学産業も世界で比較できるものについては世界一を維持していますが、日本の技術にさらに磨きをかけていくという意識を持つ必要があるかと思います。個別の電力対策以上に、さらなる省エネも考えていく必要があります。

――そうした個々の努力とは別に、エネルギーの安定供給を考えると、原子力発電の位置づけを今一度議論する必要がありそうですね。

塩崎:長期的な話と中期的な話とに分けて日本のエネルギーをどうしていくのかという議論をしていく必要があると思います。技術的な問題に対応し、原子力の安全確保をすることが必要ですが、一時の感情に流されて、経済への配慮を欠くことはよくないと思います。現実に起こっている産業の空洞化に拍車がかかることを懸念しています。

現実を踏まえない政策ばかりでは国が滅ぶ

――今後のエネルギー需給をどうしていくのか、政府に対してどのような要望をお持ちですか。

塩崎:エネルギーの問題には必ず温暖化問題がついて回ります。今、どちらかというと、環境省と経済産業省がバラバラでやっていますが、本来は温暖化対策とエネルギー基本計画は一体で議論すべきであり、現実的な方向に両者で練り上げていくことを切に望みます。エネルギー問題は地球温暖化問題と表裏一体ですから、そこをきちっとふまえたうえで議論し、計画を出すことが望ましいと思います。

――省庁間の足並みがそろっていないということでしょうか。地球温暖化問題への対処方針がはっきりしないのに、エネルギー政策を打ち出すのはどうかと。

塩崎:そうですね、現実をよく見ていないと感じます。今さら批判しても仕方ありませんが、たとえば鳩山由紀夫元首相が突然方針を出すということもありました。それまで、麻生太郎元首相がやっていた検討を無視するようなことが、いきなり出てしまったわけです。一方で、経済産業省はエネルギー基本計画で、2030年までに原発を14基建設すると打ち出していましたが、そんな非現実的なことをそれぞれの省庁で出すようでは、国を滅ぼしかねません。現在のエネルギー事情や産業の状況をきちっと踏まえたうえで検討結果を出さなくてはいけません。そう言った部分で、今は不十分ではないかと思います。

――実態をきちっと調べたうえで現実に即した目標設定をすべきだということですね。

塩崎:そうです。しかも、国民に対する情報発信が十分ではないと思います。たとえば、原子力発電をやめると電気料金が上がりますが、それを誰が負担するのでしょうか。均一に使用量に比例すると考えると、当然、産業界のコストが上がります。日本で「もの」が作れなくなり、工場などが海外移転することになります。現実にそういうことがどんどん起こっています。そうすると雇用がなくなり失業率が上がる、そして社会不安が増すことになる。そういうことが理解されていません。そういう事態になる可能性が高いことを分析して定量的な情報発信をして、国民全員が同一の情報を共有しないといけません。

 原子力をやめなさいという人もいます。50年先はそうかもしれませんが、その間、どうやって日本の産業、あるいは日本人が生きていくのかを考えたうえで議論しなければいけないと思います。具体的にどういう事態になるかを踏まえてきちんと情報開示する必要があります。今はそれができていない状況ですので非常に心配です。

再生可能エネルギーの導入コストは日本人全体の負担に

塩崎:誤解のないように聞いていただきたいのですが、業界として、あるいは私個人として、エネルギー問題と温暖化問題は表裏一体であり、再生可能エネルギーを開発することは大事だと思っています。しかし、問題は開発費を誰が負担するのかということです。

 たとえば、全量買取制度の形で太陽光発電を大量に導入するとなると、海外製品が日本に入ってきて、結局、日本の太陽光発電に関わる産業がダメになる懸念があります。現実に、海外製品がたくさん入ってきています。また、全量買取のコストを現実に誰が負担することになるかをきちんと国民の前に示したうえで政策を決めていくべきではないでしょうか。

 もちろん再生可能エネルギーの技術開発は大事で、必要な研究投資はやっていくべきです。しかし、その間のエネルギーをどうするのか、開発費を誰が負担するのかを議論して決めていくことが重要です。日本人全員で共有し、負担しなくてはならないと思います。

――受益者負担で広く国民が負担していくということですね。税金で買取費用の一部を負担することも考えられます。

塩崎:税による負担は、日本の今の財政状況ではできないのではないでしょうか。政策という意味では、エネルギー問題、温暖化問題、社会保障問題、税金の問題などを総合的に考えなければいけないでしょう。各省庁が出してきた計画をそのままやっていたら、今の1000兆円近い財政赤字の利子を払うだけで破綻してしまいます。私の勉強した範囲ですが、ギリシャは破綻して大変な状況ですが、日本の国債は外国人が買っていないことで暴落せずにすんでいます。もし外国人が買っていたら、すでに日本もギリシャのような状態になっているはずです。

――その懸念はあります。

塩崎:専門家は皆知っていると思いますが、国の財政がこういう状況であるということを国民にきちんと説明しなければいけません。

(後編に続く)

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