松井英生・石油連盟専務理事に聞く[前編]

震災に強いサプライチェーンづくりに転換目指す


国際環境経済研究所理事、東京大学客員准教授

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関東地方ではガソリンの買いだめが起きた
情報発信が遅かったのは反省点、誤った情報がツイッターで拡散も

――他にどんな問題がありましたか。

松井:次の問題が電源でした。ガソリンスタンドの給油機は電気で動いているので、電気が止まった瞬間に作動しなくなってしまった。油槽所も電気が止まったので手動で給油したのですが、時間がかかって仕方がない。自家発電も流されてダメになり、油槽所から出るアクセス道路も壊れていた。

 もう一つの問題は、油槽所への供給でした。普段は大きな船で海から入れるのですが、港も桟橋も壊れていたため、補給ができなくなりました。JR東日本が貨車を動かしてくれましたが、塩釜にある東北地方最大の油槽所群と八戸の油槽所群の2つを、系列を越えて、皆で協力して対応しました。

 約5000kl積載の大きな船が入れるように、港の浚渫や道路も官邸に頼んで直してもらいました。3月20日以降になると、配電盤の修理も終わり、電気もようやく通じるようになり、各社が協力して、石油製品を払い出していった。タンクローリーは、さらに西日本から約300台投入して、配送体制を整えました。

 ガソリンスタンドも段々と復旧が進んだのですが、東北の海沿いは流されてしまい、物理的にスタンドがない。また、経営者や従業員が被災されていることもあり、うまく供給体制が取れませんでした。そういう中で、限られたガソリンスタンドが供給を開始すると、今度はそこに延々と長蛇の列ができた。

――そのことは、ずいぶん報道されましたね。

松井:長蛇の列でも整然としていればいいのですが、暴力事件がたくさん発生してしまいました。例えば「救急車の割り込みはけしからん」と言って、給油所の従業員に暴力を振るうようなことまで起きた。タンクローリーがスタンドに向かって出発すると、そこに車が集まり、タンクローリーを止めて運転手を引きずり下ろし、自分の車に注げとかいう問題が多発しました。

 タンクローリーの運転手が怖がって行きたがらなかったり、ガソリンスタンドの経営者が、従業員が殴られることを恐れて店を開けるのを嫌がったりといろいろな問題がありました。警察にも警備をお願いしましたが、被災者への対応で手一杯で、なかなか手が回らなかった。それでも、業界を挙げて協力して油槽所を直し、電気も回復させ、タンクローリーも増やし、3月末までには一部地域を除いて何とか供給できる状態にさせました。

――震災直後は「ガソリンがない!」と、東京にいる私の周りも大騒ぎでした。

松井:その頃に起きた次の問題が、買いだめのような状況になったことです。ガソリンがちょっとでも減るとガソリンスタンドに並び、5l、10lを入れる。半分位の方がそういう状況でした。

――関東で買いだめしてしまうと、東北被災地にガソリンが行かないと心配されました。震災直後の情報発信についてはどうですか。

松井: 我々の情報発信に関しては遅かったと思っています。ちょっとガソリンが減ると10lでも入れる消費者の方がいたことは、我々の情報発信が遅かったからだと思います。

 NHKなどのテレビ番組で、3月14、15日にインタビューを受けました。そのときに、「首都圏に向けてメッセージを出してください」と言われましたので、21日過ぎにはだいたい製油所が立ち上がるという見込みから、「25、26日には問題なくなるので、皆さん買いだめに走らないでください」と話しました。

――首都圏向けのメッセージのつもりだったのですね

松井:そうしたらツイッターで、その情報が東北にも飛んでいるんですね。石油連盟の専務理事が26日頃になれば供給が来ると言っていると。これは大丈夫だと安心してくださったのはありがたいのですが、実は東北の方はとても無理でした。間違ったメッセージが東北に流れてしまいましたが、そのあたりをもっと踏まえていくべきでした。東北地方に向けて、4月の2週目になれば何とか供給できるというメッセージを早く出すべきでした。

 実際に私のところに、佐竹敬久秋田県知事から3月15日頃に電話がかかってきました。知事が「ガソリンはいつ来ますか」と尋ねられたので、私はとっさに「ロジスティックが回復すれば、4月10日過ぎには供給できると思うので安心してください」と答えました。知事は「わかりました」と。その後、佐竹知事は県内でそのことを事ある毎に人に伝え、秋田県内では買いだめパニックというような問題が少なかったそうです。テレビでは製油所は燃えていますし、もうガソリンは無くなってしまうと思われてしまった。それに対して、我々がうまいタイミングでメッセージを出せなかったのは反省点でした。