気候のティッピングポイントなど存在しない(その1)
「ティッピングポイント」という用語がいかに気候変動に関する議論に浸透し、状況を悪化させたか。
シーバー・ワン
Co-Director of Climate and Energy at the Breakthrough Institute
2023年4月17日 シーバー・ワン
監訳 キヤノングローバル戦略研究所 杉山大志 邦訳 木村史子
There Is No Climate Tipping Point: How the “tipping points” metaphor infiltrated environmental discussions—and how it set us back
https://thebreakthrough.org/journal/climate-change-banned-words/climate-tipping-point-real
を許可を得て邦訳。
(訳注:著者シーバー・ワンは関連する学術論文を書いており、本稿はその解説記事になっている。Wang et. al. (2023), Mechanisms and Impacts of Earth System Tipping Elements
https://agupubs.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1029/2021RG000757)
地球海洋科学の博士論文を書き上げるずっと前に、私は気候小説を書いてみたいと思っていた。それは言うほど大したものではなかった。なにしろまだ14歳だったころのことだ。私は、自分の物語が温暖化する未来の危険性を鮮明に描き出し、社会に衝撃を与えて気候変動を解決に導くだろう、などと空想していたのだ。
私の小説は、ほんの数章しか進まなかった。振り返ってみると、一連の災害があまりにも急激に押し寄せてくると感じさせずに、近未来における大惨事への転落をどう叙述するか、という壁に阻まれてしまったのだ。私は、地球が崖っぷちから滑り落ちるような何らかのティッピングポイントが存在すると信じて疑わなかった。だがそこまでにどれくらいの時間がかかるのだろうか?私は、物語の主人公が十代から大人になり、そして年老いるまで、ゆっくりと進む大きな変動を経験するといったストーリー構成を作りあげるには忍耐力が足りなかった。
いずれにせよ、気候の未来はもう少し複雑であることがわかったのである。当時の私の未完の小説が想像していた気候の未来の多くの要素は、気候変動に関する研究のコンセンサスの大部分であり、より頻繁で激しい山火事、水循環の変化、侵入種のカブトムシによる松林の壊滅などであった。当時の私の根底にあった仮説は、生涯のある特定の瞬間に、地球が気候のティッピングポイント(臨界点)を越え、自己強化的な暴走状態に陥るというものだったのだ。
このさき起こりうる状況として可能性の高い一連の将来シナリオにおいて、気候科学の文献は、人類の対応能力を超えて暴走するような、世界的なティッピングポイントが近づいている、ということを示してはいない。北極圏の永久凍土の融解やアマゾンの森林喪失のように、気候システムにおけるティッピング・エレメントは地球全体の温暖化に影響を与えてはいるが、その影響の大きさは、地球の気候のトラジェクトリー(軌跡)を最終的に決定する社会的要因に比べると、かなり小さいのである。
読者の皆さんにとっては、この文章が堅苦しく、過剰に修飾されているように感じられるかもしれない。IPCCの報告書や学術論文にある無数の似たような文章と同様、正確さを保つために非常に慎重に用語を選択しているのである。しかし、このような配慮は、研究者がまだ解明できない未来への渇望を満たそうとする一方で、時に誇大広告的表現に陥りがちな気候に関する俗説とはますます相容れなくなっているように思われるのも事実である。
小説家志望の若かりし頃の私がそうであったように、現在も私を惹きつけてやまないテーマのひとつが、ティッピングポイントである。より正式には「気候ティッピングポイント」と呼ばれるこのテーマは、絶えず進化し続ける知見の集合体であり、特に混乱や誤解を招きやすい。
何年もの間、地球科学者のグループは少しずつ異なるティッピング・エレメントの定義を提示し、提案されているティッピング・エレメントのリストは、多様な追加や削除によって変化してきた。熱帯モンスーンやエルニーニョサイクルの急激な変化は多くのリストから外れ、一方で東南極氷床の安定性に対する懸念が高まっている。また、地球の気温が理論上のティッピングポイントを超えた後に起こりうる気候への影響の範囲を示す研究は、しばしばライターやジャーナリストによって、上限的で最悪のケースを想定して要約されることが多い。
難解な科学的ディテールと単純化された報道が出会うとき、混乱が生じるのは特に驚くべきことではなく、「ティッピングポイント」という言葉自体が、ほとんどの、いやすべての気候ティッピングポイントのエレメントに必ずしも当てはまらない唐突さと即時性を想起させて、その混乱に拍車をかけている。「気候ティッピングポイント(climate tipping points)」や「暴走する気候変動(runaway climate change)」は、今や気候に関する会話でよく使われる言葉であり、これらの言葉を使うとき、実際には提唱者によって意味合いは異なるかもしれないが、気候システムが非常に不安定で、自己強化的で、急激な災害の危機に瀕しているという、広く共有されてはいるが不正確な理解のもとで使われているのである。
合理的な見方でとらえれば、地球が破滅的な帰還不能な点を超えて滅亡するまであと数年しかないといった予感が、非生産的な運命論を招く。同時に、気候変動による崖っぷちが迫っているという認識は、長期的な対策を排除し、緊急対策を優先させているように見える。そして気候政策の議論を逆効果になりかねない方向に歪めている。
今後、科学界と気候アドボカシー団体らが明確にすべき重要なメッセージは、人類は常に気候に対する主体性を持ち続けるということである。母なる地球が人類から気候システム全体の支配権を奪い取り、私たちの罪を罰するといったようなティッピングポイントは存在しないのだ。
気候の崖っぷちが迫っていないと言うと、気候変動対策への推進力を弱めているように見えるかもしれないが、人類が地球のサーモスタットに対して決定的な主導権を持っているということは、実は大きな責任を課されていることでもある。人類と自然にとってより好ましい未来を実現するだけでなく、その未来を築くための条件を定義するのも、私たち次第なのだ。
「ChatGPTにこの議論に参加してもらったところ…
環境問題の議論において、「ティッピングポイント」とは、特定の環境システムやプロセスが不可逆的に変化し、しばしば遠大で潜在的に悲惨な結果をもたらす、重要な閾値のことを指す。ティッピングポイントは、極地の氷冠の融解、森林の枯死、海洋の酸性化など、地球の気候システムにおける潜在的または実際の閾値を説明するためによく使われる。
こうした閾値は、問題の自然システムが以前の状態に戻れないほど変化してしまう、「戻れない地点」と考えることができる。たとえば、ある一定量の極地の氷が溶けてしまうと、もはや自然のプロセスで氷を取り戻すことはできず、海面が永久に上昇することになる。同様に、大気中の二酸化炭素がある限界量に達すると、それが地球の自然な炭素循環によって吸収されるまでに数百年から数千年かかる。
環境問題の議論において、気候ティッピングポイントは、人間活動が環境に及ぼす潜在的な影響についての警告として、また、環境問題がこのような重大な閾値に達する前に、迅速かつ果断に対処するための行動の必要性を強調するために、しばしば用いられる。不可逆的な環境変化の可能性を強調することで、ティッピングポイントの概念は、環境を保護し、持続可能な未来を確保するために行動を起こすよう、個人、地域社会、政府を動機付けることを意図している、と言えよう。」
※その2、に続く