PFASの健康リスクは小さい 求められる冷静な判断
唐木 英明
東京大学名誉教授
PFASは1万以上の有機フッ素化合物の総称で、撥水・撥油性があり、物理・化学的に安定であることから、半世紀以上前から、溶剤、界面活性剤、繊維やプラスチックの表面処理剤、泡消火剤、半導体原料などとして幅広く利用されている。身の回りではテフロン加工のフライパンやスコッチガードのレインコートなどの製品に使用されていた。
PFASの中で最も多く使用されたのがPFOSとPFOAだが、3M社は2000年にPFOSの製造を中止し、デュポン社は2013年にPFOAの製造を段階的に中止した。PFOSの代替品としてPFHxSが使用されたが、これも製造が終わった。日本では化学物質審査規制法(化審法)に基づいてPFOS、PFOA、PFHxSの製造と輸入を現在は原則禁止している。
米国の状況
PFASは分解されにくく、土壌や水に長期間留まる。半世紀前にPFASを使い始めた頃は化学物質による環境汚染に対する配慮がほとんどない時代だった。その後、化学物質公害が問題になったときにも、PFASが注目されることはなかった。そして1999年にPFAS汚染が原因で家畜が被害を受けたとして農民がデュポン社を相手に訴訟を起こしたときに初めてPFASが広範な環境汚染を引き起こしていることが明らかになった。
続いて2001年に住民が健康被害を受けたとして集団訴訟を起こした。調査のための委員会が2005年に設置されて7年間をかけて実態を調査し、2012年に腎臓がん、精巣がん、高血圧、妊娠高血圧などとの関連する可能性を認め、2017年にデュポン社は6億7,000万ドル、約1000億円を支払うことで和解した。
その後、全米各地で環境汚染の回復を求める裁判が続発し、主に水道水の汚染対策の費用としてPFAS製造企業は高額の賠償金を支払うことになった。しかし健康被害の実例は報告されず、最初の1件以外は健康被害を認めた判決はない。
ところが最初の判決で健康被害が認められて巨額の和解金が支払われたこと、その顛末が小説になり映画化されて全米で上映されたこと、メディアはPFASに「永遠の化学物質」という恐ろしい名称をつけたこと、全米の水道水の50%以上でPFASが検出されて影響範囲が拡大したこと、これを受けて米国環境保護庁(EPA)は水道水基準をほぼゼロに設定したこと、企業はPFASの強い毒性を知りながら隠蔽していたなどの陰謀論が広まったことなど多くの要因が重なって、PFASに対する不安が大きくなった。
これに輪をかけたのが、全米科学アカデミーが2022年に発表した「PFAS試験と健康影響のガイダンス」である。PFASの血液検査をする人が増えたが、どのくらいの量が検出されたら健康被害を懸念すべきかについてはデータがほとんどない。そこで全米アカデミーは検査結果の解釈、PFASと関連する可能性のある健康影響、治療と予防法や曝露の低減などについて、医師が患者に説明するためのガイダンスを作ったのだ。これによれば、血中濃度が2 ng/mL未満であれば低リスク、 2から20 ng/mLであれば中リスク、20 ng/mL以上であれば高リスクに分類している。
米国の住民調査では、1999―2000年の一般住民の血中PFOS濃度は30.4ng/mLだったが、PFOSの製造停止後の2017-18年には4.3ng/mLに減少した。PFOAについては1999―2000年には5.2ng/mL、2017-18年には4.3ng/mLだった。ガイダンスに従えば、米国住民のほぼ全員が2 ng/mL以上の中リスク、約1割が20 ng/mL以上の高リスクになってしまう。これは実態に合わないとして、このガイダンスは臨床現場では利用されていないという。
ところがガイダンスの数字が一人歩きをしてしまい、20 ng/mLを超えたら必ず健康被害があるという誤解が広まってしまったのだ。もちろんこのガイダンスは20 ng/mLを超えたら健康影響があるという因果関係を示したものではない。咳が続いたら風邪かもしれないけれど、肺がんの可能性がないわけではないから注意しましょうと聞いて、「咳をしたら肺がんだ」と誤解するのと同じだ。
米国の飲料水対策
明らかな健康被害がないことから規制値の設定は遅れた。EPAは1999年の環境汚染裁判から7年後の2006年になってやっとPFOAの飲料水健康勧告値を500ng/Lに設定し、10年後の2009年にPFOSの規制値を200ng/Lに設定した。そして2016年にはPFOAとPFOSの合計で70ng/Lと規制を強化した。
米国以外の国の動きはさらに遅かった。2017年にドイツがPFOSとPFOAを各100 ng/L、2018年にオーストラリアがPFOSとPFHxSの合計で70 ng/L、PFOAを560 ng/L、2021年にEUがPFAS合計で500 ng/Lなどであり、世界保健機関WHOはPFOSとPFOAを各100 ng/Lとするなどの案を発表したが、まだ決定には至っていない。日本は2024年にPFOSとPFOAの合計で50 ng/Lに設定した。
規制値の根拠となる人での健康被害がないため、動物実験による毒性が基準の根拠になっている。動物実験はどの国で行っても類似の結果が得られるので、世界各国の規制値は50〜500ng/Lの範囲に入っている。ところが、2021年に民主党バイデン政権が発足すると、政権の環境政策の一環としてEPAは「PFAS戦略ロードマップ」を発表し、PFOSの規制値を0.02ng/L、PFOAを0.004ng/Lとほぼゼロに設定し、これがバイデン政権の環境政策の象徴的な成果と宣伝された。
しかし、このような微量を測定することは困難であり、規制違反を取り締まることが難しい。そこで2024年にPFOSとPFOA各4 ng/Lに改訂した。これでも各国の規制値と比べて桁違いに厳しい。その根拠は、2023年に国際がん研究機関(IARC)がPFOAを「ヒトに対する発がん性があるグループ1」に分類したこと、そして米国食品・医薬品・化粧品法のデラニー条項がある。この法律は、「動物実験または人の研究において発がん性が認められた物質は、いかなる量であっても食品に添加してはならない」という「ゼロリスク原則」であり、本来は食品添加物の規制だが、これを飲料水に広げたものである。
科学的には安全を守るための規制値は50〜500ng/Lの範囲で十分だが、米国では政治的な配慮によりこれをほぼゼロにしたのであり、これは市民の安全ではなく政治家の安全のための措置と批判されても仕方がない。この措置に対しては取り消しを求める裁判がいくつも起こっている。その一つであるロングアイランドの水道事業者によれば、EPAの4ng/Lという規制値はオリンピックサイズのプール20個分の水に1滴という微量であり、その対策のため全米の水道企業は年間数十億ドルの除染費用を負担している。PFASを活性炭に吸着させて、これを高温で処理して分解するのだが、この処理には多額の費用がかかるのだ。2025年に始まった第2次トランプ政権はPFASの規制を見直す方向と言われるが、どのような規制値になるのかまだ不明である。
IARCの評価についても大きな誤解がある。IARCが「ヒトに対する発がん性があるグループ1」に分類したのはPFOAの他に、たばこ、紫外線、酒類、ベーコン、ハム、ソーセージなどの加工肉がある。それでは、日光浴をしながら、ソーセージをつまみにしてビールを飲んだら確実にがんになるのだろうか。そのような科学的事実はない。IARCは酒やソーセージには弱い発がん作用があるという事実を述べているだけで、それらが通常の生活で実際にがんを引き起こすのかについては述べていない。PFASも同じで、特殊な条件では実験動物で発がん性があるとしても、現実の生活では実験動物でも人間でもがんを引き起こすことはないのだ。
日本の状況
日本は2010年に化審法によりPFOSの製造と使用を禁止し、2021年にPFOAも禁止したのだが、各地でPFASによる環境汚染が発覚している。
2020年、沖縄県の米軍普天間基地と嘉手納基地周辺で、地下水や河川から高濃度のPFASが検出され、PFAS問題の存在が明らかになった。2022年には東京多摩地域の横田基地周辺や神奈川県厚木基地周辺でも汚染が見つかった。さらに大阪府、静岡県などで、工場排水が原因とみられる汚染が報告された。また沖縄県などの住民の血液検査の結果、一部で高い血中PFASが見つかり、当然のことながら健康被害の不安が大きくなった。
PFASの健康リスクの実態を明らかにしたのが食品安全委員会である。委員会は2024年にPFASの食品健康影響評価を発表した。通常、評価は厚労省や農水省など行政の依頼を受けて行うのだが、PFASについては依頼がなく、委員会自身の判断で行なったものである。依頼がない理由は健康被害がないためであり、委員会が独自に評価を実施した理由は大きくなった不安に応えるためと推察される。
評価を行ったのはPFOA、PFOS、PFHxSの3種類で、評価方法は国内外の論文や国が実施した調査等を分析し、健康影響について指標値を設定するのに十分な証拠があるのかを検討した。評価の結論を一言でいうと、健康リスクの可能性が指摘されている肝臓、脂質代謝、免疫、発がんについては毒性を示す確実なデータはなかった。他方、実験動物の出生児の体重が減少することはかなり確実であること、ただしこれは動物試験に高濃度を投与した時の話であり、ヒトの疫学調査でみられた出生時体重の低下と結びつけることはできないというものだ。
このような検討の結果、委員会はPHOSとPFOAの耐容一日摂取量(TDI)、すなわちヒトが一生涯にわたり摂取しても健康に対する有害な影響が現れないと判断される体重 1kg当たりの1日当たり摂取量を20 ngに設定した。体重50kgであれば、1日に1000ng(1mg)である。他方、PFHxSについては十分なデータがないことから指標値を決めなかった
食品安全委員会の評価に対する意見
PFASの毒性は弱いという評価結果は専門家には当然のものと受け止められた。PFASが使用されてから半世紀以上が経つのだが、その間、健康被害は見つかっていないからであり、これは水俣病やイタイイタイ病では最初に健康被害が起こり、その後、原因物質が見つかったという経緯とは全く異なるからである。ところがそうは思わない人もいた。評価に対するパブリックコメントには3952件の意見が寄せられ、その大部分がPFASは危険な物質だからもっと厳しく規制すべきというものだった。件数は多いが、ほぼ同じ文章が複数あり、組織的に同じ意見を提出している組織があることが伺われた。
主な意見は次のようなものである。①日本の基準は米国と比較して高く、これでは発がんリスクや健康被害が増加する可能性があるため、米国並みに引き下げるべき。②IARCがPFOAを「ヒトに対する発がん性があるグループ1」に分類したが、日本の評価ではこれが考慮されていないので、リスク評価を見直すべき。③日本の評価は動物実験だけに基づいており、健康被害を明らかにしている疫学調査を無視している。
これらの意見に対しては食品安全委員会が回答しているが、本論説でも①と②の意見はPFASの安全とは無関係の誤解であることはすでに述べた。また③の意見も誤解だが、これについては「食品安全委員会は重要な論文をこっそり除外して評価を捻じ曲げた」などという陰謀論が広がっている。
疫学調査とは、PFAS汚染地区と非汚染地区の住民の健康状況を比較したものだが、そこで差が出たとしても、それぞれの住民のPFAS摂取率、血中濃度、病歴、生活習慣など多くの不確定要素が重なって、PFASとの因果関係の確定は難しいことが多い。特に大きいな要因が生活習慣で、肝臓、脂質代謝、免疫、発がんなどに影響を与える。例えば都道府県別のがん死亡率を見ると、10万人あたり長野県は53.0人、青森県は69.6人と大きな差があるが、その原因は生活習慣と考えられている。仮にPFASに弱い発がん性があるとしても、その小さな影響は生活習慣の大きな影響に隠されてしまう。疫学調査結果が動物試験で裏打ちされて初めて因果関係の確実性が増すのだ。
PFASの摂取と対策
PFASを摂取する主な経路は食事と水と考えられる。2012~14年度に農林水産省が行った調査によれば、通常の食生活で1日に摂取するPFOSは体重1kgあたり0.60〜1.1 ng、PFOAは0.066〜0.75 ngで、耐容一日摂取量である20ngをはるかに下回っている。環境省は全国の水道水の汚染調査と対策を実施し、現在は基準値を超える水道水は存在しないので、摂取量はさらに小さくなっていると推測される。
すでにPFASを摂取して血中濃度が高い人の不安は大きいが、半世紀にわたって世界中で大量に使用され、広範な環境汚染を引き起こしているにもかかわらず、水俣病やイタイイタイ病のような明確な健康被害は起こっていないこと、実験動物に多量を与えても、出生児のわずかな体重低下程度の影響しかないこと、しかもこれは人には当てはまらないと考えられること、疫学調査でも影響があるのかないのかよくわからないことなどの科学的根拠を総合して判断すると、PFASの健康被害はあったとしても極めて小さいことは間違いない。またPFASの血中濃度は3−5年で半減することも分かっている。そのような事実を判断の参考にしていただくことをお願いしたい。