イデオロギー偏向に沈んだ「情報災害」対策(2)
林 智裕
福島県出身・在住 フリーランスジャーナリスト/ライター
ALPS処理水問題で明らかになった日本社会の深刻な課題は、「偽情報対策が十分に機能しなかった」事だ。『「正しさ」の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か』注1)『「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』注2)(いずれも徳間書店)両著でも明らかにしたように、偽情報等が誘発する「情報災害」は、ときに地震や津波といった物理的な災害をも凌駕する人的・経済的な犠牲と偏見差別などを長期広範囲にわたって社会にもたらす。
そうした中、偽情報への防波堤としての役割が特に期待されたはずの国内機関──多くの専門家を擁するアカデミズム、広く情報を周知するマスメディアなどのジャーナリズム、偽情報を検証・否定するファクトチェック機関などは、処理水問題において事実上の機能不全に陥った。今後も頻発するであろう「情報災害」の減災・防災を目指す上で、その原因追及と是正は社会にとって喫緊の課題と言えるだろう。
本記事は前記事に続き、「情報災害」対策が機能不全に陥った要因に対する仮説、すなわち『社会に強い影響力を持つ地位と役割を任された人々が、偏向したイデオロギーによって社会的責務を放棄したのではないか』という疑念の提示であると共に、福島に生きる一人の県民からの告発でもある。
報道が助長した流言、及びメンタルヘルスの衝撃
今回はマスメディアに着目する。清水幾太郎やオルポート、タモツ・シブタニなどの伝統的な流言研究において、マスメディアは「正確な情報を伝え流言を止める側」としての役割が期待されてきた。
ところが処理水問題に限らず、福島の原子力災害全般において少なからぬマスメディアがその役割に逆行した。明らかになった事実や安全性を積極的に周知しようとせず、「汚染」のスティグマ(負の烙印)強化に加担した。ありふれた体調不良に被曝との因果関係をほのめかしたり、現実のリスクを考える上で全く意味の無い数値や科学に基づかない不安、政府・東電への怒りを訴える当事者にばかりスポットを当てた。それらを以て「放射線の影響はまだわからない」「安全性の周知と風評対策が不足」「不安を抱えた当事者はまだいる」「議論が尽くされていない」に類したマッチポンプ的な議論の提起を度々行っては社会問題を解決困難に導き、廃炉や復興政策の進展も停滞させた。
これらは<事実に反した流言蜚語を広めたり、明らかになっている知見を無視したり、すでに終わった議論を蒸し返したり、不適切な因果関係をほのめかす印象操作や不安の煽動、正確な情報の伝達妨害>といった、既に定義した「風評加害」そのものに該当する注3)。
たとえば朝日新聞連載記事「プロメテウスの罠」は、《我が子の鼻血、なぜ》と題し、東京都町田市の事例として《6歳になる男の子が原発事故後、様子がおかしい。4カ月の間に鼻血が10回以上出た。30分近くも止まらず、シーツが真っ赤になった》などと書いた。東京新聞も同様に、《子に体調異変じわり 大量の鼻血、下痢、倦怠感…》などと報じている注4)。
仮に高線量被曝による急性放射線症であれば、目など鼻以外の粘膜からも出血したまま止まらず、絶命する可能性すらある。たとえ事故直後であろうと、まして東京都町田市で確定的影響が発生するレベルの放射線被曝など有り得ないことは明白だった注5)。
ALPS処理水問題でも、両新聞の関係者も含めた少なからぬマスメディア関係者が処理水に対する非科学的・差別的な「汚染」呼ばわりを繰り返した。朝日新聞や東京新聞は、100年前の関東大震災で一部の新聞までもが加担した「外国人が井戸に毒を入れた」との流言を度々問題視する。その一方で何故、同じ「大震災」と呼ばれる東日本大震災で喧伝された「海に汚染水が放出される」には加担し続けたのか注6)。
(参考:原発処理水を「汚染水」と呼ぶのは誰のためか…?「風評加害」を繰り返す日本の「異常なジャーナリズム」に抗議する注7))
処理水放出開始後、韓国最大野党「共に民主党」の李在明代表は、「汚染水投棄に対する国民の怒りが爆発している。国民の誰も、世界の井戸である太平洋に毒を放つ日本の環境犯罪を決して容認しないだろう」(※筆者翻訳)と述べた。皮肉なことに、日本の少なからぬマスメディアと関係者が加担した「汚染水が海洋放出される」が、100年前の「井戸に毒を入れる」と何ら変わらないことを、関東大震災の犠牲から何の教訓も反省も得ていないことを、他ならぬ韓国の政治家が証明してしまった注8)。
これまで何度も強調したように、世界保健機関(WHO)は住民に特異な被曝があったチョルノービリでの原発事故でさえ、2006年すなわち福島の原子力災害以前から、『メンタルヘルスの衝撃こそが、事故で引き起こされた最も大きな地域保健の問題』と総括していた。ならば、福島に対し繰り返されたセンセーショナルな言説と報道は、人々のメンタルヘルスにいかなる影響をもたらしたか──。『原発事故後の福島県浜通りと避難地域における放射線の「次世代影響不安」と情報源およびメディアとの関連(中山千尋、岩佐一、森山信彰、高橋秀人、安村誠司・2021)』注9)によれば、
主な情報源として選ばれたメディアと被災者の不安の強さには相関性があり、特に全国メディアを情報源にした層は地元メディアを選んだ層と比べ、有意に強い不安傾向が見られた。
すなわちメディア報道が被災者のメンタルヘルスに直結していた実態が明らかになっている。
ところが、報道が加担してきた流言や印象操作による深刻な加害性と悪影響に対し、業界内部から公的に批判・検証される動きは未だ無い。それどころか、前述した朝日新聞「プロメテウスの罠」には、メディアアンビシャス2011年度活字部門・メディア賞、2012年度日本新聞協会賞、第12回(2012年度)石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、2012年科学ジャーナリスト賞など権威ある数々の栄誉が与えられたままだ。撤回の動きも一切無い。
マスメディアにおけるイデオロギー偏向の実態
なぜ、マスメディアが流言の抑制に逆行したのか。「風評加害」が多発し、全く自浄すら出来ないのか。
前記事では米国のアカデミズムにおける極端な「左派・リベラル」イデオロギー偏向とその弊害を指摘したが、マスメディアにも同様の傾向が指摘されている。つまりアカデミズムと同様、<自分達が共有する物語が多くの場合に裏付けられるような論題に集まり、裏付けられない論題には目を背けがち><左翼的な見解から引き出された著書や研究結果に多く触れることになるため、平均して『左寄り』の真実に行き着きやすくなる><外部からの脅威を感じると特に、魔女狩りを起こしやすい>状況に陥っていると考えられる。
これを示す一例として、米国主要メディアが2010~2015年にかけて、ツイッター(現・X)上でどのようなマイノリティグループの苦境に言及したかの統計を参照する。「労働者階級・ブルーカラー・ラストベルト」への言及ツイート(ポスト)数が60件であるのに対し、「白人」が77件(1.28倍)、「同性愛・LGBT」が9664件(161倍)、「黒人」3436件(57倍)、「移民」1792件(29倍)と、極端に大きな差があることが明らかになった。一方で、「苦境」についての言及は77件しかなかった「白人」も、「白人特権について」では1124件と大きく言及されている。同じ「弱者」でも、扱いに極端な格差があることが明白となった注10)。
一定のイデオロギーを共有する人々が強く共感する「弱者」と社会問題ばかりが手厚く取り上げられてきた一方、「対象外」とされた弱者は無視され軽んじられる。この構図はトマ・ピケティが「バラモン左翼」と喝破したように、いわば彼ら彼女らが「何が被害か」「誰が救われるべき弱者か」「問題の優先順位」「どのような振舞いが在るべき正しさか」など、社会における「正しさ」や「免罪符」を創作・支配・独占できる、指導的権力を志向した顕れとも言えよう。拙著のタイトルをそれぞれ『「正しさ」の商人』『「やさしさ」の免罪符』と名付けた所以でもある。
だからこそ、日本における福島の原子力災害でも(創作された)「放射線被曝による健康被害」「政府や復興政策に対する当事者の怒り」のような、真偽すら問わず一部のイデオロギーにとっての「正しさ」を補強する都合の良いナラティブばかりが繰り返しピックアップされた一方、それ以外の「利用価値が無い」被害──特に「風評加害」に対する当事者からの抗議など、彼ら彼女らの「正しさ」と無謬性を根底から覆しかねない声は黙殺、あるいは告発者や「風評加害」概念と定義そのものを的外れに歪め貶める印象操作を用い、自ら誘発させた誤解で上書き・既成事実化させることで矮小化させようとしてきたのではないか。
(参照:続・風評対策の機能不全、発信を弱体化するレトリック注11))